TOKYO TEENAGENTS
月野陽加利
邂逅篇
#第1話
「...
朝6時半、スマホのアラームで起きると、リビングのテレビが点きっぱなしで、テレビではワイドショーをやっていた。案の定、ソファにはテレビ点けっぱなし事件の犯人と思しき私の父親が眠っていた。しかもなぜか片足だけソファの背もたれに上げている。どうやったらこんなヨガみたいな格好になるのだろうか、恐ろしいまでの寝相の悪さだ。この国が東京を跨いで東西に分断されて80年、いまだ血なまぐさい話が絶えない、なんて話よりも父がテレビを点けっぱなしにして寝落ちするクセがいまだ治らない方が今の私にとってはよほど重大事だ。
「お父さん、おはよう。もう6時過ぎてるよ。いつまで寝てるの」返事なし。汗臭くて嫌だが揺り起こしてみる。
「うん、んー?なに?」と父の寝ぼけた声が返ってくる。
「お、は、よ、う。もう6時よ!またお風呂にも入らずにソファで寝てたでしょ。テレビも点けっぱなし!どうせすぐに寝落ちするくせにテレビ点けるのはやめてって言ってるでしょ!」
「はい、はーい」
「んもう、聞いてないでしょ」
また眠りに戻った父親に構っていたら学校に遅れてしまうので、さっさとリビングからキッチンに移動して朝食の準備をはじめた。
パンをトースターに放り込み、手早く卵を割って溶き、油を引いたフライパンに流し入れる。冷蔵庫からカットサラダを取り出し、皿に盛り付ける。パンが焼けて卵焼きができれば、とりあえず父の分の朝食はこれでどうにかなる。私の分に関してでいえば、冷蔵庫からもずくとヨーグルトと酵素ドリンクとサラダチキンと野菜ジュース、あと焼いている途中のパンをもって朝食は完成だ。品数でいえば私の方が豪華なように見えるが、父の朝食の方が愛情が籠もっているので、トントンだ。パンが焼け、お皿をテーブルに並べ、手を合わせてから食べ始める。
「本当にこんな話うんざりですよねェ。もしかしてこれェ、東の自作自演とかじゃないんですかァ?私たち西の国民を騙そうとしてるんじゃないですかァ?」テレビで女性タレントが話し始めた。しかし、爆破事件など朝から見るには少々刺激が強すぎたので、テレビを切った。サブスクでアニメでも見とけばよかった。
ここ1年ほど、ウチの父親はほとんど家にいない。合格発表のときにも来なかったし、入学式のときにも来てくれなかった。どれだけ忙しくても、さすがに一人娘の進学くらい祝ってほしいものだ。一昨年に母を亡くしてから、父は仕事に逃げるようになった。1ヶ月のほとんどは出張で家にいない。今日みたいに珍しく家に帰ってきていても、テレビが点いたままで、父はソファで寝落ちしている、みたいな感じでろくにコミュニケーションがない。どこのご家庭の父親もこれぐらいの年頃の娘を抱えていれば、コミュニケーションに困ると聞くが、ウチはまだ喧嘩していないだけマシだろう。一度どういうつもりなのか問い詰めたい気持ちもあるが、流石に地雷な気がするので今のところは我慢している。
---
身支度を済ませ、家を出た。父はまだソファで眠ったままだ。
「行ってきます」
返事はなかった。いつものことだけど、こういうことはちゃんと言っておかないと。
家を出て、駅で電車に乗った。「...本日も、山手線をご利用くださいましてありがとうございます。この電車は、大崎行き、大崎で折り返します。次は、渋谷、渋谷。お出口は左側です。」
高校生活が始まって1週間余り。ようやく道に迷うこともなくなり、渋谷も乗り換えくらいならどうにかなるようになった。渋谷に行くときは誰かと一緒に行くことが多かったので、自分ひとりでは案外道に迷うのだ、ということを最近知った。
田園都市線に乗り換え。降りるのは4駅先。それまでの間、スマホでも見て時間を潰すことにした。特に何の気無しにSNSを開く。
「@ unitefighter
これ絶対に東のプロパガンダ。政府は東に対してもっと強硬な態度を取るべき。弱腰外交の現政権は今すぐやめろ。」
