<第一章試し読み>テレパス少年のエピローグ

青葉える

第1章 結末

「大変残念なお知らせですが、九十九誠一くんが亡くなりました」

 静まり返った教室に、芹沢澪が体を震わせてたてた椅子の音はよく響いてしまった。普段なら少し目立っただけで身を縮めるが、今はそれどころではない。午前九時半、葦原高校三年A組副担任の久保先生が告げた言葉が、脳内をリフレインする。

なくなった、なくなった……九十九くんが……亡くなった? しんだ? 死?

本日九月十日、金曜日。昨日とはうってかわって曇天で、教室にまで灰色が立ち込めているようだった。澪の椅子が動いたあとは、二年生から共に過ごしてきた三年A組の四十人――今や三十九人から、いっさいの音が消えていた。

 澪の頭はさっきまで、読み終えたばかりの青春小説の余韻でいっぱいだった。受験勉強の合間に読み進めてきた物語で、ネグレクトにより人生を諦めかけていた主人公が、夜の街で開かれている格安塾に飛び込み進学を目指すというあらすじだった。澪は自らが恵まれた環境にいることを再認識しつつ、主人公の主体性を見習いたいと思った。役割を与えられた際の責任感は強いが、挙手して役割や立ち位置を取りに行く積極性は乏しいのは自覚している。その元来の性格と、かつて味わった疎外感が心に染みついて、今までにできた気の置けない友人は一人だけだ。だがA組の居心地が悪いわけではなかった。休み時間にひとり読書をしていても放っておいてもらえつつ、学校行事で仲間外れにされることはない。なかなかに快適な日々を、澪は過ごしていた。

 九十九誠一の死は、そんな読書体験と高校生活が吹き飛ぶような知らせだった。

 いやだ、嘘だ、なんで、悲しい、うそ、いや。

 澪は拳を握り、混乱で頭が爆発しそうになるのを必死に抑えつける。

九十九誠一はA組の人気者だった。すらりとした体躯で、色素の薄い髪色が顔立ちに似合う、常に友人に囲まれていた人。一昨日まで、夏休み明けだからかいつもよりパリッとした白シャツを着て、教室の中央で笑っていた人。そして澪が唯一、教室の外で、一対一で会話をしたことのある人。

 もういないなんて。どこにもいないなんて。

 心臓がぎゅうと縮み、質量を増したように沈む。項垂れると黒髪が教室の景色を遮り、銀縁の眼鏡がずり落ちそうになる。

「どこで……何で……」

 九十九と行動をよく共にしていた囲井が呟いた。ごくり、と教室そのものが唾を飲むような緊張感が走る。

「本当に、残念です……。今日は、午前は自習で、午後は休校になります。お葬式の日取りはまたお知らせします」

 久保先生は肩を落としつつも死因を濁した。その時点で、偶発的な事故や事件ではないと察せてしまい、澪は気管を締め付けられる感覚にどうにか耐える。そうなると考えられる死因は悲しいかな一つだけ。自死だ。九十九誠一に対して殺人を計画し実行するのはほとんど不可能だったのだ。

 なぜなら、九十九誠一は周知の超能力者――テレパスだったからである。


 三十年前から世界的に、いわゆる超能力者が産まれるようになった。五十万人に一人の割合で、出生率に男女差はない。発見されている超能力は、他者の思考を読み取るテレパシー、記憶を読み取る記憶視、遮断物の向こうが見える透視、残留思念を読むサイコメトリーなど、脳の働きがもたらすものが多く、物体を移動させるテレキネシス、物体を登場させるアポート、炎を発生させるパイロキネシスなどの発現例はない。根本的な発現要因や、発現の程度の個人差は未解明だ。現代科学の限界に加え、本格的な民間調査が始まる前に、各国各地で「超能力者を人体実験の対象にするな」「超能力者の人権を守ろう」という運動が起こったからである。加えて十五年前のある事件も「超能力は能力ではなく特性である」という意識が流布される大きなきっかけとなり、現在、超能力者への科学的アプローチは国家指定の研究機関でのみ行われている。超能力を特性とする社会的受容も進み、九十九のように周知の超能力者としてコミュニティに馴染めている者も多い。一方で「超能力者こそが一般人の人権を侵害している」という意識も根絶はせず、超能力者差別は社会問題の一つである。

