#第2話

「お父さん....?」私の声が壁で反響する。


 部屋は大きく、がらんどう。部屋の中にあるのは4脚のパイプ椅子だけだ。あとは奥までずっと柱が立ち並んでいる。ウチの学校の地下にこれほど広い場所があったとは驚きだ。天井は高くもなく低くもない。あまりにモノがないので人が普段から出入りしているようには見えないが、埃一つない、乾いたきれいな部屋だった。しかし明かりは薄暗く、決して居心地がいいとは言えない。


 扉にロックがかかる音が、やけに大きく響いた。


 私は焦れったくなって璃梨佳りりかに尋ねた。

「一体全体、何が起きているというの?私に何かするつもり?」

 しかし、璃梨佳が口を開く前に、ダークスーツの裾を払いながら東風谷こちたに先生が立ち上がった。


「ようこそ市川いちかわ結衣ゆいくん。私のことは知っているね?情報科の東風谷健一郎けんいちろうだ。毎週金曜日、授業で会っているね?いきなりこんなところに連れて来られて困惑しているだろうが、話を聞いてもらいたい。まあ座り給え」


 私は眉を顰めながら椅子に座った。「はあ?」


「まずはやり方が少々強引だったことを詫びたい。すまなかった。安全のために最小限の情報しか伝えられなかったのだ。御門くんを責めないでくれたまえ。誘拐だってできないこともないが、できるだけ事を穏便に済ませたかったのでね」


 そう言って東風谷先生は頭を下げた。私はため息を吐いた。


「というかこの状況マズくないですか?これ、普通に誘拐じゃないですか?」私にできるせめてもの抵抗だ。


「別に、これはあくまで<部活>の一環だ。違うかね?誘拐であることを示す証拠は?カメラの映像でもあるのか?君が暴行を受けた痕跡でもあるか?学校の敷地内から一歩も出ていないのに何が誘拐なんだ?」


 私は唇を噛んだ。「そうですね。じゃあ進めてください」


「納得してくれたのならば話を始めよう。改めて名乗らせてほしい。私は戦略情報庁長官官房長の東風谷だ。浅学な君たちのために教えておくと、戦略情報庁、内閣直属の情報機関、俗に言うスパイ組織のNo.2だ。暗闇を見透かし、敵を知るのが私の本職だ。この学校の教師、というのは表向きのものに過ぎない」東風谷先生が歩き回りながら言う。


「カンボウチョウ...蝶の一種なのかしら」と璃梨佳が呟く。多分違うだろうが、私もカンボウチョウが何なのかは分からなかった。東風谷先生は璃梨佳の呟きを無視した。


「さて、市川くん、君の知識をテストさせてもらいたい。なあに、君が今現状をどれだけ知っているかを知りたいだけだ」東風谷先生が微笑んだ。


「君はこの国を分かつ東西の情勢に関してどれほど関心を持っているかね?あるいはどのような認識をしているか?」


 状況が飲み込めないまま、私は探り探り話し始めた。「えーっと、確かこの国は80年前に戦争に負けてから2つに分けられ、東京は東西冷戦の最前線になった。いざ東が戦争を仕掛けてたら東京は火の海となるから、再び戦禍を被ることのないよう、私たちは東西の現状を維持し、平和共存の道を探り続けるしかない、そう教わってきました」


「そうだな、学校ではそう教えているはずだ。さて、確かに平和共存は合理的だ。両者の力が拮抗している場合には。事実ここ数十年は我ら西側と東側は軍事的に拮抗していた。東の武器よりも西の武器のほうが圧倒的に近代化されていたにもかかわらず、だ。東は常に西を数で上回り、西は常に東を質で上回る。そういう時代が東西分立体制のもとで長く続いた。そういった中で我々は...」


 話は続く。「東は新しい革新的な軍事・諜報・防諜技術を確立した模様である。その技術は全く持って未知のものだ。詳細を話すと長くなるが...」


 まだ続く。「...これまでは西側が科学的にリードしていたおかげで、東西情勢は安定を保っていたが、仮に東側が軍事的優位性を確立すれば、確実に祖国統一を国是とする東側は西側に侵攻し、東京は東側地区、西側地区問わず火の海と化すだろう。そして...」