いきなりタイムラインにヤバそうな投稿が出てきてしまった。最近SNSのアルゴリズムはどうもおかしい。健全な女子高生のSNSのタイムラインに流れてくるにはあまりにも不愉快なのでとりあえずブロックしておく。二度と出てこないでほしい。
いきなり嫌なものを見せられてしまったのでスマホを閉じた。朝の通勤通学の電車の混み具合には未だ慣れない。
---
駅から学校までは8分。地下ホームから階段で地上に上がった。遅刻しそうなとき、何回かここで階段ダッシュしていたけれど、今日は余裕だ。桜の季節は思いの外早く過ぎ、街路樹はすでに新緑に包まれている。迷ってもちゃんと時間通りに学校に来ることができるよう、ここ数日は早めに出ているが、今日は珍しく迷わずにここまで来たので、意図せずかなり早めの時間に着いてしまった。そのせいか、通学路を歩く生徒の姿はまばらだ。
前に身長がそこそこある一人の女子生徒が歩いている。歩きスマホをしているのだろうか、歩く速度が遅い。あまりにも遅かったので、交差点の前で追いついた。追い越しざまに見えた顔はハッとするほどに美しかった。大きな目に、すっと通った鼻筋。そしてこの世のものとは思えないほどに滑らかな肌。...この顔には見覚えがある。
信号が青から赤に変わった。私は立ち止まったが、少し後ろを歩いていた彼女は歩みを止めなかった。彼女は交差点に足を踏み出した。信号が赤に変わったことに気づいていないのか。さすがに危ない。ここは交通量も多いので、車がやってくれば確実に轢かれる。さすがに眼前で交通事故が起きるのは看過できない。というか車が来た!慌てて私は彼女のブレザーの襟を掴んで引っ張った。
思っていたよりずっと彼女は軽かったので、力を込めすぎて後ろに倒れ込みそうになった。バランスを取り戻すことができたので、転倒するまでには至らなかったが。
間一髪、車が前を通り過ぎていった。
私は彼女に話しかけた。「ねえ。どこ見て歩いてんのよ」
「んー、ちょっとぼーっとしてて。ありがとねっ」
「少しは気をつけなさいよ?歩きスマホは危ないわよ」
「はぁい」随分気の抜けた声だ。
ところで、私はどうしても確認しておきたいことがあった。この見覚えがありすぎる人物についてだ。
「あなた、
「そうよ?」それがどうしたとでも言わんばかりの表情だ。
「御門璃梨佳といえば才色兼備、文武両道の象徴みたいな人じゃなかったっけ。なんでこんなボケーッとしてるのよ、らしくない。本当に御門璃梨佳?」
「あー、なるほどね。私やっぱそう思われてんだ?でも、今君に関しては化けの皮が剥がれちゃったわけね。安心して、私が正真正銘、御門璃梨佳よ」
「化けの皮って」
「まあ私だって高校デビューしたかったわけで、そうなると仮面の1つや2つ被るでしょう?もしかしてあなたも私のファンなの?」
---
この御門璃梨佳という人物、学年中の有名人である。体力テストですべての男子を抜き去って50m走1位になったこと、学年首席であること、学期初日に数十人の男子に告白されて全員断ったこと。これらの伝説は全て、クラスの複数の友人を通じて私の耳にも入っていた。少なくとも、男子にモテるという噂は本当のようだった。実際に断られて生気を失った男子を廊下で実際に何人も目撃したからだ。ただ、ここまで断っていると彼女には白馬の王子様がすでにいるのかしらとさえ思ってしまう。
正直、仲良くなりたかった。あんな才能の塊みたいな人間、話したら絶対に面白いに決まっている。でも、始終彼女を崇め奉るファン、というか信者があまりにも邪魔だ。落ち着いて話したい。それに彼女の腰巾着のようになるのも嫌だ。あくまでちゃんと友達になりたい。
つまり、これはチャンスだ。御門璃梨佳を、交通事故から救ったという今の状況は。周りには誰もいない。話し放題だ。
---
一度素直に言ってしまうことにした。「うーん、ファンというよりかは、あなたと友達になりたいな、とは思ってた。ねえ、とりあえず歩きながら話そうか」
「それはそうね。学校に行く途中だったんだもの」
