パジャマパーティーに
九十年代のポップミュージック。詩的で難解な歌詞ではあるけれど、柔らかで抑揚の効いたメロディーがキャッチ―でとっつきやすい。解釈が分かれるその歌詞は、おそらくは別れと新たな始まりを描いている、ように僕は思う。
歌はそこまで得意じゃない。でも、この歌は歌詞こそが大事だ。だから僕は気持ちを込めて、声は張らずに囁くように。
愛した人との楽しかった日々。そして別れ。今を忙しなく生きる現在。輝かしい未来への憧憬。
視線は運指に集中していて見えないけれど、途中からぐるみがそれを口ずさみ始めていることに気付いた。僕はあえて歌うことを止めず、あるいはデュエットのように詩を紡ぐ。
ぐるみは、何を想って歌ってるんだろう。彼女は声は優しくて穏やかで、ひいき目抜きに抑揚の効いたいい歌声だ。思わずそれに浸ってしまいそうなのをなんとかこらえながら、手指を口を、腹を喉を動かしていく。
沙織はやっぱり知らなかったんだろうな。ちらりと向ける視線の先、目を閉じて身体を揺らしながら、ただ聞き入ってくれている様子だった。
一曲はおおよそ四分。そもそも普段は歌うことのない僕の喉は、一曲終えただけで少し疲れが見えるけれど。
「わー」
「いいじゃーん。思ってたより上手!」
二人の笑顔と拍手に、素直にやってよかったと思う。口元が緩むのを抑えられない。
もちろん二人が一曲で満足するはずもない。「あんこーる」と気の抜けたコールで次を催促する二人に、僕は少しだけ調子に乗ってギターを構えた。
次の曲はもっと明るいアップテンポなものを。大切な人が落ち込んだ時、忙しなさに余裕をなくした時、「僕」があっちこっちに引っ張りまわして励ます。曲調がとにかく明るくて、優しい歌詞がなんとも沁みる。元気の出る曲だ。
これはどうやら沙織も知っていたらしい。二人がそろって歌い始めるから、僕は歌うのをやめてただギターをかき鳴らす。
二人の華やかな歌声に合わせて、僕は少し弦を強めに弾く。楽しいなぁ。
――なんだか懐かしい。
音楽ってやっぱり楽しいんだな。一人でギターを弾いているよりずっと、こうして人と共有している瞬間が何よりも。音楽に身を委ねて、ただそこに心を乗せていられる。そうすることで、感情までも共有してるみたいだ。
曲数を重ねるたび、思い出が甦る。あの日のあの場所の。
そしてそれは、彼女をあの日に帰してしまったらしかった。
「……ぐるみ?」
「え?」
いつの間にか歌うのをやめて、ただ呆然と僕を見ていたぐるみ。その頬に伝う涙に、最初に気付いたのは沙織だった。
僕には、その理由がわかってしまった。だから、あえて演奏を止めずに歌声を引き継いだ。
ぐるみは涙を拭ってまた口ずさむ。小さく手拍子を加えて、音楽に身を委ねて。
沙織は少し怪訝そうにしながら、結局それに倣うように僕の方へ向き直る。一曲をしっかりと聴き終えるまで、彼女は努めてぐるみの方を見ようとしなかった。
最後のコードを弾き終えて、余韻が後引き、そして消える。
涙でくしゃくしゃになったぐるみの頬を、沙織がパジャマの袖口で拭っている。「ごめんねぇ」と謝るぐるみに、沙織は「んーん」と首を振った。
「懐かしかったね、ぐるみ」
「うん、うん。ぐす……ごめんねぇ、わたしが、わたしじゃないのに」
「いいよ。そんなに好きでいてくれたんだって、嬉しいくらいだから」
僕のレパートリーは、そのほとんどが
ぐるみは、お母さんが大好きだった。みんなが大好きだったから、懐かしい曲の数々に、つい思い出してしまったんだろう。
「……その、紡季さん、の?」
「そう。このギターも、お母さんの使ってたやつで」
「そう、なんだ」
そもそもこのギターを取り出した時点で、なんとなくぐるみの心に何か訴えるものがあったんだろうな。
「ごめんね、せっかく楽しいお泊り会なのに」
「ううん、全然。ぐるみ、顔洗う?」
「うん……じゃありょーちゃん、また後でねぇ」
「うん。沙織、よろしくね」
「任されたー」
ぐるみの肩に手を添えて、沙織は僕の部屋を後にした。
思ってた演奏会とは違ったけど、まぁ、これもまたよし。昔を懐かしんで涙を流せるのも、いわば音楽の力には違いない。
ギターの弦を一つ、二つと何度か鳴らした後、そのボディをひと撫で。もちろんそこに温もりなんてないし、もう「僕の物」になって久しいギター。ゆっくりとケースに戻して、元あった場所に立てかけた。
ため息一つ、ベッドに倒れ込んだ。