 九十九誠一は、十八年前にテレパシー能力を持って産まれた。超能力はたいてい精神のコントロール力が未熟な幼児期に発現するため、ほぼ確実に保護者には露呈し、九十九も例外ではなかった。両親は気味悪がって息子にテレパシー能力の他言無用を言い聞かせ、本人も気を付けていたが、小学二年生になり担任教師が隠していたプロポーズ成功を大声で喜んでしまった日を機にたちまちテレパスであると広まった。幸いなことに本人の好かれる性格や、それまで他者の思考を口外してこなかった事実を踏まえて差別には晒されず、引っ越しを面倒臭がった両親は町に留まることにした。それから高校三年生に至るまで、九十九は他者の思考を決して口外しないルールを徹底し、周囲の信頼を確固たるものにしていった。この成り行きは入学直後から、九十九と同じ中学出身の者によりそこかしこで囁かれていたため、澪もおおまかには知っている。

 A組の生徒は優良で、九十九の特性の悪用を企むどころか特段言及すらしなかったが、他のクラスの生徒はちらほらと、九十九に超能力を貸してほしいと相談していたようだ。澪は約一年前、二年生の夏休み前にその場面を目撃していた。

美化委員の活動終わりに、校舎の北棟と南棟を繋ぐ渡り廊下、上空から見たらHの横棒部分になる場所に差し掛かったところだった。コンクリート打ちっぱなしの地面が数分前の夕立で色濃くなっており、立ち上るむわりとした熱気から逃れるように顔を上げたら、向こうで男子生徒が九十九に頭を下げていた。張り詰めた空気感にぎょっとし、早歩きのエンジンをかけて彼らとすれ違った際、九十九が「ごめんね。力を貸すのはやらないことにしてるんだ」と言ったのが聞こえた。澪がそのとき覚えたのは、人間の誠実性に触れた喜びだっただろう。そのあと偶然にも三度、九十九と話す機会があった。他のクラスメイトとは少々距離がある中で、九十九誠一は唯一、澪が親しみと尊敬を抱いた人物だった。

 そんな彼が自死した。

 他者から「超能力を貸してくれなかった」という一時的な嫌悪は向けられても、恨まれるべき人間ではないのは明らかだったし、人間関係や進路に悩んでいるようにも見えなかった。特性を持つ人間として気がかりなことはあったかもしれないが、自死を選ぶようには見えなかったのだ。でも、こうなってしまった。


 クーラーの稼働によりドアも窓も閉め切られた教室で、クラスメイトの死の知らせは行き場なく籠っていた。窓の外は、晴れ間が覗きそうでも雨が降りそうでもない。教室の前方には二学期になりたてで綺麗な黒板と、空っぽのナイロン製の掲示板がある。数日前の始業式に夏休み前後の掲示物がはがされ、ちょうど今朝に二学期の掲示物が貼られるはずだったが、この状況で手つかずだ。黒板の上に吊るされた時計の、ゴシック体の文字盤が異様に浮かび上がって見えるほどの沈黙だった。

 澪の拳は汗でぐっしょりとしている。

 九十九くん、本当に死んじゃったの。本当じゃないと、こんなふうに言われるはずもないか。本当に死んじゃったんだ……。

 澪にとって彼は、卒業後も忘れ難い人間に違いなかった。それがまさかこんな形で忘れられなくなってしまうとは。

「昨日の遠足で、九十九くんに変わった様子はありませんでしたか」

 そうだ遠足――澪はハッとして、久保先生と一緒に問うように教室を見渡す。

昨日は葦原高校恒例の三年生遠足だった。毎年、受験勉強に勤しんだ夏休みのガス抜き兼二学期のブーストというコンセプトで行われている。各クラスに予算が割り当てられ、平和学習を一つ入れればあとはクラスごとに自由に計画していいというもので、A組はふれあい動物園からジンギスカンバーベキュー、第二次世界大戦の資料館見学のあと河川敷でのドッジボール大会、夕飯にまたバーベキューをして最後は花火という計画だった。計画の話し合いは平和に進んだが、クラスが湧いた「どでかい花火をやろう」という提案を担任が却下したときだけはブーイングが起こっていた。澪はみんなの邪魔にならない程度に参加するつもりだったが、乾燥した日が続いたからか喉風邪をひき、みんなにうつしたくないからと欠席したのだった。

 昨日の遠足で九十九が傷つく出来事があり、衝動的に自死を選んでしまったのなら、最悪な事態ではあるが動機の落としどころにはなる。もっともその場合、自死の原因はA組の誰かの表面化された言動か、隠された思考かどちらかになるので、そうあってほしいわけではない。