 まだまだ続く。璃梨佳は舟を漕ぎ始めている。「更に過去3ヶ月にわたり、東側における戦略情報庁の作戦がすべて失敗した。情報漏洩ろうえいがあったのは明らかだ。だが、戦略情報庁内に内通者がいるにしても、それだけで作戦を失敗させるには足りない。明らかに内部へのハッキングがあった。防諜部は今、内通者探しに躍起になっているが無駄だろうな。そもそも防諜部はだな...」


 ついに私はしびれを切らした。「ちょっと待って先生、話が長いです。私に何をしてほしいのか端的に話してほしいんですけど!」

 東風谷先生は遮られるとは思わなかったのか、虚を突かれたかのように瞬きした。「あぁ、それじゃあ、ここからは市川君に話してもらおう」


 父が話し始めた。「江戸時代より、この国には情報収集を生業とする集団がいたんだ。その名を、御庭番おにわばんと言う。江戸の将軍に仕え、大名の領地に潜入して、様々なことを報告した者たちのことだ。一つの家だけじゃない、何家もあったんだ。そしてその後江戸幕府がなくなったとき、彼らは幕府から朝廷に移った。それ以来、御庭番はこの国を影ながら支えてきた。そしてその子孫が君たち、というわけだ」


 私は思わず立ち上がった。「子孫?私が?お父さん、そんなこと一言も話してなかったけど」

「驚くのも当然だ。だがこれはあまりみだりには話してはならないことだった」

「そんなに秘密なの?」

「東西に分断されたとき、御庭番の各家は一つの盟約を結んだ。互いに戦わず、協力する、と。決してこの国を再び戦火に巻き込むことのないよう、国が2つに分かれてもお互いに協力し、情報交換を行う。目的はただ一つ。二度と戦争を起こさない」


 そこで父も立ち上がり、右手の人差し指と中指を立てた。「西側で御庭番の存在を知っているのは当事者たち以外では2人だけだ。戦略情報庁長官と戦略情報庁長官官房長。総理大臣でさえ知らない、まさに戦略情報庁の隠し刀だ」


「...どうして総理大臣にも知らせないの?一番偉い人でしょ?」


「議会の都合で頻繁に代わるような人に知らせてしまうと情報が漏れかねない、という判断が昔にあったようだ。それはさておき、戦略情報庁は西側にいる御庭番の各家に、救援要請を出した。とはいえ、市井に埋もれているものもいれば、私のように戦略情報庁で働いている者もいる。御庭番の子孫たちは社会のいろんなところにいるんだ。それでもほとんどの家から承諾の返事がきた」


 父は声を低めた。

「先程官房長が話してくださったように、今、東側は未知の科学技術を確立し、我が国への武力侵攻を企てている。事実、北関東では今年に入ってから大規模な軍事演習が繰り返されている。テロ事件も去年起きた件数を既にこの4月までだけで上回っている。いくらなんでも今日明日の侵攻はさすがにないだろうが、5年、10年のスパンで考えればいずれ確実に東は我が国に侵攻してくるであろう、というのが我々の見立てだ」


「それで私たちを?」


「ああ、そうだ。もちろん血筋だけで選ばれたわけではない。才能がありそうな者を選りすぐった。その中のひとりが君や御門のお嬢さんだ」そういって父は璃梨佳を指し示した。「今や常識は通じない。ならばこちらも常識はずれの存在をぶつける。科学の力で圧倒しようとするなら、こちらは人間の力で対抗する。君たちのような若い人たちの、常識に囚われない、並外れた才能を、ここで活かしてほしい。」


「私に何の才能があるというの?」

 私は首を傾げた。


「結衣は、友達が多い。ただ友達が多いだけじゃなくて、人の心を掴むのがうまい。面倒見がいい。誰とでも仲良くなれるし、他の人から話を引き出すのも上手だ。特に他の人から話を引き出すことができる力、これはスパイとして重要な才能だ。それだけで、君には資格がある。もちろん、スパイには他にも色々な能力が必要だが、足りないところはチームでカバーしあえばいい。結衣や御門のお嬢さんだけじゃない、他にも仲間がいるんだ。どうだ、やりたくならないか?自分の力を試すチャンスだと思えばどうかな?」