璃梨佳の顔に笑みが広がった。「それにしても、私と友達になりたいの?やったぁ!」
私は驚いた。「なんでそんなに嬉しそうなの?友達なんかよりどりみどりでしょ?」
「と、思うじゃない?でも案外そうじゃなくてね、なんか「璃梨佳様~!」とか「今日はどんな活躍を見せてくださいますの?」とかそんな感じで、お友達になってくれるわけじゃないのよねー。なんか、私と対等でありたいとは思わないみたい。なんでだろねー。皆もっと自信持てばいいのに!」
得心がいったので私は頷いた。「あー、なるほどね。分かる。何回か学校で見かけたことあるけど大体そんな子ばっかりに囲まれてるよねとは思ってた」
「やっぱり初日にカッコつけた感じでいっちゃったから...」
「今更どうしようもない、というわけか...」だんだん我慢ができなくなり、私は吹き出した。「なーんだ、ただの高校デビュー大失敗したバカじゃない!」
「うん、そうなのよ。ところであなた
「よく知ってるわね、他クラスなのに?」
「いやぁーそのー、えーっとねー」急に恥ずかしそうに髪をいじり始める。それにしても璃梨佳の髪はうるさら髪できれいだな。癖がないのは羨ましい。
「何なのよ?もう化けの皮バリッバリに剥がしちゃったんだから素直に言っちゃえばいいじゃん」
「...前から気になってたから」
「えなにそれ告白?」私は思わず体を引いた。
璃梨佳は途端にあわあわし始め、そして早口になった。「そういうのじゃないけど何と言うか、可愛い子がいるなとは思ってたから名前は調べてたの。だからいつかちゃんとお話したいなとは思ってたというかなんというか」
「おお、認知されてたんだ。私も有名人だな!」
璃梨佳がこちらの目を覗き込んでくる。「そういうわけで、お友達になってくれたら嬉しいなっ」
「こいつ、自分が可愛いって分かってやってきてるなっ!」
「えへへバレちゃった?」
そんなわけで私と璃梨佳は友達になった。人間が仲良くなるきっかけ、それは思わぬところに転がっているものだ。
「いやーそれにしても交通事故に遭いかけてラッキーだった!」
「何言ってんのよもっと命大事にしろぉ!」
「はーい!でもまた同じ感じだったら助けて、なーんてね」
---
璃梨佳フィーバーも少し収まり、ようやく落ち着いて2人で話せるようになった、4月の中頃。とはいえ、璃梨佳いるところ常に人あり、である。
璃梨佳と私の2人で持ってきたお弁当を食べるため、中庭に向かう途中。璃梨佳を見かけて集まってきた女子が階段で足を踏み外した。
璃梨佳はすぐに手を差し伸べて階段から落ちないようにした上で、声をかけた。「おっと危ないところだったね。あんまりボクのことばっかり見てたらダメだよ?」
璃梨佳はこういう王子様な発言をナチュラルにする節がある。璃梨佳は上背があるので、そのことも手伝って王子様な雰囲気に拍車をかけるのだろう。言葉遣いまで王子様風、一体何のキャラを気取っているのか。
でも、「王子様」にも息抜きの時間が必要なのだろうか。一度弱みを晒してしまった私には随分心を開いてくれているようだ。
「璃梨佳は誰にお弁当作ってもらってるの?」
「うーん、自分でかなあ。一応。」
「へぇ、そっか。あのさ、ちょっと聞きにくいな、って思ってたんだけど、璃梨佳ってもしかして、料理苦手な人?」
「え?そうかな、そんなことないと思うけど」
「そのハンバーグ、生焼けよ。真ん中が赤いじゃない」
「わっ、本当だ!やっぱり急いでたのが良くなかったのかなあ」
「私は一体何回璃梨佳の命の危機を救わなきゃいけないんだろうね」と私は笑った。「こんなに目が離せない人初めて見た」
「...面倒だと思われてる?」璃梨佳は傷ついた顔をしていた。
「ごめんごめん、そういう意味じゃない。毎日色々あって楽しいよ、ってこと」
「あー良かった。嫌われてなくって良かったよ」璃梨佳は安堵したようだった。
「まさかそんなわけないじゃない。でもそうね、言い方が悪かったかも。よーし、お詫びに今度キャラメルマキアートを奢ってあげよう」
「やったね!」