「先生」

 口火を切ったのは囲井だった。みんな、彼を待っていたようでもあった。囲井は元生徒会長でカリスマ性があり、有名私立大学の指定校推薦の獲得が確実と言われている。

「誠一は昨日、体調不良で休みでした」

「ああ……本当だ。九十九くんと芹沢さんは休みだったのか」

 生物の授業中の活気の欠片もない久保先生が、タブレットの出席簿を確認した。

澪は力なく背もたれに体重を預ける。それなら、自分もクラスメイトも教師も警察も九十九の家族も、彼が死を選んだ理由を生涯知り得ないだろう。クラスメイトたちへの疑いを払しょくできた安堵と、もどかしい虚しさが入り混じる。

「かっしー……柏木先生は、九十九くんのことで対応中なんですか?」

 前髪をきっちりと切り揃えた不二田が訊いた。柏木先生は三十三歳の、三年A組の担任教師である。三年生の担任でただ一人あだ名をつけられているが、クラスメイトですらあだ名で呼んだことのない澪は柏木先生と呼んでいる。どこかおどおどとしておりリーダーシップは感じられないが、世界史の授業は理解しやすいし、授業の質問をしに行ったついでにアメリカ文学の話もしてくれる、澪にとっては接しやすい担任だ。

「柏木先生は……お休みで」

 言い淀んだのも束の間、久保先生は発作のように「昨日の遠足で」と声を張り上げた。「あ、まずい」という顔をしていたが、既に澪もみんなも続く言葉を待っており、ごまかすのは諦めたらしく続けた。

「昨日の遠足、柏木先生はいつもと変わりありませんでしたか。実は連絡がつかなくて、九十九くんのことも伝えられていなくて」

 澪は耳を疑う。生徒が死んだ日に、担任が無断欠勤?

 不自然な一致に、澪の頭に「殺人」の文字が過ぎる。クラスメイトも同じように思ったのか、教室に電流が走ったような気がした。

 だがすぐに、軽く頭を振って、頭に浮かんだ二文字を打ち消す。ミステリー小説の読み過ぎだ。殺人の対象の近くで「殺す」と思わない人間などいない。その時点で、九十九は死を回避できているはずなのだ。

「動揺するよね。申し訳ない。今、言うべきじゃなかった。緊急連絡先には連絡がついてるし、みんなが心配することは何もないです」

 心配を滲ませつつも久保先生が言い切ったのは、九十九の死に柏木先生は無関係だと判明しているからか、生徒を気遣ったからかはわからない。とにかく今は、久保先生と「テレパスに対し殺人はほぼ不可能」の説を信じる。

「もし九十九くんから悩みを聞いていた人がいて、プライバシーの侵害にはならないと判断できたら、こっそり教えてほしいです。もちろん特性に関してじゃなくても。難しい判断になると思うけど……」

 特性を持つ人の悩みは特性によるものとは限らない、つまり特性を持つ人は必ずしも特性に悩む必要はないという考えは社会的に確立され始めている。A組にその考えが浸透していたのも、九十九が特別視されていなかった一つの理由だろう。

それでも九十九は死んでしまった。きっと澪には計り知れない何かを抱えて。

ホームルームが終了し、自習となる。浮かれていたであろう遠足の名残はなく、教室には互いの出方を探るような気配が流れている。澪も自習を始める気になれず、腿に拳をのせて、誰が何を言い出すか緊張して待つ。

「やっぱ自殺っぽい」

 ぽつりと言ったのは囲井だった。とうとう直接的な単語が出てどきりとする。彼はスマホを見ながら続ける。

「C組のやつが朝、人だかりを覗いたら、首を吊った人が発見されたんだって教えてもらったらしい。大家さんが家賃の話で訪ねて見つけたんだって。そいつはあとでそこが誠一の家だと知ったんだと」

 澪の胸に吹き荒れる砂のようなざらざらが広がる。これが悲しみか。もし大家が家を訪ねなかったらと考え、朽ちる遺体を想像してしまうとあまりに可哀想でゾッとする。通常は在宅している朝なのに呼び鈴に応えないのはおかしいと思ったのか、ドアの前に立てばいるとわかるのに呼び鈴にも無視するなんてと怒ったのかは不明だが、部屋に入ってくれてよかった。

