第21話 眠る魂と魔物と永遠
「もしかしてこの木が、前に話していたお友達の……?」
両手を広げても幹の端から端に手が届きそうもない、どしりと存在する大木の下。
目隠しからようやく解放されたラーラマリーは、首が痛くなる程に上を見上げ、広がる枝に掛けられた無数のリュスタールの花輪を眺めながら、少し遠慮がちに尋ねた。
前に進み出たジークヴァルトが、太い幹に片手を添え、懐かしむように目を細める。
「ああ。古い友人で……ネロという奴なんだ。でも、遺体はここにはない。この下には、髪が一房埋めてあるだけだ。亡くなった時……ここを離れられない俺のために、ネロの家族が分けてくれた」
「髪が……。本当に仲良しなお友達だったのね」
ラーラマリーは、ジークヴァルトの背を見つめた。
髪には、魂が宿ると言われている。
誰かが亡くなった時、故人が旅立つ黄泉の国で寂しくないよう、特に親しい見送る側──伴侶や、子や、兄弟は、蔓草で結んだ自分の髪を一房、故人の棺に一緒に入れる風習がある。
それはフォレスティア王国だけでなく、どの国でも見られる風習だが、逆に故人の髪を貰うというのは、非常に珍しい。
もう伸びる事がない故人の髪を切る行為は、送り出す魂を傷付けることを意味し、普通は行わない。
それでも、ジークヴァルトが故人の家族から髪を譲り受けたと言うことは、それ程に仲の良い、特別な存在だった事が察せられた。
「ネロさんは……どんな人だったの?」
「どんな人……そうだな。変わった奴だ。それから家族思いで、優しい奴で、国の皆を愛していたし、皆が……ネロを好きだった」
友を思い出しながら、ジークヴァルトは晴れやかに笑っている。
「ねえ、お友達のために、私も花輪を編んでもいい?」
そう言ったラーラマリーを振り返った金の瞳は、とても嬉しそうに頷いた。
「へえ、上手いな」
リュスタールの花畑の中で向かい合って座り、自身も花輪を編みながら、ジークヴァルトが笑った。
器用に指を動かしながら、ラーラマリーも微笑みを返す。
「小さい頃、よく弟に編んであげていたの。ルイスっていって、五つ年下の弟なんだけど、とっても優しくて可愛いのよ」
「弟か……。俺は兄弟がいないから、羨ましいな。いるのは弟だけ? 他にも兄弟が?」
「弟だけよ。あとは父と母とで、四人暮らし。お父様はとっても優しくて……私、ここに来る前まで翻訳の仕事をしていたんだけど、外国語を教えてくれたのはお父様なの。お母様は、すっごく明るい人。私によく『お転婆もほどほどに』って言うんだけど、実はお母様は釣りが大得意で、浅瀬の小魚くらいなら手で掬って捕まえたりもできるのよ。だから川遊びに行ったらいつもお母様の方がびしょびしょで、お父様に叱られるの。それでね──」
話し始めたら、止まらなかった。
ジークヴァルト達は何も聞いてこないが、大好きな家族のことを、本当はずっと話したかったのかもしれない。
「──それで、神殿にお祈りに行く時、お母様がリュスタールの花を用意するのを忘れてて、ルイスとお父様が『じゃあ摘みながら行こう』って言い出したの。そうしたらみんな夢中になっちゃって、気付いたら全員抱えきれないくらいの花束になっちゃっ……て……」
夢中になって話していたラーラマリーは、不意に言葉を失った。
目の前で胡座をかき、自身の脚に片肘を立て、頬杖をついて愛しむように微笑むジークヴァルトと目が合い、何故だか急に、恥ずかしくなってしまったのだ。
「あ、の……ごめんなさい。私ばっかり話して……」
急に顔に熱が集まり思わず謝罪するが、ジークヴァルトはさらに瞳を甘く細め、驚く程に優しい声で言った。
「謝らなくていい。凄く楽しいし……なんならもっと聞かせてほしい」
穏やかで、普段より僅かに艶を感じる低い声に囁かれ、ラーラマリーの心臓はどっと鳴った。
じっと見つめてくる金の瞳から逃れたくなり、無理矢理に話題の矛先を変えた。
「あ……じ……ジークは? 兄弟はいないって言っていたけど、他の家族は?」
焦ってそう尋ねた瞬間、ラーラマリーは後悔した。
自分達がいるのは、花喰い竜を閉じ込めるための結界の中だ。
家族がいたとしても、彼も自分と同じように閉じ込められて会うことができないか、竜の犠牲になって亡くなっている可能性が高い。
ラーラマリーが僅かに顔を強張らせると、ジークヴァルトは苦笑するように眉を下げた。
「そんな顔をするな。別に聞かれたくない訳じゃない。俺の家族はもうずいぶん前に亡くなっているが……父も母も、とても優しくて……強い人達だった。墓はずっと遠い国にあるからラーラマリーに紹介はできないが、家族仲は良かったよ」
ラーラマリーもそうだが、ジークヴァルトも自分の話をするのは珍しい。
聞くなら今かもしれない、と思ったラーラマリーは、思い切ってずっと気になっていた事を尋ねてみた。
