第38話 家族

「……そんな事はない。ネロの血を引くラーラマリーなら、いつでも結界の中には入れる」


 普段通りの笑顔を浮かべたジークヴァルトが、そう答える前に置いた一瞬の間を、ラーラマリーは見逃さなかった。


 困ったように微笑み、空っぽになって冷たくなったカップを、両手でぎゅっと握りしめる。


「いつでも入れる……。そう……じゃあ結界が問題なんじゃなくて……、私にもう戻って来て欲しくないと思ってるってことなのね」


「何故そうなる!! そんな事、欠片も思う訳がない!! 寧ろ──……」


 ジークヴァルトは弾かれたように否定したが、途中で言葉は消えてしまう。

 じわりと視界が滲みそうになるのを抑えるため、眉間に深く皺を刻んで視線を逸らした。


「寧ろ、何?」


 声を僅かに震わせラーラマリーが追求するが、ジークヴァルトは黙ったままだ。


 沈黙が流れる中、答えを待ちきれなかったラーラマリーは、バサリと布団を鳴らして寝台を飛び降り、駆け寄ったジークヴァルトの胸ぐらを掴むと、何の抵抗もしない彼をどさりとソファへ座らせた。


 俯き、顔を覆って隠そうとしたジークヴァルトの片手をラーラマリーが素早く掴み、逃がさないとばかりにズイと彼の膝の上に跨ると、奥歯を噛み締め、泣きそうになるのを堪えながら、ジークヴァルトの顔を覗き込んだ。


「ジーク」


 咎めるように、だが優しく名を呼べば、苦しそうな金の瞳がラーラマリーに向く。


「ジーク、お願い。ちゃんと話して。まだ……私に言ってない事があるんでしょう? どうして、ずっと苦しそうなの……? どうして……するみたいな顔で笑うの……?」


 ジークヴァルトを強く見つめたまま、ラーラマリーの瞳から、ぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


 ラーラマリーは気付いていた。

 

 異常な程に側に寄り添い離れないジークヴァルトの中にあるのが、敵に対する単なる不安だけではないという事に。

 

 ジークヴァルトが、ラーラマリーと永遠に離れようとしているという事に。


「気のせいかもって……違うかもって、思ってたけど……やっぱり、そうなの? これで……さ、さよならなの……? ジークは……私と一緒に、いたくないの? やっぱり本当は……すっ……好きじゃ、なくなったの……?」


 視線を逸らさず、嗚咽を混じらせながら質問を重ねるラーラマリーに、ジークヴァルトは呻くように言った。


「そんな訳ない……。お前が好きだ。共にいたいに決まっている……!! だが、お前とは一緒にいられないんだ!!」


「どうして? 魔力が足りなくても、リュスタールがあれば大丈夫なんでしょう!? どうして駄目なの?」


 子どものように泣きじゃくるラーラマリーの頬に、ジークヴァルトが躊躇いがちに触れ、溢れ続ける涙を親指で撫でる。


 張り裂けそうな胸いっぱいに重い息を吸い込むと、観念したジークヴァルトは、静かに言った。


「ラーラマリー……花喰い竜の心臓を奪えば、永遠の命が手に入る。お前は、そう言っていたよな?」


 穏やかな声で尋ねられ、ラーラマリーは涙を流したまま、ジークヴァルトをじっと見つめる。

 

 その姿を映した金の瞳が、愛おしげに細まり、飴色に光った。


「あれは、俺を殺すという意味じゃない。……俺の心を奪い、心臓である魔力核を貰い受け、永遠に等しい寿命を共にする伴侶になるという意味だ。──これが、どういう事かわかるか?」


「……ずっと……ジークと一緒にいられる……?」


 思わぬ話をされ僅かに戸惑うラーラマリーに、ジークヴァルトはふっと苦しげに微笑んで、ゆるゆると首を横に振った。


「大事なのは、そこじゃない。俺と共にいるということは、という事だ。父も、母も、弟も、子も、孫も、そのさらに先も……。心が千切れそうになる悲しみと喪失を、永遠に繰り返すという事だ。人と……家族と全く違う時間軸で生き続けるんだ。見える世界が変わってしまう。家族を心から愛しているお前には……きっと耐えられない」


 静かに話を聞いているラーラマリーの髪を、ジークヴァルトが宝物のように優しく撫でる。


「家族を愛するお前は、家族と共にあるべきだ。確かに、また結界に入ることはできる。だがこのまま共にいれば……俺はいずれ、無理矢理にでもラーラマリーに永遠を与え、お前を離さないだろう。心が狂いそうな程に……俺はお前を愛しているから。だから……もうここへは来るな。──さよならだ」


 無理矢理に笑顔を貼り付け、はっきりと別れを告げた。

 

 己の放った言葉で、心臓がグサリと深く突き刺され凍る。


 だが、もう引き返す事はできない。


 話は終わりだとばかりに、彼女を膝から降ろそうと僅かに視線を下げると、突然、ラーラマリーがジークヴァルトの頬に、顔を包むように両手を添え、ぐいと無理矢理に視線を合わせさせた。


 彼女の顔を見たジークヴァルトは、驚きに目を丸くした。


 大粒の涙を溢しながらも、ラーラマリーは


「ばかね、ジーク」


 グシャリと顔を歪めながらも微笑む彼女は、ジークヴァルトの顔を引き寄せると、こつりと額を合わせ、睫毛が触れる程の距離で、美しく澄んだ水色の瞳を優しく細めた。


「私は確かに、家族を愛しているわ。でも、ねえジーク。どうして、? 私は、のよ」


 その言葉は、ジークヴァルトの心に温かくジワリと染み込んだ。


 同時に、頬が濡れる。

 ラーラマリーの涙がジークヴァルトの頬に落ちたのか、それともこれは──。


「……俺と、家族に……?」


 小さく掠れたジークヴァルトの声は、震えている。


「そうよ。どうしてあなたの伴侶になる事と、私の家族を分けて考えるの? どれだけ家族の死を見届けたとしても、ジークだけは、ずっと一緒にいてくれるんでしょう? それなら、私は一人じゃない。だから、さよならなんて言わないで。ジークと一緒なら……あなたが家族になってくれるなら、悲しさも、寂しさも──抱えて、生きていけるわ」


 柔らかく「そうでしょう?」と微笑まれ、ジークヴァルトは嗚咽を漏らしてラーラマリーを掻き抱いた。


「ラーラマリー……!!」


 首元で呻くように名を呼ばれ、くすぐったさにラーラマリーはまた笑みを溢す。


 大きな背を撫でると、彼女を抱きしめる力がさらに強くなり、二人の熱が溶けて混ざった。


「ラーラマリー……お前を……愛している」


「うん」


「お前と離れたくない」


「うん」


「お前に選ばれたい」


「うん」


「お前と……ラーラマリーと家族になりたい。俺の──妻になって欲しい」


 吐息が掛かる距離。

 顔を上げたジークヴァルトの金の瞳が、真っ直ぐにラーラマリーを映している。


 涙で濡れた彼の頬に優しく触れ、ラーラマリーは花が咲くように笑った。


「私も、ジークと家族になりたい。あなたを、愛しているから」


 その言葉に、互いに涙をこぼし笑いながら抱きしめ合った二人は、穏やかな朝日が差し込む中、どちらからともなく顔を寄せ、まるでじゃれ合うように、そっと唇を重ねた。

 

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