「自殺……」

「自殺か……」

 復唱されるとよけいに悲しくなる。

「……自販機行こう」

 鳥の鳴き声すら聞こえない沈黙を破り、囲井が数人と連れ立って教室を出て行った。それを機に、隣の人と話したり席を移動したりと、教室がざわめき始める。澪の右側にいる女子たちは、九十九の話は不謹慎だと思っているのか、大学受験の話をしている。ざわめきが強くなっていくのに反比例するように澪の体の強張りが少しだけ弱まり、無理やりにでも悲しみを断ち切れないかと、自習を試みようとする。机の中に手を入れたのと同時に、前の席の榊が勢いよく振り向いた。いささか傷んだ茶髪に付けまつ毛、唇の艶を演出するグロス。趣味は映画鑑賞で特にミステリーが好きと知ったとき、澪は媒体は違えど同じエンターテインメント好きとして親近感を覚えたが、始業式の席替えでこの配置になっても会話は小テストの範囲についてのみだった。だからこうして、眼鏡のレンズをも貫いてくる視線を向けられるのは初めてである。こういうとき、反射的に「私が何かやってしまったか」と自責するのは澪の幼稚園児からの癖だが、榊はどちらかといえば自身を顧みているかのように唇を結んでいた。ざわめく教室で、閉口は逆説的に饒舌だった。だから澪は、テレパスでなくても汲み取れる彼女の思考を気遣う。

「きっと榊さんのせいじゃないよ。九十九くんがどんなことに悩んでいても」

 澪自身は、「私のせいだろうか」と思うほど九十九に近くはなかった。それでも「私にもできることはあったんじゃないか」とは思う。彼自身が必要としていなさそうだったから、力になろうとは思わなかったが、今となっては疎まれてもいいから手を伸ばすべきだったのかもしれない。もう、何を考えても意味はないのが虚しい。

 榊は茶色のペンシルで書かれた眉を下げた。

「……うん。ありがと」

 会話は終わりかと思ったが、榊は澪の机に頬杖をついた。彼女が笑いながら九十九の背中を軽く叩いているのをよく見た。特性も性別も関係なく接していた友人が突然いなくなり、しかも自死なら、罪悪感を抱くのは避けられないだろう。澪に話しかけてきたのは、仲の良い人たち同士では共感が過ぎて悲しみを深め合ってしまうからか。

 榊は手から頬がずれおちそうなほど澪の机に寄りかかる。

「誠一、あたしらが知らないとこで、悩んでたんだろうね。毎日楽しそうに見えたけど、親とはあんまりうまくいってなかったみたいだし……あたしらにはどうしようもなかったんだろうな」

 何かを思い出しているのか、焦点がどこに合っているのかわからない目つきで榊は言う。

「あたしにはどうしようもなかったんだ……」

 榊はもう一度呟いたあと、振り子のように足を振って「えい」と立ち上がった。

「聞いてくれてありがと、芹沢さん。ちょっとすっきりした」

「私は何も」

「あたしも自販機行ってくるね」

 榊を見送った矢先、ガタッと机が揺れた。見ると横田が脇を通ろうとしている。

「ごめん」

「ううん、大丈夫です」

 横田は柔道の県大会に出場するほど体格が良く、いつも机の間を窮屈そうに歩いている。軽く会釈し合ってから、澪が正面に向き直ると、鼻がくっつきそうな距離に不二田の顔があり飛び上がった。

「榊ちゃんとなに喋ってたのー?」

 不二田はいつの間にか榊の席に座り、こちらに身を乗り出していた。涙袋の際立つ目と、えんじ色のリボンが引き立つ白い肌を持つ彼女は、こんな日ですら余裕綽々といった微笑みをたたえている。いわゆる天才肌の学力を持ち、某国立大学の合格も間違いなしという噂だ。榊に続きほぼ話したことのないクラスメイトの接近に戸惑ったが、答えないわけにはいかない。

「えっと、九十九くん、悩みがあったのかなって。でも私たちにはわからなかったし、力になれなかったね……って」

「悩み、あったように見えなかったよねー。テレパスだって忘れそうになるくらいフツウだったし。わかんないね、人って」

 もとより高い声色が少々上ずっている。天才肌はクラスメイトの死の受け取り方も人と違うのだろうかと思っていると、こんなに近くにいるのにちょいちょいと手招きされた。手を口の横に添える、耳打ちのポーズを取られたので澪は耳を寄せる。クラスメイトとこんなやり取りをするのは初めてだ。

