花喰い竜と生贄の姫〜竜人国の最強陛下は、何も持たない伯爵令嬢を溺愛して可愛がりたい〜
桃野 まこと
第1話 平穏と不穏
「おはよう! ルイス、今日の調子はどう?」
簡素だが、清潔に整えられた伯爵家の一室。
青白い顔で寝台に横たわる弟ルイスに明るく声を掛けながら、ラーラマリーは勢い良くカーテンを開けた。
柔らかな春の朝日が部屋に差し込み、窓からは庭に咲く美しい花々と、高く大きな木が見える。
ルイスはゆっくりと瞼を開け、朝から元気な姉に、彼女とそっくりな水色の目を細めた。
ラーラマリーのさらりと長い淡い琥珀色の髪が、朝日で煌めいている。
「……おはよう、姉上。今日は……調子良い方かな。久しぶりに起き上がれそう」
「本当!? 昨日、神官様に来て頂いたのがよかったのかも!」
ラーラマリーはパッと顔を明るくした。
素早くルイスの額に手を当てて大まかに熱を測る。
そのまま頬に手を滑らせ、親指で彼の下瞼を慣れた手つきでそっと下げて瞼の裏の血色を確認すると、いたずらっぽく微笑んだ。
「今日は嘘じゃないみたいね。スープは食べられそう? お母様達にも伝えて来るわね!」
「ありがとう、姉上」
ラーラマリーはにっと笑みを作ってみせ、まだ寝そべったままのルイスの頭を撫でると、パタパタと軽い足取りで部屋を出て食堂にいる母の元へ向かう。
「お母様、聞いて! ルイスがね──」
食堂に到着する前から、もう話し始めている姉の嬉しそうな声を聞きながら、ルイスは重い頭を動かし、寝台に体を沈めたまま窓の外に広がる水色の空を眺めて微笑んだ。
今日もいつもと変わらず、ラーラマリーの朗らかな声で、伯爵家の一日が始まった。
朝から屋敷中に明るい声を響かせるラーラマリーは、コルタヴィア伯爵家の長女だ。
母譲りのさらりとした淡い琥珀色の髪と、明るい性格そのもののような澄んだ水色の瞳が印象的な彼女は、今年で二十一歳。
整った顔立ちではあるが、活発な性格のせいで、美人というよりも親しみやすさが勝り、いつも輝いているくりりと丸い瞳には、どこか少女らしさが残っている。
優しい両親と、ラーラマリーによく似た五歳年下の弟ルイスがおり、彼女は次の春には婚約者との結婚も控えていた。
久しぶりに家族四人揃って朝食を摂っていると、ルイスがおずおずと言った。
「あの……やっぱり、次の神官様をお呼びする日を、来月に延ばさない? 調子も良くなったし、今回は大丈夫だと思う」
その言葉に一番に返事をしたのは、ラーラマリーだった。
「何言ってるの? 調子が良くなった時こそ、それを維持できるように神官様に来て頂かなくちゃ。来月だなんて言わず、次の往診を早めても良いくらいよ」
「でも、姉上のためにも、できるなら回数は減らしたいし……」
「またその話? あちらの家も、結婚は急いでないって仰ってるんだから、ルイスは変に気を使わなくていいの」
姉に軽くあしらわれ、ルイスは申し訳なさそうに肩を落とす。
それを元気づけるように、ラーラマリーは笑いながら、ルイスが好きな母手作りのジャムを、弟の皿にあるまだ手をつけていない小さなパンに追加で塗ってやった。
通常の貴族は十八歳の成人──遅くとも二十歳までには結婚するが、それを過ぎても、ラーラマリーはまだ結婚していなかった。
コルタヴィア伯爵家が治める領地は田舎で狭く、税収は決して高くない。
さらにルイスは重い病を患っており、その治療のために一家の家計は常にギリギリで、暮らしは貧しく慎ましい。
使用人も、寝たきりのルイスの世話を担当する僅かな人数だけを残し、両親やラーラマリーは、料理や洗濯、掃除など、殆どのことを自分達でやって暮らしていた。
そのため、ラーラマリーの持参金を用意するのに時間が掛かり、また、相手側は遠くはあるが親戚の子爵家で「急ぐことはない」と言われていたこともあり、結婚はこの歳まで先送りにされていた。
「神官様をお呼びする回数を減らせば、持参金をもっと早く準備できる。私のことはいいから、姉上には早く幸せになってほしい」
幼い時から寝台に伏せったまま、殆どの日々、起き上がることができない弟ルイスは、そう言っていつもラーラマリーを気遣った。
だが、彼女は笑ってそれを聞き流すだけだった。
ルイスの病気は、咳や熱、痛みなどがあるわけではない。
ただ常に猛烈な倦怠感と息苦しさに苛まれ、起き上がることができないのだ。
病の原因はわからず、普通の医師ではどうすることもできなかった。
そのため、月に数回、高額な費用を支払い、馬車を乗り継ぎ片道四時間程かかる王都から回復魔法を使える神官を招いていたのだが、それでもルイスの病状は現状維持に留まっている。
その回数を減らすという選択肢は、ラーラマリーの中にも両親の中にも、あるはずがなかった。
「……やっぱりちょっと休もうかな」
まだスープもパンも残っている状態だったが、手を止めたルイスが困ったように言った。
見れば、起きた時は比較的まだ顔色が良かったはずだが、弟はすでに疲れた表情をしていた。
辛そうにゆっくりと瞬きをし、体が重いのか、ぐらりと傾き始めている。
一人で何とか席を立とうとする彼を補助しようと、全員が立ち上がったその時。
──ドン、ドン、ドン。
突然、玄関の扉を大きく叩く音がした。
(こんな朝早くに、誰かしら?)
ラーラマリーは訝しみながらも、サッと玄関の方へ足を向けた。
伯爵家に住み込みの使用人はおらず、まだ誰も出仕していないので、家族の誰かが行くしかない。
「私が出るから、お父様とお母様はルイスをお願い」
顔だけを振り向かせ、頷く両親と視線を交わす。
「ああ、悪いな、ラーラ」
「ルイス、歩けそう?」
「うん……支えて貰えば何とか」
家族の声を後ろに聞きながら足早に玄関へ向かい扉を開けると、ラーラマリーはギョッとして固まった。
「──え」
てっきり、近所の牧場主か誰か、馴染みの顔が来ていると思っていたのだ。
だが、扉の前に立っていたのは、見知らぬ二人の男だった。
正装のジャケットを着てはいるが、大柄でいかにも騎士といった厳しい顔つきの男達は、ラーラマリーの驚きを無視して、威圧的な声で無機質に言った。
「貴女が、ラーラマリー・コルタヴィア伯爵令嬢ですね? 突然のご訪問で申し訳ないですが、すぐに我々と一緒に王都へ向かって下さい。貴女に、至急城へ参上せよと王命が下っております」
そう言ったのとは別の、隣に並んでいた男が持っていた書状を恭しくラーラマリーに渡す。
視線で「今すぐ読め」と促され、困惑したままラーラマリーは封を開けた。
開いた手紙には、先ほど男が言った通り、様々な装飾語で飾られた「すぐに城へ来い」という文面と、王命を示す竜を象った精緻な金の印影が光っていた。
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