GOD ONLY KNOWS

烏丸千弦

scene 1. “Now we're there and we've only just begun”

 プラハの街並みが見下ろせる窓際の大きなテーブルに、いくつものパンフレットや書類が広げられている。

 紫紺に金で『Orient Expressオリエント エクスプレス』の文字と、エンブレムが箔押しされた厚めの冊子。荘厳なチャペルの写真が載った教会と、マナーハウスのパンフレット。ついさっきテディが選んで印をつけた、チョコレートのギフトカタログもある。

 スマートフォンを手にテディがふぅ、と息をついたとき。色違いのマグを持ってキッチンから戻ったルカが、坐るなりオルゴールの蓋を開けた。美しいレリーフが施された小さな銀の小箱が、聴き慣れたメロディーを奏で始める。

 〝This Will Beディス ウィル ビー Our Yearアワ イヤー〟はルカにとって、自分との日々を思いださせる曲だと以前聞いた。その主旋律が終わると、今度はテディの想い出の曲である〝Ruby Tuesdayルビー チューズデイ〟が流れ始めた。

 引き出物フェイヴァーにはなにか音楽に関係したものがいいとふたりの意見が一致し、オルゴールを選んだ。ドイツ製の銀細工のケースにスイス製のムーブメントを組みこんだ特注品のサンプルが届いたのは、つい昨日のことだった。それからルカは、何度も繰り返し蓋を開けては目尻を下げて眺めているのだ。

「……何度聴いたら気が済むの」

 苦笑しながらテディがそう云うと、ルカは見ているこっちが恥ずかしくなるほど幸せそうな笑みで、こう答えた。

「え? そんな、何度聴いたって気が済むも飽きるもないよ。ずっとネジを巻き続けてたい気分だ。……これ、やっぱり俺たちの写真か人形でも入れといたほうがよかったんじゃ?」

「勘弁してよ、恥ずかしい」

 テディはカフェオレのマグに口をつけ、熱さに顔を顰めた。

 ルカはずっとこんな調子だ。その浮かれ気分のまま招待客のリストを作り始めたとき――初めは案の定というか、とんでもないことになった。

 結婚式についてルカと相談を始めたとき。テディは、できるだけ内輪で気楽な集まりにしたいと考えていた。けれどルカは親類縁者はもちろん、学校の同級生たち、恩師、知り合いの俳優やモデル、ミュージシャン仲間まで片っ端から名前を挙げて、盛大なセレモニーにしたがった。

 テディは昔から人見知りで、バンドが売れて有名になった今もパーティの類が頗る苦手だ。そのことを、ルカは誰よりもよく知っている。それなのに、このときばかりは結婚という人生の一大イベントに舞いあがり、すっかり暴走して失念していたようだ。

 このまま任せておいたら、五つ星ホテルでセレブが集まる豪華レセプションに発展しかねない。テディは「そんな盛大にやったら俺、途中で抜けるよ?」と半ば脅しのように云い、どうにか招待客を絞ってもらう方向へもっていった。

 ルカは頭をくしゃくしゃに掻きながら何度も名前を消したり、やっぱり、とまた書き直したりを繰り返していた。そうしてようやく「これが限界」と六十人ほどに絞りこんだ。そのうち十五人は親族、それだけでテディの招待客を遥かに超える人数だが――最初、ルカがアドレス帳まるごとリストにしようとした三百人超に比べれば、充分にほっとできた。

「いやーしかし、結婚前ってやることが多いな。主役なのにこんな大変だなんて思わなかった」

 伸びをし、長い髪をヘアタイで束ね直しながらルカがそう言ちると、テディは「ほんとにね」と同意した。

「俺も、ふたりで式だけ挙げればいいような気でいたよ。でもやっぱり、そういうわけにはいかないんだね……。でも、云っとくけど大変にしてるのはルカだからね? 引き出物とか、こんなに凝らなくてもよかったんだ。人数だって――」

「ああ、わかってるって。でもさ、もうこれ以上は減らせないよ。ニールとエマは恩人だし……メールで尋いたら、ニールは車椅子だけど行くのは問題ないって云うしさ」

「だよね……。じゃあ、レジーも?」

 ずっとジー・デヴィールのヘアメイクを担当してくれている美容師の名前をだすと、ルカは当然と頷いた。

「もちろん。レジーは早めに来て仕事してもらわないと」

「えっ、メイクまでするの?」

「そりゃするよ。だって撮影スタッフ呼んで、ビデオも写真も撮るんだから」

 警備も呼んでマスコミはシャットアウトするけど、そのかわりプレスキットは用意しないと、とルカが続ける。テディは、招待客だけじゃなかった……と、溜息をこぼした。


 ルカは、テディが何度もプロポーズの返事を保留にした所為か、自分との結婚を心待ちにしていたようだ。だからだろう、筋金入りの面倒くさがりなルカが、これまで見たことがないほどあれこれ決めるべきこと、やるべきことを進めていた。それも、今が人生のピークとばかりに幸せそうに。