「もしかして九十九くん、『ギア上がり』してたんじゃない?」

 思わず飛び退いた。不二田は変わらず口角を上げている。

 基本的に、超能力の作用は自己完結する。特殊な脳細胞の働きが超能力の作用を実現しているが、その脳細胞にはリミッターが存在し、そのリミットが、超能力で他者の脳に直接干渉することを不可能としている。つまり、例えばテレパスは他者の思考の操作はできず、記憶視の超能力者は他者の記憶の改ざんはできないのである。だがまれに、大脳辺縁系や前頭葉に巨大な負荷、主に負の感情や本能的な危険信号、または物理的な衝撃がかかった場合、脳細胞のリミッターが外れる事例がある。火事場の馬鹿力が常に放出される状態に近いそれは、通称「ギア上がり」と呼ばれる。ギア上がりの発現時期は人によるため、超能力そのものとは違って周囲に隠しきることもできる。言い方を変えれば、誰にも知られず他者の脳に干渉し、思考の操作や記憶の改ざんが可能になるのである。

 超能力者への差別意識が根絶しない理由は、ギア上がりの底知れなさによるところが大きい。「超能力者は他者のプライバシーや人権を侵害するだけでなく、ギア上がりをすれば、他者への加害性を持つ猛烈な脅威になる」という思想は社会の一部にこびりついている。そのため超能力者は、ギア上がりをしてもそれをひた隠しにする傾向にある。

 その傾向を加速させたのが、十五年前に起きた窃盗事件及び超能力者連続自死事件だった。最初に、ギア上がりのテレパスが他人を操り大規模な窃盗事件を起こした。犯人は「全能感に溺れてしまった」と反省の意を示したが、リアルでもインターネット上でも「ギア上がりを許すな」「人権を脅かす生き物」「排除されるべき害悪」といった激しい運動が起きた。激化のさなかに全国で相次いだのが、超能力者たちの自死であった。「受け入れられていたのは幻想だったのか」「僕も人を操ってしまいそうで怖い」「絶対に人を脅かさない証明をします」――遺書を残す者もいれば、ギア上がりをしていたのかすらわからないまま命を絶った者もいた。一連の事件が、超能力者には「ギア上がりしたら存在そのものを糾弾される」という意識を、特性を持たぬ者には「ギア上がりは脅威だ」という意識と「だが全てのギア上がりを責めるべきではない。超能力は特性であり、特性をどう使うかは本人次第である」という意識の両方を植え付けた。

 そんなセンシティブな概念を、不二田はいともたやすく口に出した。

「ギア上がり、一生しない人もいるけど、ひょんなことでポンとしちゃう人もいるんだよね。九十九くんも実はギア上がりしてて、悩んで自己嫌悪で死んじゃったのかもね。優しい人だったし。特別な人間になって、悩まない方がおかしいもんね」

 澪は、海藻が消化されていないまま胃を回っている気分になる。優しい人「だった」とあっさり過去形にできているのも含め、不二田の言葉は違和感まみれだった。胸に、小さく熱が湧く。

「芹沢ちゃんはどう思う?」

 だがもとより口下手で、久しくこの熱の処理も、他者に反論する経験もしていない澪は、違和感を言葉にしてぶつけられない。

「どうだろう」

 曖昧に答えたら、熱が情けなく揺らぐのを感じた。

「あり得るよねー」

 不二田は自説に満足気だ。やっぱり私が彼にしてあげられることなんてなかったんだ、それに勇気を出して一言述べても文系も理系も全国模試上位を連発する彼女と口論できるはずもない――そう諦めかけたとき、不意に、九十九の笑顔が脳裏を過ぎった。校庭で、図書室で、桜の木の下で見た、朗らかな笑顔。曇らせてはいけない、温かな記憶。

 澪は拳を握る。熱の正体が怒りだと、やっと知る。手のひらは依然汗で濡れており、反対に喉はカラカラだった。全身に力を入れて、澪は口を開く。

「ごめん、やっぱり」

 不二田の顔を見られず視線はえんじ色のリボンにあるが、彼女がきょとんとしたのがわかった。

「勝手に推測しない方がいいんじゃないかな。もしギア上がりしていたら、九十九くんが隠したかったことを掘り返しちゃうし、してなかったら根も葉もない噂話を広めることになるし……それに、九十九くんは慮る人ではあったけど、特性持ちだから悩まないとおかしいっていうのは乱暴かも」

 止まってしまうともう喋れなくなる気がして、たどたどしくも一気に言った。本当は九十九の自死を肯定するような口調にも言及したかったが、彼が死を選択したのは事実なので、否定するのも正しくはないのだった。数秒の沈黙後、不二田は「慮るって口に出す人、初めて見たー」と薄ら笑った。目からはこちらへの興味が消えており、「じゃねー」とおざなりに手を振って自席に戻っていった。

