第24話 冷や水

 その日の夜。

 リュスタールの花を友に手向けたジークヴァルトは、すぐに城の中に戻らず、庭を歩いていた。


 ラーラマリーの事を考えると心が跳ねて眠る気になれず、会える訳でもないとわかっていても、何となくその部屋の窓の下に広がる庭へと足を伸ばしてしまう。


(月も高い。さすがに、もう眠っているだろうな)


 そう思い、上階にある彼女の部屋の窓を見上げ、ジークヴァルトは驚きで歩みを止めた。


「あれは……」


 呟いた視線の先、円形に張り出した彼女の部屋のバルコニーに、髪を下ろした寝巻き姿のラーラマリーが立っていたのだ。


 しかもそれだけではない。

 彼女は、


「ラーラマリー」


 思わず声を掛けると、はっと庭を見下ろしジークヴァルトに気づいたラーラマリーは、涙を拭きながら急いで部屋に戻ろうとする。


 ジークヴァルトは慌てた。


「待て、行くな、ラーラマリー!」


 そう言ってすぐ側の木に向かって踏み出すと、幹をたんたんと軽く駆け上り、バルコニーへひらりと飛び移った。


 大きなガラス扉を開け、今まさに部屋に入ろうとしていたラーラマリーの腕を掴み、片手を頬に添え無理やり自分の方へと顔を向かせると、ジークヴァルトは動揺で眉を寄せた。


「……一体どうしたんだ」


 月明かりに照らされたラーラマリーの顔は青白く、彼が来るまでにどれだけ泣いていたのだろう、寝巻き越しでもわかる程に、腕は夜風のせいで氷のように冷たくなっている。

 水色の瞳は涙で大きく滲み、頬は濡れていた。


「……ここは冷える。俺も部屋に入ってもいいか? 今一人にさせたくない。絶対に何もしないと誓うから」


 心から心配しているのが伝わったのか、ラーラマリーは声も出さず眉根を寄せたまま小さく頷いたので、ジークヴァルトは彼女の肩を抱き部屋へ足を踏み入れた。


 ガラス扉を閉めると、暖かな部屋の空気が二人を包む。


 ラーラマリーをそっと寝台の縁に座らせ、ジークヴァルトは彼女の目の前に跪くと、小さな両手を包むように手を繋ぎ、目線を合わせた。


「……どうしたんだ?」


 尋ねても返事はない。

 嗚咽を堪えるように口を引き結び、答えようとしないラーラマリーに困り果て、ジークヴァルトは何度も優しく声を掛けた。


「なぜ泣いている?」

「何があった?」

「お願いだ、話してくれ」


 理由を聞いて慰めてやりたい。

 だがラーラマリーは答えようとしない。

 

 ジークヴァルトは、ついに懇願するように彼女の名を呼んだ。


「なあ、頼む。声を聞かせてくれ……


 穏やかな声で愛称を呟くと、その途端、ラーラマリーの顔がグシャリと歪み、大粒の涙がぼろりと零れ落ちた。


「……じーく」


 弱々しく声を搾り出すと、ラーラマリーは限界だとばかりに泣き出した。

 大粒の涙がとめどなく溢れ、それでも、泣くのを止めようとするように声を殺している。


 腰掛けたまま、顔をぐしゃぐしゃにして耐えるように泣くラーラマリーを見ていられず、ジークヴァルトは困惑のまま、何も言わずに彼女をそっと抱きしめた。


 冷たくなった薄い肩を温めるように撫でると、とうとうラーラマリーは、嗚咽を漏らしながら縋るように言葉を溢した。


「ジーク……わたし……私、家族に会いたいの」


 その言葉に、ジークヴァルトの心臓は凍った。


 呼吸が止まる程の衝撃を受けているジークヴァルトに気付かず、彼の胸の中で、ラーラマリーは泣きじゃくり、さらに言葉を吐き出した。


「みんなに……みんなに会いたい。お父様に……お母様に……ルイスに会いたい。……会いたいの」


 ラーラマリーは森に入って八ヶ月、一度も泣き言を言ったことはない。

 もちろん、涙を流している姿を見るのも、ジークヴァルトは初めてだ。


 だが、腕の中にいる彼女のこの言葉は心からの慟哭であり、衝動的に今初めて生まれた願いなどではない事が、はっきりとわかった。


(一体今まで……何度一人で泣いていたんだ)


 小さく震えるラーラマリーの温もりを抱きしめながら、ジークヴァルトは自分の体の内が急速に冷えていくのを感じた。


 無言でラーラマリーの言葉に耳を傾ける彼の鼓動は、早鐘のように鳴り響き、その一つ一つの音が、ジークヴァルトの心を容赦なく突き刺していく。


(俺は……なんて愚かなんだ)


 ジークヴァルトの視界は、真っ暗だった。


(ずっと共にいたい? それはだ。ラーラマリーは……彼女は帰りたがっている。愛する家族のもとに……こんなにも、帰りたがっている。彼女には、んだ。家族をこんなに愛している彼女が、父も、母も、弟も、自分の子どもも、その子どもも……果てない程に、ただ愛する者の死を見送り続けるだけの人生を望む訳がない。あのに、俺は彼女を引き入れようとしていたのか……? 何て愚かなんだ。そんなこと……できる訳がない)


 体が引き裂かれるような痛みを感じながらも、それを隠し、ジークヴァルトはできるだけ穏やかな声で言った。


「ラーラ……。泣かなくていい。家族には会える」


「会えないわ……。だって、結界からは出られないもの。それに……私、竜を殺さないと……帰れない……」


 ジークヴァルトは、自分も泣きそうになるのをグッと堪え、ラーラマリーを強く抱きしめると、その髪に鼻を埋めた。


「大丈夫だ。俺は。お前が本当に望むなら、。絶対に家に帰してやるから……お願いだ。もう少しだけ……もう少しだけでいい。俺に時間をくれ。必ず……家族のもとへ帰すから」







 いつの間にか、泣き疲れて腕の中で眠ってしまったラーラマリーを寝台に寝かせ、ジークヴァルトはその横に腰掛け彼女の頬をそっと撫でる。


 ラーラマリーの目元は痛々しい程に赤くなり、顔色も悪い。

 出会った頃よりも痩せた彼女を見つめながら、ジークヴァルトは胸が締め付けられた。


(……ナナレの言った通りだ。彼女を、森に留まらせてはいけなかった。早く彼女を帰さなければ。だが俺は──)


 ジークヴァルトは、乱れた心を落ち着かせるように拳を強く握りしめ、震える息を吐いた。


(……真実を伝えなくては。永遠を与えられない事も。もしそれでもラーラマリーが俺を殺したいと望むなら──俺はそれに従おう。俺の心はもう、ラーラマリーのものなのだから)


 暗く陰る金の瞳を細め、祈るようにラーラマリーの髪に口付けを落とすと、ジークヴァルトは音もなく静かに部屋を出て行った。


 

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