「ねえ……ジーク達は、ずっとここにいるって言っていたけど、ここでは何をしているの? 書類仕事のようなこともしているみたいだし、竜を監視する仕事なの?」
ジークヴァルトは、答えて良いものかと確認するように大木に視線をやると、軽くため息を吐く。
「俺は遠い国で、あー…実はまあまあ偉い地位にいるんだ。だから転送魔法で送られてくる書類を精査したりもするんだが……俺がここにいるのは、そのためじゃない。俺はここで……魔物を狩っているんだ」
「魔物を?」
想像もしていなかった答えに、ラーラマリーは思わずそのまま言葉を繰り返してしまう。
「ああ。最初に森で追いかけられていただろう? あの黒い影のことだ」
ラーラマリーは、自分を追いかけてきた黒い影を思い出し、僅かに震えた。
「ねえ、あれが魔物ってどういうこと? 私はずっと、黒いモヤが魔物だって教わってきたわ。それが動物に取り憑いて魔獣になるって。でもあんな影、見た事ないわ」
「黒いモヤ……。ああ、それは魔力核を手に入れる前の状態だな。黒いモヤは魔力の集まりで、自分に合う、心臓になる核を探している。核がなければ、魔力が霧散すればモヤは消えるが、核を手に入れたモヤはさらに魔力を集めて形を成すようになるんだ。精霊と同じだな」
そう言われて、ラーラマリーはオルフェやナナレの姿を思い出す。
彼らは、もともと木や大地といった自然から漏れ出た魔力の塊だと言っていた。
だが──。
「でも、精霊は真っ白よね? 私が追いかけられた影は真っ黒だったわ。何か違いがあるの?」
「違い、か。魔物は……人間から漏れ出た魔力の塊なんだ」
「──……え?」
言われた事が理解できず、ラーラマリーは目を丸くした。
ジークヴァルトは少し溜息を吐きながら、器用に編んだ花の端と端を絡め始めている。
美しい円は、もうすぐ完成しそうだった。
「人間だよ。気付いていないだけで、人は常に魔力を垂れ流している。不安や恐怖を感じると、さらに漏れ出る魔力が増えるんだ。それが集まると黒いモヤになって、さらに核を見つけて融合すると魔物や魔獣になる。融合してすぐだと精霊は喋らないが、人の感情が濃く残っているからか、魔物は核を得てすぐでも言葉を話す。だがそれは残留思念のようなもので、意味はない。寝言と同じだ。俺はこの森で、できれば核を得る前に魔物を狩るのが役目なんだ」
「そんな……そんな話、聞いたことがないわ」
「それでいいんだよ。知らなくていい事だってある。知らずに暮らせるってことは、ラーラマリー達の国が平和だって事だ。俺は──それを望んでる」
あまりの話の内容に言葉を詰まらせていると、今度はジークヴァルトが尋ねてきた。
「なあ、俺も聞きたい。ラーラマリーは……本当に竜の心臓が……永遠の命がほしいのか?」
真剣な表情で見つめられ、ラーラマリーは思わず手を止めた。
じっと答えを待つジークヴァルトの金の瞳は、何故か期待と不安が入り混じって見える。
熱の籠った視線に戸惑いながらも、ラーラマリーは答えた。
「ええ、欲しいわ。どうしても」
真っ直ぐに見返してそう言うと、ジークヴァルトが僅かに息を呑んだのがわかった。
そのまま彼は俯き、片肘を膝についてグシャリと髪を乱しながら片手で目元を隠すと、長い溜息を吐いた。
ジークヴァルトの耳が、僅かに赤くなっている。
顔を上げぬまま、さらにジークヴァルトが尋ねた。
「なら……俺がラーラマリーに永遠を渡せば、お前は……嬉しいか?」
恐る恐る確認するように問われ、ラーラマリーは言葉の意味に一瞬悩んだ。
(ジークが『永遠を渡す』……? 花喰い竜を倒して、心臓を譲ってくれるという事かしら?)
納得したラーラマリーは、思った通りに頷く。
「ええ、凄く嬉しいわ」
そう答えると、顔を覆うジークヴァルトの手に、微かに力が籠ったように見えた。
「……そうか」
僅かに震える声で彼がそう呟くと、突然、ラーラマリーの視界が真っ白になった。
「──わ!!」
慌てて目元に手をやると、かさ、と軽く柔らかな手触りがして、ジークヴァルトに大きな花輪を無理やり被せられ、目元まで落ちたそれが視界を塞いだことがわかる。
「もう、急に何!?」
ぐい、と花輪を持ち上げ、眉を顰めてジークヴァルトを睨む。
だが目の前のジークヴァルトは、物凄く幸せそうな満面の笑みで、ラーラマリーを見つめていた。
「やっぱり、似合うな」
そう甘く囁かれ、まるで子どものようにジークヴァルトが嬉しそうにしているせいで怒る気が失せたラーラマリーは、仕返しとばかりに自分が編んでいた花輪をジークヴァルトの頭に被せ、それから二人で一緒に笑った。
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