第3話 岩から人が出てきた

「あそこに、逃げ込みます……!」


 早鐘を打つ心臓を抑えつけ、エステルは浮遊カメラに思念を送り視線追従モードに切り替える。

 これでエステルが見ている場所にカメラが向くようになった。視聴者たちにも、光っている横穴が見えているはずだ。

 エステルは逃げるために数歩踏み出して、すぐに立ち止まった。

 急いで石像の前に戻り、突き刺さっている剣の柄を右手で握り締めた。


〈何してんの!?〉

〈早く逃げろよ!〉

〈ドラゴン来てる来てる!〉


「何かあったときのために、武器があった方が、良いかと思いまして……! 他のモンスターが、いないとも限りませんし」


 この状態で武器もなくモンスターと遭遇すれば、確実に殺される。 

 素手でモンスターに立ち向かえるほど、エステルは強くない。

 だが、この剣があればまだ戦える可能性がある。


〈すまん、確かにそうだわ〉

〈他のモンスターに襲われたら意味ないもんな〉

〈エステルが正しい〉

〈悪かった〉


「謝らなくて、大丈夫ですよ。心配して下さってるって、分かってますから」


 しかし剣はびくともしない。

 そういえば「この剣は魔道具なのかも」と考察している人がいた。

 エステルは祈りを込めて魔力を注ぎ込む。

 すると、まるで剣に巻き付くように、赤と黒の靄がくるくると渦を巻きながら出現した。

 その禍々しさに少し恐怖心が生じたが、エステルはためらいを捨ててもう一度引っ張る。

 今度は、剣は呆気なく引き抜けた。


「やった! これで————いッ!?」


 突然鋭い痛みが走り、言葉を続けられなかった。

 痛みは右手首から感じる。エステルは視線を向けた。




 ——剣の持ち手部分が獣の口のように変形していて、エステルの右手首に牙を突き立てていた。




 え、と思った瞬間、グチャリと右手が喰い千切られた。

 肉片と剣が地面に落下する。

 右腕の断面から赤い液体が溢れ出す。

 鉄錆の匂いが立ち込める。

 焼けるような激痛が頭を突き抜けた。


「ああ、あああああああぁぁあああ!?」


 エステルは右腕を押さえてうずくまった。

 ——嘘嘘嘘右手が痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ……!