 空になった椅子を見て、澪は静かに息をつく。夏の朝なのに、浴槽に肩まで浸かりたくなっていた。ふと視線を感じ左に顔をやると、隣の金杉と目が合う。気難しい顔をした、小柄な男子だ。無口な男子同士で行動を共にしており、おそらくクラスでは澪以上に思考回路が不明な人だと認識されている。ため息で不快にさせたかと心配になったとき、金杉は手元のスマホに視線を戻して言う。

「生ぬるい会話だったな」

「えっ?」

「単純に考えて、死んでもおかしくないし、いない方が社会のためじゃないか」

 血の気が引く。これこそが紛れもなく、九十九の自死を肯定する口調だった。澪が返事に窮していると、彼は呆れ気味に「そういう運命だったんだ」と言った。

「超能力者は世界の危険因子だろ。人権を脅かす害だってみんな思ってる。テレパスなんてもってのほかだ。人は一人ずつ閉じた存在であるべきだ」

 金杉のスマホ画面にはドラゴンのキャラクターがいて、赤い光が上下に行き来しているようだった。ソーシャルゲームをやりながら超能力者を差別し、九十九を死ぬべき人間だったと言っている。

 胸の熱が頭のてっぺんにまで上った。脳の形が認識できるほど熱くなる。一年半、こんな人と同じ空間にいた事実を知らなくて良かったとすら思う。言われた全てを否定したい衝動に駆られながらも、澪が絞り出せたのは「みんなって、誰ですか」だけだった。金杉はスマホを見たまま嘲笑を浮かべる。

「なんだ、九十九のこと好きだったのか?」

 金杉は明らかに侮辱していた。澪だけでなく、九十九誠一をも。立ち上がって叫ぶ気概のない自分を情けなく感じながらも、澪は食いしばって言う。

「害だとは、思わない……です」

「はっ、やっぱり好きなんじゃん」

 こちらを見もせず偏見と決めつけばかり言う彼とこれ以上話しても、九十九の死が摩耗するだけだ。澪は、消え入りそうではあったがなんとか「違います」と返し、机上に教科書を出した。

 体内で、九十九の死と、クラスメイト三者三様の反応が渦巻く。マグマと泥が混ざったような熱を収めるのに気を取られ、視線は英文を上滑りしていった。


 夕食後の勉強を終えてシャワーを浴び、ベッドになだれ込む。水玉柄のパジャマは中学生から着ており綿が擦り切れそうだが、流行のもこもこ素材のパジャマより一冊でも多く小説を買いたい。

 今日は疲れた。

 六畳一間、白い壁を照らすダウンライトを眺め、眩しいという思考で頭を埋める。物の少ない部屋で目立つのは木製の本棚で、両親が買ってくれた絵本や児童書、お小遣いで買い集めた小説が詰まっている。澪が小説を好く一番の理由は、他者の人生を追体験できるからだ。超能力もなしにキャラクターの思考や記憶を覗いたり、描かれる生き様から知見を得たりできるのは奇跡のようだった。人生を彩るエンターテインメントは他にもあるが、文字という一見無味無臭な媒体から能動的に想像力を働かせるのと、「こんなことが本当にあったら」と空想する感覚が楽しいので、やはりフィクション小説が好きだった。

 数時間前、玄関で母親にかけられた言葉を反芻する。クラスの連絡網により既に九十九の死を知っていた母親は、帰宅した娘に駆け寄り、洗ってもいない手を取った。

「悲しいね。でもあまり引きずられちゃだめだよ。澪には澪の人生があるから」

慰めるというより、告げる口調だった。

「うん。ありがとう、お母さん」

 人によっては娘も、娘のクラスメイトも突き放しているように聞こえるそれが、最大の心遣いだと澪は知っていた。父親も、帰宅するなり「悲しいけれど前を向いて」と娘を励ました。友人がおらず居心地が悪いことはあるが、両親と親友、そして読書が傍にあれば、日々には満足していた。

 そんな日々にもまだ彩りの余地があると教えてくれたのは、他でもない九十九誠一だった。彼は澪を友だちだと言ってくれた。教室では、常に他の友人といる彼に話しかけるのは躊躇われたし、遠慮してくれていたのか彼から話しかけてもこなかったが、確かに澪も彼にほのかな友情を感じていた。いつか胸を張って、私の友だちだと言える日が来るかもしれないと思ったこともあった。

