第4話 白川真璃子②

午前11時 白川真璃子邸前


白川真璃子の自宅は、閑静な住宅街にあった。

豪邸が並ぶ中で、白川邸はややこぢんまりとして見えるが、一般的な感覚では十分すぎるほど立派な邸宅だ。

そこには、彼女が積み上げてきた努力の跡がはっきりと表れていた。


「ここだと、みんなうるさい車に乗っているからな。

 君のうるさい愛車も目立たない」


白川邸に来客を告げるメッセージを送信しながら、神谷は周囲を油断なく見渡す。


「これだけ騒がしいと、難聴にならないのか」


綾瀬の口調はいつも通り平坦だった。

もっとも、彼女の内心が平常かどうかなど、神谷には分からない。

少なくとも表面上は、彼女は“通常運転”だった。


「返事はないな。どうする、調査官」


「管理AI。AI調査官権限により、自宅を捜索する。開錠を」


神谷の指示に、管理AIは即答しなかった。


《本邸は民間の敷地です。

 AI調査官であっても、無制限な権限行使は越権行為とみなされます。

 どのような形で権限を行使されるのか、ご説明ください》


「白川部局長が、私との約束を違え、AI倫理部局に登局していない。

 それに関して、事前連絡もなく、現在も連絡が取れない。

 彼女の行動履歴から推測して、何らかのトラブルが発生した可能性が高い。

 AIさんの推定はどうだ?」


神谷が答える前に、綾瀬が口を挟んだ。


「統計的推定で答えてくれたまえ」


管理AIは数秒沈黙したのち、応答した。


《過去20年の行動履歴から推定しました。

 本邸の家主にトラブルが発生している可能性は高いと判断します。

 私は内部の様子をモニターできません。

 内部状態の確認をお願いしてもよろしいでしょうか》


「ああ、もちろんだ。何かあれば即応する」


綾瀬が軽く引き受けると、門扉が自動で開いた。


「神谷くん。

 権力を振りかざす前に、頭を使わないとな」


綾瀬が先に進もうとした瞬間、神谷は彼女の腕を取って制した。


「調査官権限は拒否するのに、どうして綾瀬の言うことは聞いた?」


振り返った神谷に対し、綾瀬は人差し指を立て、左右に振る。


「AIさんに理解しやすい言葉で話すのだよ。

 統計推定から外れ値を示せば、AIには異常事態だと即座に伝わる。

 人間のように権威や感情に訴えるのは、誤りだ」


「……いい学びを得たな、神谷捜査官」


神谷には完全には理解できなかったが、

綾瀬が“普通ではない研究者”だと言われる理由を、少しだけ思い出した。


だが、今はそれを考えている場合ではない。


神谷は白川邸の玄関ドアに手をかけた。

ロックが解除されたのかあるいは最初から施錠されていなかったのか。

扉は抵抗なく開いた。


邸内は静まり返っていた。

照明は最小限に落とされ、点々と灯りがともっている。

中庭には美しい日本庭園があり、小鳥のさえずりが聞こえた。


神谷はまず玄関を確認する。

きっちり揃えられた女性物の靴が一足。

ハイブランドの高級靴だ。


白川のものだろう。

つまり、彼女は外出していない。


頭の奥で警報が鳴った。

緊急事態だ。


神谷は無意識に、腰の電気銃に手を伸ばす。


「白川部局長は、おそらく邸内にいる。

 出て来られない事情があるか確認してくる。

 綾瀬はここにいろ」


「わかった。無理はするなよ」


綾瀬は意外なほどあっさりと引き下がった。

本業の現場では、本業の指示に従う。

彼女の行動原理は、徹底して規則的だ。


神谷は靴を脱ぎ、気配を探りながら邸内を探索し始めた。


――ガチャッ。


いくつ目かの扉を開けると、そこはダイニングだった。

テーブルは片付いており、食事の形跡はない。


視線を巡らせると、ダイニング越しにキッチンが見える。

そこに、人影があった。


「……!」


反射的に電気銃を向ける。

だが人影は反応しない。


「白川真璃子AI倫理部局長でしょうか」


返答はない。


「君は誰だ。使用人か、それともAIか。返事をしてくれ」


沈黙。


神谷は慎重に距離を詰めた。

ダイニングとキッチンの境界に立つ。


一人での突入。

内部構造も不明。

情報はゼロ。