二人が座っていた辺りに少し温度が残っている。僕はそれを避けるように寝返りを打って、仰向けに。
ガチャリ、とドアが開いた。首だけで見れば、ネコ耳フードのあやが、仏頂面で僕を見ていた。
「なんとなく、こーなるんじゃねーかと思ってたけど」
「かもね。でも楽しかったよ」
「まー、いーけど」
どかどかと部屋に入って、そのままベッドの隅、ちょうど沙織の座っていた辺りに腰掛ける。
「うるさくなかった?」
「おー。つか、いつもふつーに弾いてるだろ」
「そうだけど。でもそういえば、確認したことなかったなって」
「別にいんじゃね。隣から苦情来なきゃ、なんでも」
隣のうち一軒はぐるみの家だ。それも含めて、苦情が来たことは一度もない。
「……この後、なんかするの?」
「ここでなんかゲームするとか言ってたぞ。そもそもウチが来たのもそのためだし」
「聞いてないんだけど」
「言ってねーならそりゃ聞いてねーだろーな」
「いやそういうことじゃなくて」
僕の許可は? ……まぁ、いらないけど。
少ししんみりしていた僕の中の何かが、少し緩むのを感じる。もしかしてそれを察してくれたのかな、なんて思ってあやを見るけど、なぜかにらまれてしまう。
部屋を見回すあや。そういえば、彼女がこの部屋に入るなんていつぶりだろう。少なくとも「制服」を着てここにいる彼女を見た記憶はない。そこまで前のことなんだなぁ、と思うと、なんだかこんな風にベッドに座るあやが、妙に感慨深くなる。
その背中に、なんとなく、本当になんとはなしに手を添えてみた。怒られるかなぁ、なんて思ってたけど、一度だけ振り返った彼女は、特に気にする素振りもなくまた前を向いた。
小さい背中。でも温かくて、頼もしい。不思議なもので、これはきっと僕の彼女に対する印象もあるんだろうな。
「何甘えてんだ」
「別に、そんなつもりは」
本当は少し図星。やっぱり僕も、ぐるみにちょっと引っ張られてたみたいだ。
「もー二人とも戻るぞ。はずくねーならいーけど」
「それは別に」
「逆にそれでいーんかお前」
シスコンのつもりはなかったけど、どうにも自信がなくなってきた。
僕はあやの背中を一度だけ撫でて、言い訳のように手を下ろした。
思ったより普通だな、と思ったのは以前と同じ。でも、スキンシップも受け入れてくれるのは意外だった。年頃の姉弟なんか、そういうのを避けがちなものと思っていたから。ましてやほんの数週間前まで疎遠だったんだから、尚のこと。
「ゲームってなんかボードゲームとか? それともこう、ゲーム機とかのあれ?」
「ボードゲームだろ。ウチの部屋からいくつか持ってくる」
確かにあやの部屋にはそういうアイテムも色々ありそうだ。小学生の頃から、そういうのは大体彼女の部屋に置くのが「決まり」だった。
そしてどうやら僕もメンツに入ってるらしい。
「……人と、というかゲームなんて久しぶりだな」
「盛り下がるよーなことすんなよな。ばかみてーに騒ぐ練習だ」
「それこそあやにもそんなイメージないけど」
「ウチを何だと思ってんだ」
いや、もちろんあやが明るく楽しく遊んでることは知ってる。部活中も大きい声を出すし、こうしてパジャマパーティーをする時にだってあやの声が聞こえることもある。
そういえばでも、僕の目の前でそんな姿を見る機会ももう随分なかった。
「僕らも、昔みたいに戻れるかなぁ」
「さーな。つか、そんな必要もねーだろ」
「そう?」
「だろ。そんな、山ん中駆け回るような歳でもねーしな」
そういうことじゃ、ないんだけど。でも、あえて反論はせずに「かもね」とだけ返した。
沙織とぐるみが、ボードゲームを山と抱えて部屋に戻ってきたのはそれから二分後のことだ。すっきりとした顔つきのぐるみは、「楽しもう」を前面に押し出したようなウキウキの笑顔で。
「遊ぶぞー!」
「うぃー!」
さっきまでの大人しさが嘘のよう。沙織の掛け声に対しノリノリのあやに、僕はちょっと驚きながらも立ち上がる。
「りょーちゃん、皆で遊ぶの久しぶりだねぇ」
「そうだね。楽しみ」
「うん!」
あやの言う通り、これも練習だと思ってしまおう。ばかみてーに騒ぐ練習だ。
ゲームの道具は一旦床に。その横にクッション四つ、中央にはローテーブルを並べて。
言うなればここからがパジャマパーティー。これまでの空気はなかったみたいに、楽しい一色に塗り替えて。
ゲームの始まりだ。
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