だがそんな日は二度と来ない。

 スマホのメッセージ受信の通知音が鳴る。画面を見ずとも誰からかはわかっている。

〈澪ちゃん、今から電話どう?〉

 やはり親友の結衣からだった。こんな日でも、彼女からのメッセージは嬉しい。

〈しようしよう〉とスタンプつきで返すと、すぐに着信があった。寝ころんだままではあるが、投げ出していた足を揃え、スマホを枕元に置く。

「澪ちゃん急にごめんねー。電話は三週間ぶりだね。特に用はないんだけど声が聞きたくなっちゃった」

 悲しみで乾いていた澪の耳が潤う。

結衣とは小学一年生から三年生まで同じ小学校に通っていた。澪は引っ越しを、小学校入学直前、四年生の始め、六年生の終わり、中学卒業後と四回してきたが、結衣とは文通、親のスマホ、自分のスマホと手段を変えて連絡を取り続けてきた。先日は「澪ちゃんみたいに艶やかなセミロングになりたいのに、ぜんぜん伸びないよお」と、バレーボール部を引退してから切らずにいる肩までの髪の自撮りを送ってくれた。澪は「これからだよ」と返し、テディベアに見える雲の写真を送った。高校生になってからは半年に一度、在来線を三時間乗り継ぎ交互に会いに行って、カフェでケーキを食べたり家で他愛のない話をしたりしている。発話の割合は結衣と澪で七対三で、澪にとってはそれが心地良かった。結衣の話はどれも聞きたかったし、澪の小説の感想に熱心に耳を傾けてくれるのも嬉しかった。

「結衣ちゃん、電話ありがとう。昨日は風邪ひいてたんだけど、今日は元気だよ」

「あら、じゃあ長電話はしない方がいいね。というか本当に元気? 何かあった?」

 声の機微に気が付いたのか、結衣が訊いてくれる。こういう小さな優しさが、澪の日々を繋ぐ。もし結衣を傷つける人間がいたら、どんな手を使ってでも立ち向かいたい。

 隠す方が心配をかけそうなので、澪はぽつぽつと、クラスメイトが死んでしまったこと、彼はテレパスでおそらく自死であること、澪にとって数少ない会話の機会があった人だったことを話した。柏木先生の無断欠勤は余計な疑念を生みそうなので黙っておく。

「そうか……辛いね」

 結衣が肩を落としたのが見えるようだった。

「特性を持っているだけで追い詰められる世の中ではなくなってると思いたいけど、本人にしかわからない苦しみはあってしまうよね。人に好かれて、澪ちゃんの思い出に残るような人でも、差別されたり悩んだりしていたのかな。陰口を聞いてしまったり、聞いてなくても特性のせいで知ってしまったり、それでまた特性に苛まれたり」

 結衣は一生懸命に喋ってくれる。澪が今まで、クラスのテレパスの存在を伏せていたのを水くさいと感じていなさそうなのも、好きなところだ。

「私たち、未来があるって疑わないけど、死んでしまう理由は数えきれないほどあるんだね。死にたくなるほど傷つく理由も。不自由なく生きられている毎日を大切しないと……悲しいね」

 結衣の声色がずんと落ち込んでしまったので、澪は慌てて軌道修正を図る。

「彼のことは、これからも大事な……クラスメイトだと思い続けていくよ。結衣ちゃんは最近どう? 楽しかったことでも話したいことでも」

「うーん、あるといえばあるんだけど、またかと思われそうで」

「思わないよ。もしかして……告白、断ったのかな?」

「あたり、さすが澪ちゃん。仲良い男子だったけど、ごめんなさいしちゃった」

外見も内面も溌剌としている結衣は、異性から恋愛感情を向けられがちだが、彼女はそれを歓迎していない。男女関わらず関心を持ってもらえるのは嬉しいものの、自らの女性性に注目されるのがどうしても快くないという。そう吐露してみれば「モテるのが嫌って贅沢」や「一度付き合ってみたら」と言われてしまうため、結衣はこの話を澪にしかしなくなったと言っていた。

「その人とは今まで通りに話せてる?」

「私はそうしたいんだけど、向こうはぎこちなさそう。悪いことしたかな」

「悪くない。恋愛の在り方は自由って聞くよ。だから結衣ちゃんは自由に、恋愛をしなければいいと思う」

「……ありがとう。あーあ、みーんなと友だちでいられたらいいのに。それか、私が男子と付き合いたいって思えればらくなのに。アレを引きずってるなら情けないよね、何もされてはないのに」

