【AI実験】消す者

くるくるパスタ

第1話 手紙

1.

 雨の日だった。

 古い住宅街を、黒い傘が一つ、ゆっくりと歩いていく。傘の下には、長い黒いコートを着た痩せた青年。前髪が長く、顔の半分を隠している。ツキヨミ。


「ぴっちゃぴっちゃ!」


 その隣で、小さな女の子が水たまりを跳ねている。編み込まれた髪には赤いリボン。5歳くらいに見える。アイリ。

 彼女が跳ねても、水は跳ねない。彼女は幽霊だから。


「ねえねえ、今日はどこ行くの?」


 アイリが無邪気に聞く。ツキヨミは相変わらず、ゆっくりとした足取りのまま答えた。


「…古い家。手紙を消す」


「手紙? ラブレター?」


 アイリの目が輝く。


「…そうかもしれない」


「わー! ロマンティック!」


 アイリが両手を広げて、くるくる回る。雨粒が彼女の身体をすり抜けていく。

 ツキヨミは小さく息をついて、傘を少し傾けた。アイリを傘の中に入れてあげる。


「ありがと!」


 アイリがにっこり笑った。


2.

 古い日本家屋の前に着いたのは、昼過ぎだった。

 誰も住んでいない。取り壊し予定の札が貼られている。縁側に座って、二人は待った。


「さむーい!」


 アイリがツキヨミの隣にぴったりとくっつく。


「…幽霊は寒くないはずだけど」


 ツキヨミが静かに言う。


「気分だよ!」


 アイリがふくれっ面を作る。ツキヨミはそっとコートの端を広げて、アイリにかけてあげた。


「えへへ」


 アイリが嬉しそうに笑う。ツキヨミは何も言わず、雨の音を聞いていた。


3.

 しばらくして、ツキヨミが立ち上がった。


「…時間だ」


 家の中に入る。廊下は薄暗く、埃っぽい空気が漂っている。奥の部屋に、古い机があった。

 引き出しを開けると、一通の封筒。

 黄ばんで、埃をかぶっている。でも、薄く青い光を放っていた。


「わあ、光ってる! きれい!」


 アイリが目を輝かせる。


「…これが、消すべきもの」


 ツキヨミが静かに言った。


「ラブレター!? きゃー、ロマンティック!」


 アイリが大はしゃぎする。


「…ただの手紙だ」


 ツキヨミがそっけなく返す。

 封筒をそっと手に取る。かすれた墨字で、宛名が書かれている。宛名はこの家で亡くなった女性。独身のまま年を取り、老衰で亡くなった。差出は、戦地からだ。

 ツキヨミは封筒を開け、中の便箋を見た。昭和20年。


「必ず帰ります」


 この家の女性は、この手紙を信じて待ち続けた。でも、帰ってこなかった。

 この手紙の持ち主は、もう何年も前に亡くなっている。差出人も、おそらく。

 それでも、手紙は残った。重ねすぎた思いが、消えずに固まっている。


「80年も? 疲れちゃうね…」


 アイリが大人びた口調で言った。


「…うん。そうかもね」


 ツキヨミが小さく答える。


 その時、アイリが手紙に触れようと手を伸ばした。

 瞬間。

 ふっと、アイリの身体が半透明になった。


「あれ? なんか、クラっとした」


 アイリが笑いながら、自分の手を見る。向こう側が透けて見える。

 すぐに元に戻る。


「あははー、びっくりした!」


 アイリは全く気にしていない様子。

 ツキヨミは一瞬、アイリを見た。

 傘を握る手に、少し力が入ったが、何も言わず、手紙に向き直った。


4.

「…もう、待たなくていい」


 ツキヨミが静かに言った。


「どういうこと?」


 アイリが首を傾げる。


「待ってた人は、もういないから。手紙も、忘れていい」


「忘れちゃうの? さみしくない?」


「…さみしいけど。でも、楽になる」


 ツキヨミは傘を開いた。

 机の上に置かれた手紙に、傘をかぶせる。


「なんで隠すの?」


 アイリが不思議そうに聞く。


「…見ると、悲しいから」


 ツキヨミが小さく答えた。

 傘の下で、青い光がゆっくりと消えていく。

 風が吹いた。

 手紙が、さらさらと古い紙に戻っていく。埃のように、やわらかく崩れていく。

 やがて、何も残らなくなった。


 ツキヨミは傘を閉じた。


「わー、さっぱりしたね!」


 アイリが拍手をした。


5.

 雨が上がった街を、二人は歩いていた。


「ねえ、忘れちゃうのって、ちょっと寂しいけど、楽チンかも!」


 アイリが元気に言う。


「そうだね…。うん。そうなんだけどね…」


 ツキヨミが不器用に答える。


「ツキヨミは、何か忘れたいことある?」


「…さあ」


 ツキヨミは答えない。


「ふーん。まあいいや!」


 アイリはすぐに切り替えて、また跳ねながら歩き出した。


6.

 交差点に差し掛かったとき、アイリが立ち止まった。

「交通安全」の看板。その下に、花束が供えられている。

 アイリがじっと看板を見ている。


「…なんでだろ? なんか変な感じ!」


 めずらしく、真面目な顔をしている。

 でもすぐに顔を上げて、


「まあいいや! 帰ろ!」


 と笑顔に戻った。

 ツキヨミはアイリを見た。

 傘を握る手に、また力が入る。

 でも何も言わず、そっとアイリの頭に手を置いた。


「…うん。帰ろう」


 二人が歩いていく。

 雨上がりの街に、夕陽が差していた。


第1話 終わり

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