昼食を食べ進めること10分。さっきから璃梨佳がどうもそわそわしている感じがする。
「ねえ璃梨佳、どうしたの?何か言いたいことがあるのなら言ってほしいんだけど」
璃梨佳は目を見開いてびくっとした。
「ええっとね、そう...あのね。結衣に、お願いしたいことがあって」
「ほう、どうしたの?」
「今日一緒についてきてほしい場所があって」
「うん、どこに?」
璃梨佳は指をいじり始めた。
「この前から体験入部が始まったじゃない。それで結衣と一緒に行きたいなというか、結衣と一緒なら心強いかな、って思ってる部活があって」
聞くと、情報科の
璃梨佳と私は別のクラスだ。だから、授業は別々に受けることになる。私はクラスに友達が多いので、別に璃梨佳一人がいなくても喋る相手に困るということは基本的にはない。でも、やっぱり寂しい。なかなかあの子ほどキャラが濃くて存在感がすごい子もいないので、璃梨佳がいないときの私は何だか欠落感を感じるようになっていた。もっと色々関わることができる機会がないものかしらと思っていたところなので、私にとってもありがたかった。断る理由はない。
「いいね、行こうか」
私は璃梨佳に、何の
---
午後の授業中、せっかくなので璃梨佳が言っていた「競技プログラミング部」とは何かを知るべく、部活動紹介パンフレットを机の下で開いた。
華道部......空手部......競技かるた部......軽音楽部......剣道部......硬式野球部......
これはおかしい。確かにすべての部活がこのパンフレットには載っているはずなのに見落としたか。いや、もう一度見ても「競技プログラミング部」はなかった。もしかして「競技かるた部」だったかとも思ったけれど、璃梨佳は確かに「競技プログラミング部」と言っていた。もしかして架空の部活なのか。架空の部活で私を釣ろうとしているのか。でも、何のために?詐欺、罠、脅迫、誘拐、それとも......。ということは璃梨佳がもじもじしていたのにも理由があったのか?あれは恥じらいでもなんでもなく、友人を騙すことに躊躇いを覚えていたということなのか?考えれば考えるほど、不安が膨らんでいく。しかし、考えるにはあまりにも材料が少ない。とにもかくにも放課後、約束通り中庭で璃梨佳と待つことにした。真相を知るためにも、もうこうなったら飛び込んでみる他ない。
約束の時間ぴったりに璃梨佳は現れた。璃梨佳によると、どうやら部室は図書館棟にあるらしい。地上2階、地下2階建て、これがウチの学校の図書館だ。高校の図書館にしては随分立派だ。
受付で璃梨佳が図書館の司書さんに用件を伝えている間、私は璃梨佳の横で、図書館の中を観察していた。なんで部活の話を図書館の司書さんにしているのだろうか。
司書さん(月谷さんという名前だった)の案内でエレベーターに乗る。いろんなボタンを連打する月谷さん。そしてそわそわした顔をしている璃梨佳。私一人が置いてけぼりで、物事が奇妙な方向性へと動き出していく。
エレベーターが下降を始めた。地下1階を通り過ぎ、地下2階も通り過ぎた。地下2階までのはずなのに一体どこまで降りていくのか。
すぐにエレベーターは停まり、そして開いた。月谷さんに続いてエレベーターを出るとそこには大きな鉄の扉があった。鉄扉には白い文字で<B5F 閉架書庫>と刻まれていた。
月谷さんがカードリーダーにカードを当てると、ロックが外れる音がした。
「私が案内できるのはここまでです。ここから先はお二人だけで」
「月谷さん、ありがとうございました」璃梨佳の顔は緊張で強張っていた。
璃梨佳が扉を開けて部屋に入る。厚い鉄扉の先には4つのパイプ椅子があった。2つは既に埋まっていた。そこに座っていたのは、一人は東風谷先生。もう一人、その人物は私にとって東風谷先生よりも遥かに見覚えのある顔だった。
私の口から言葉が零れ落ちた。「お父さん...?」
(第1話 完)
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