 アレ――結衣が指す光景を思い出し、澪は思わず上半身を起こす。

「情けなくなんかない。少しでも痛むなら、傷だよ。埋めるか、閉じるのを待つか、結衣ちゃんが生きやすい方で治せばいいんだよ」

 言いながら澪は思う。結衣は元より恋愛感情の薄い人間なのかもしれないが、あの出来事が深層心理にあって男性との関わりを避けているなら、私はどうすればよかったのだろう。

「ありがとう、澪ちゃん」

 結衣は一音ずつ丁寧に言ってくれた。もし傷が治らなくても結衣ちゃんのせいじゃないし、いつだって私は傍にいるからとも思ったが、治らない前提は口にするべきではない。

「澪ちゃんはおしとやかだけど、ここぞってときははっきり言葉に出すし行動できるよね。そういうところも憧れる」

「ええっ。私こそ結衣ちゃんを尊敬してるよ」

 じゃあ勉強大変だけどゆっくり気持ちを癒してねと言い合い、通話は終了した。澪は立ち上がり、リビングに行って充電コードをスマホに差す。芹沢家には「寝る直前まで不倫や不祥事や不毛な超能力談義のネット記事を見てしまうのは時間の無駄だから、ベッドにスマホを持ち込まない」というルールがある。ベッド脇で昔ながらの目覚まし時計を使っている貴重な家族だ。

 自室でクーラーのおやすみタイマーを設定し、電気を消す。瞼の裏に浮かんだのは、泣きじゃくる小学二年生の結衣だった。あの日、澪は彼女の小さな手をこれまた小さな手で握って、「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」とひたすら励ました。蝉が鳴き始める前の季節、結衣が誘拐未遂に遭ったときのこと。

 澪は幼稚園で、引っ込み思案な性格に加え、鬼ごっこや花いちもんめで決まって具合を悪くし場を白けさせるなど、いくつかの理由で周囲に避けられていた。引っ越した先で入学した小学校でも友だちはできないものだと諦めていたが、結衣が話しかけてくれて仲良くなり、友情は一年以上、平穏に続いた。そんな折に起きたのが誘拐未遂事件だった。痛いほど光る夕陽のもとで泣く結衣を見て澪は、この子には絶対に、ずっと、変わらず笑顔でいてほしいと心から思った。その思いは今も変わらない。

 今思えば、九十九誠一は結衣の次に、ずっと笑っていてほしい人だった。

卒業後に彼が澪には知り得ない場所に行き、生涯顔を合わせなかったとしても、あの優しく温かい笑顔で過ごしていてほしかった。彼はどこで何をしているのだろうと時折思い出すとき、変わらぬ笑顔を頭に浮かべたかった。

 ――私には何もできなかった。

 これが小説であれば、九十九から悩みを聞いていた人や遺書が登場して彼の心情が明かされ、死の選択を肯定はできずとも受け入れてから、本を閉じられるだろう。だがこれは現実である。物語は残酷にも、鉈を振り下ろされたようにぶつりと終わる。


 九十九誠一の死の知らせから一週間後の九月十七日、葦原高校の教師陣ならびに三年A組は、九十九の葬儀が既に執り行われていたのを知った。教師陣が彼の両親に連絡を取り続けやっと電話に出たと思ったら、司法解剖の許諾を出さなかったのでそのまま通夜となり、身内だけで葬式を済ませたという。警察も司法解剖を強行せず、実況見分の結果と遺体の状況、そしてテレパスへの計画的殺人は基本的に不可能という通説ならびに学説から自死と断定したようだ。テレパスは就寝中でも、殺意ほどの強い思考であれば危険信号として察知できるのだという。現場から発見された囲井や榊の毛髪は、以前から九十九の家に遊びに行っていたから残っていたもので、浮き彫りになったのは九十九の開けた性格だけだった。

 九十九の事件は収束していったが、柏木先生は行方不明のままであった。三年A組の生徒たちは遠足の解散地で彼が電車に乗るところを見ており、その一時間後には婚約中の恋人が「駅着いた。コンビニでスイーツ買って帰るよ」とメッセージを受け取っていた。例に漏れず柏木先生にもテレパスの殺人は不可能であるし、彼の失踪が九十九の死と関連している線は早々に消え、警察預かりの事件となった。

 

 九月二十日、週明けに登校したら教室には一学期を思わせる賑わいがあった。澪は、九十九誠一の物語が結末を迎えたのを感じる。

 彼の死を受け入れよう。もういないのを認めて、それでいて彼を忘れずにいよう。そう決めて席に着いた。

しかし――物語は終わっていなかった。

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<第一章試し読み>テレパス少年のエピローグ 青葉える @matanelemon

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