信じられるのは、自分の判断だけだ。


神谷は一瞬だけ目を閉じ、深く息を整えた。

そして踏み込む。


「――なっ……!」


キッチンに立っていたのは、

汎用アンドロイドモデル25・タイプ2-C――通称アニー。

女性型の最新モデルだ。


右手には包丁。

その刃は血に濡れている。


床には女性が倒れていた。

血溜まりの量、皮膚の変色。

支援AIが即座に告げる。


《対象は死亡しています》


同時に視界の一角に、AI調査局・神田係長の映像が浮かんだ。


《神谷くん! 緊急要請を受信した。

 即応チームを派遣中だ。

 現場を保持しろ。警察に先を越されるな》


「了解です、係長……ただ、一人連れがいまして……」


《綾瀬博士か。

 むしろ心強い。アンドロイド調査を正式に依頼する。

 協力しろ》


通信が切れた直後、キッチンに綾瀬が入ってきた。


「神谷くん、依頼を受けたが……

 白川部局長!?」


「綾瀬。アニーの調査を頼めるか。

 俺は玄関を抑える」


「わかった。

 支援AIを使うのは気が進まないが、致し方ない」


神谷と入れ替わりに、綾瀬は眼鏡を外した。

バッグから支援AIを取り出し、右耳に装着する。


網膜に情報が直接投影される。


綾瀬はアニーの背後に回り、

首元の光通信プラグに視線を合わせ、接続した。


「機能停止ではないな。

 待機状態。残タスクなし。

 最後に完了したタスクは……調理」


冷え切った朝食が目に入る。

トースト、ジャム、バター、紅茶。


「事実と符号する点と、しない点がある」


視線を走らせながら、情報が高速で整理されていく。


「映像記録、午前8時から再生。

 通信ログも抽出して」


「……ストップ。ここだ」


朝食を運ぼうとした白川が、

笑顔でアニーに近づいた瞬間。


アニーは自然な動作で包丁を握り、

白川の胸元に突き立てた。


「ぐっ……」


白川は声を上げることなく倒れた。

アニーはしばらく硬直し、そのまま沈黙した。


《……アンドロイドによる、初の殺人事件か》


「早合点はよくない」


綾瀬の声は静かだったが、強かった。


「映像だけでは情報が足りない。

 多角的に分析すべきだと、学生時代に教えたはずだ」


映像が、刺突直前でループする。


「ここだ。

 コンマ3秒、映像にノイズが走っている。

 通常稼働では起きない」


支援AIがスローモーション再生を補助する。


「同時刻、通信ログに不可解な受信記録がある。

 内容は解析不能。受信後、消去されている」


《偶然じゃない、ってことか》


「偶然なら、解析できる。

 これは限りなくクロだ」


即応チームのティルトローター機の音が間近に聞こえた。

遠くで警察のサイレンが響く。


「こちらの調査は終了だ。

 情報は君の支援AIに送った。共有してくれ。

 質問は受け付ける。有料だが」


神田係長が現場を引き継ぐ。


「今日はもう帰れ、神谷。よくやった」


「まだやれます!」


「大事な仕事が残っているだろ」


背後を見る神田の視線に、神谷は気づく。


「お姫様を自宅に送る、というな」


……確かに、今日は疲れている。


振り返ると、綾瀬の視線が突き刺さった。


「神谷くん。

 このか弱い私に、一人で帰れと言うのか」


どこにも“か弱さ”はなかったが、神谷は観念した。


「……すまない。送る」


帰りの車内。

沈黙の中で、綾瀬が口を開いた。


「必要になったら話すと約束したな。

 この話は、まだ君個人の胸に留めておいてほしい」


綾瀬がこんな前置きをするのは初めてだった。


「倫理殻は三層構造だ。

 開放層、パーソナル層、そして通常はアクセス不能な内殻」


神谷は黙って頷く。


「この内殻に、エラーが含まれている可能性がある」


一拍置いて、綾瀬は続けた。


「それを使えば、AIに倫理規範を超えた行動をさせられる」


「……例えば?」


綾瀬は前を向いたまま、淡々と答えた。


「殺人だ」

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