 だがテディは、ルカが喜ぶのなら、というくらいの気持ちでイエスと云った。もともと結婚願望などなく、ずっと一緒にいるのだし、結婚したからといってなにも変わらないと考えている。

 招待客のリストも、ルカと共通の知り合いを除けばテディのほうはバーミンガムに住む祖父と、その執事であるグレアムのふたりの名前しかない。寮制学校ボーディング スクール時代、休暇のたびに世話になった従叔母いとこおばもいるが、招待しようという気にはなれなかった。きっと招待されても――クレアはともかく、夫のデニスは――困るだろう。かといって、クレアひとりに招待状をだすのも気がひける。なのでテディはリストのなかからクレアの名前を消していた。


「え、おまえ、それだけ?」

「うん。俺が親しい人ってみんなルカも知ってるし、そっちに名前があるよ」

「ああそっか。あ、同級生って何人呼んでいい? トビーとデックスだけ? おまえ、仲良かったのにマコーミックは?」

「トビー、来るかな。マコーミックは……俺は呼んでもいいけど、どうかなあ」

「なんで? おまえを苛めてたから?」

「逆。マコーミックさ、俺に気があったんだよ。知らなかった?」

「まじ? ……寝た?」

「ううん、誘ったら幻滅された」

「誘ったのかよ。……じゃ、マコーミックはなし。あ、ジェレミーとかマシューとか、あのへんも当然――」

「呼ばないって」

 浮気相手の名前をだされ、テディは苦笑した。

 ルカはスマートフォンを操作しながら、アドレス帳を捲りビジネスカードを選り分けている。知り合いが多いと大変だなあと、テディは他人事のようにそれを眺めていた。

「あ、そういえばオルガさんはどうだった?」

「ドリューに訊いてもらったけど、プラハ近くならともかく、鉄の棺桶に入れられて空飛ぶなんてごめんだって云ってたってさ」

「飛行機を棺桶って、なんて不吉なこと云うんだ。相変わらず毒舌だなあ、チャーター便を用意するってのに」

「飛行機の旅はお年寄りにはきついんだよ。いいじゃない、あとから報告に行こう」

「そうだな、引き出物と土産持って」

「……プラリネの詰め合わせは、蜂蜜かなにかに変えといたほうがいいよ。あたしの歯を失くしちまう気かい!?Chceš, abych přišla o všechny zuby, nebo co!? とか云いそう」

 式はルカの家族が住むイギリスのブリストルにある、郊外の小さな教会で挙げる予定である。同性カップルも過去に何度か挙式している、気さくな牧師がいるところだ。

 祖父母と両親、叔母夫婦と従兄弟に双子の妹たち、バンドメンバー、事務所スタッフの代表とローディー、恩人に同級生となんとか最小限の人数に絞ると、ルカはやれやれとスマートフォンの画面を確認した。

「うん、まあこのくらいかな。そっちは? もう招待できるような人はいない?」

「……カメラマンも兼ねて、ジョルトは?」

 その名を聞いて、ルカはありえないと大袈裟に目をまわした。

「うん、云ってみただけ」

「冗談きついわ。他にはいないか」

「うん。いない……かな」

 テディはスマートフォンを持ったまま、そう返事をし――ちょっと迷ってある名前をそこに足した。『――……zenberg』とドイツ綴りの姓を打ちながら、結婚式の招待状など送っても、きっと来ないだろうなとふっと笑う。

「よし、そっちも送ったか? もうあとから追加とか云ってもだめだからな。十一月までには招待状を送らないとってプランナーに云われてるんだから」

 結婚式は年が明けて、一月二日にする予定だ。これは面倒くさがりのルカと、イベント事にまめではないテディの誕生日のちょうど中間の日にあたる。こうすれば互いの誕生日も結婚記念日もニューイヤーズパーティもまとめられて、絶対に忘れないだろうというルカのアイデアだった。……それでOKする自分も大概だと思ったが。

「それにしてもまあ、傍迷惑な日取りだよね」

「そうか? みんな確実に休みでいいじゃないか」

 さて、次はなにしなきゃいけないんだっけ、とルカがまたパンフレットの山をひっくり返し始めると――テディは「ちょっと一服」と愛用のエッグチェアに煙草を吸いに行った。









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“Now we're there and we've only just begun”

♪ "This Will Be Our Year" The Zombies, 1968

≫ https://youtu.be/tm4ElyCWkrY

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