 私に拒否権があるようには思えない言い方だ。「嫌だと言ったら?」


 東風谷先生が立ち上がり、私に迫ってきた。

「市川くんはこんな簡単なこともわからない無知蒙昧もうまいやからなのかね?」東風谷先生は平然と言った。「いわば我々は君に対して弱みを見せたわけだ。本来部外者が知り得るはずのないことを。これの意味が分かるね?」


 ゾクッとした。「私を手に掛けるとでも?」


「半分正解だ。君は一生我々の監視下に置かれ、もし少しでも情報を漏らそうものなら、君の意識の外から君を殺すことになる。はたまた敵組織に付け狙われるリスクだってある。逆に君が我々の提案を受け入れてくれたら、君は我々の保護下に置かれるだけでなく、生活、学業、ありとあらゆる面における全面的なサポートを提供する。それだけの価値があるのだ、この御庭番の招集は。戦略情報庁が繰り出せる乾坤一擲の技だ」


 東風谷先生がにやりと笑った。

「でも、市川くんにとっても悪い話ではないと思うがね。御門くんのことは友達として大事なんだろう。一緒にいる時間が増えるし、大事な友人を助けることにもなる。君も知っているだろうが、御門くんはシャイでね、誰にでも心を開くわけじゃない。」


 東風谷先生がズイッと近づいてきた。「だがしかし、チームではコミュニケーションが大事だからな。彼女の足りないところを補ってやってほしい。」


 東風谷先生は更に迫ってきた。「逆に御門くんは君の足りないところを補ってくれるだろう。今は嫌かもしれない。御門くんをおめおめ死地に送ることになるかもしれないのに、それでも断るかね?」


「うっ...」断りきれなくなってきた。「り、璃梨佳はどうなのよ?」


「私はやりたい。というか、結衣と一緒じゃないと嫌かも」

「...前々から思ってたんだけどさ、何で璃梨佳はそんなに私のことが好きなの?信頼してくれるの?」

「私の直感。この人は大丈夫、そう思っただけ」璃梨佳が私の目を覗き込んできた。途中で思わず立ち上がった私と違い、璃梨佳はずっと座っていたので自然と璃梨佳は上目遣いになる。


 不覚にも、璃梨佳を守りたいと思ってしまった。肉に火を通しきることすらできず、車には轢かれかけ、それでも皆の前では虚勢を張って、王子様ぶる、この生き物を。


 全く仕方のない子だ。そう思いながら私は口を開いた。思いの外、掠れた声だった。


「わかりました。やりましょう」


 東風谷先生がうなずいたと同時に、璃梨佳が飛びついてきた。「やったぁ!結衣、大好き!」


 飛びついてきた勢いで私はよろめいたが、なんとか璃梨佳を受け止めた。璃梨佳を抱きしめながら私は訊いた。


「ところで先生、私たちは一体戦略情報庁の何に所属するんですか」


「ああ、言っていなかったな。組織の名前は、官僚風の言い方をすれば、戦略情報統合解析運用室。通称は<ONIWABAN>だ」


 ---


 図書館を出ると夕日が眩しい時間帯だった。


「いやあ、忍者ごっこだよ。ワクワクするねえ」璃梨佳がやけにキラキラした目でこちらを向いた。

「何であんなに私を誘う前にもじもじしてたのに、何で今はそんなノリノリなのよ」

「いやあ、友達をワナにかけるのも大変だねぇ。結衣の保護欲が刺激されたでしょ?」と璃梨佳が満面のニヤニヤ顔をしてきた。

「ああっ!誘ってきたのも込で全部演技だったのか!ひどい!」

「えへへ、そうだよ」

「よしじゃあ罰として、私からキャラメルマキアートを奢る約束はなしにしよう」

「うわああ、それはひどい、お代官様!どうかお情けを!」


(第2話 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る