 頭が壊れるほどに、身体の一部を失った激痛と恐怖が荒狂う。


〈は!?〉

〈何だよこれ!?〉

〈罠だったのか!?〉

〈やばいやばいやばい〉

〈ドラゴンが来てるとにかく逃げろ!〉

〈逃げられる状況じゃねえだろ!〉

〈どうすんだよ!?〉


 ズドン! と空間を振動させる重低音が轟いた。

 エステルは本能的な恐怖に突き動かされて振り返る。

 崩壊した岩壁の中から、ゆっくりとドラゴンが現れた。

 エステルを丸呑みにできそうなくらい巨大な、ワニのような見た目のドラゴン。

 心臓が凍りつくような恐怖に、エステルは息を詰まらせた。


「あ、あ……」


 ドラゴンが猛るように吠え、口を開けながら突進してきた。

 死ぬ——エステルには、その光景がやけにスローモーションに見えた。

 スローに見えたところで、何も変わらないのに。

 死ぬまでの恐怖が引き延ばされるだけなのに。

 怪物の牙が迫る。

 どうして、せっかく希望を持ち直したのに。

 涙が溢れる。

 痛い。怖い。嫌だ、死にたくない。誰か——。


「誰か、助けて……」




「——了解だよ」




 ふわりと、誰かに抱き締められた。

 そのまま景色がぐるりと回る。

 急激な視点移動に頭がぐわぐわする中、ドラゴンが眼前すれすれを通過した。

 烈風が前髪を揺らす。

 ドラゴンの突進を回避したのだと、遅れて理解が追いついた。

 ドラゴンはその勢いのまま、暴走特急のように壁に激突してめり込んでいた。


「酷い怪我をしているね。ちょっと待っててね」


 優しい声が鼓膜を揺らす。

 そっと、エステルは地面に座らせられた。

 状況が分からないまま、エステルは左腕のスマホを見る。

 浮遊カメラはエステルの視線に追従しているため、頭上からかんする形で映像が流れていた。

 その視点によると、エステルよりも色の薄い金髪の男性が、懐から緑色に光る宝石のようなものを取り出したところだった。


「——〈ヒーリングライト・サンクチュアリ〉」


 パキン、と乾いた音を立てて結晶が砕け、光の粒となってエステルに降り注いだ。

 温かなシャワーを浴びているような心地良さが広がり、次の瞬間には千切れた右手すら元通りになっていた。


(っ!? なんて強力な回復魔法なの……!?)


 驚愕するエステルを守るように、男性が前に歩み出た。

 その後ろ姿を、エステルは呆然と見つめる。


〈何が起きた!?〉

〈エステル生きてる?〉

〈誰?〉

〈岩の中から出てきた男がエステルを助けた〉

〈どゆこと!?〉

〈この綺麗な光は回復魔法?〉

〈だろうね。こんなの見た事ないけど〉


 洪水の如く流れるコメント。視聴者たちも混乱しているようだった。

 当然だろう。

 当事者のはずのエステルにも訳が分からない。

 突然現れて助けてくれたこの人は、一体誰なのか。

 だが、体勢を立て直したドラゴンがこちらを睨んだ瞬間、恐怖で疑問は全て消し飛んだ。

 地を震わすほどの咆哮。

 ドラゴンが吠えながら突っ込んできて——。




「——〈希望の光よ、闇を破壊せよLux spei, dele tenebras.〉」




 目の前の彼が、何かを唱えた。

 瞬間、頭上に遥かな青空が広がり——眼前まで迫っていたドラゴンに、巨大な光線が降り注いだ。

 ドラゴンの巨体を呑み込むほど広範囲に及ぶ金色のレーザー。

 眩い光輝、轟音と衝撃の濁流に揉まれ、エステルは腕を盾にして目をかばう。


「……今はこの程度か」


 呟きが耳を掠めて、エステルは恐る恐る目を開いた。

 地に沈み半ば光の粒子と化しているドラゴンと、自身の右手のひらを見つめる男性の後ろ姿。

 頭上に広がっていた青空は何事もなかったかのように消えて、元の岩の天井に戻っていた。


〈えっ一撃でドラゴン倒した!?〉

〈一瞬で粒子化させるほどの威力かよ!?〉

〈魔法? だけど魔道具使ってたか?〉

〈詠唱はしてた。魔道具は知らん〉

〈何語だった?〉

〈謎言語〉

〈少なくとも大陸共通語ではなかった〉


 モンスターは体内にある魔石を破壊、あるいは抜き取られると機能停止する。

 その後は一定時間が経過するか、許容を超えるダメージを受けると光の粒子と化して消滅する。

 つまり、今男性が放った一撃はドラゴンをオーバーキルするほどの威力があったという事だ。

 おまけに魔道具を使用した様子もなく、謎の言語による詠唱もあった。

 その状況に混乱する視聴者たち。

 だが、エステルは一つの予感に思い至り心臓を跳ね上げさせた。


(今の、魔法は……)


 とある人物に関する史料にあった描写に酷似していた。

 探索者であれば誰もが知っている人物。

 あり得ない、と理性が否定する。

 その人は百年前の人物のはずだ。

 しかし一方で、彼ならばこの不可解な現状も全て説明できてしまうという、謎の説得力と納得感もあった。

 エステルは唾を飲み込んで、声を絞り出す。




「勇者……バート・リモナード?」




 男性がピクリと反応して振り返った。

 視線がぶつかり、エステルは目を見開く。

 透き通るような金色の髪と同系色の瞳。

 柔和な印象を与える穏やかな目元。

 彼はエステルとそう変わらない年齢——十代半ばくらいに見えた。

 想像していたよりもずっと若い。それに、何より——。


(か……)


 エステルは息を呑んで、少年の顔を見つめる。




(かっこいいっ……♡)




 ——彼の顔は、エステルの好みどストライクだった。






☆—☆—☆





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