第26話: 王女誘拐
王女付き護衛になってから、蒼斗の日常はだいぶ“王都寄り”になってきていた。
この日も、そのひとつだった。
「——本日の外出は、孤児院への慰問および、近隣地区の視察です」
王城の小会議室。
壁に簡易地図が広げられ、その前でハロルドがきっちりした顔で説明している。
「行き先は王都北区のミレーユ孤児院、その後、北区市場を軽く視察。行きも帰りも王都内のみで、城外には出ません」
ざっと聞いただけでも「わりと平和」そうな予定だ。
「霧獣の出現報告も、ここ三日はゼロですね」
グレイが地図の端をトントンと指で叩く。
「刺客の気配も、今のところはなし。……もちろん、『今のところは』だが」
霧脈逆流事件から数日。
表面上は静かだが、王都の空気には、うっすらとした緊張が残っていた。
「だからって、私の外出全部止めちゃうのも違うでしょ?」
その空気をあっさり割るのが、王女という生き物らしい。
リシェルは椅子の背にもたれつつ、足を組み替えた。
「孤児院の子たち、楽しみにしてるんだから。いつもギリギリでなんとかしてくれるのが王都の騎士団と宮廷魔導師なんでしょ?」
「殿下、それを本人たちの前で言うのはどうかと……」
ハロルドが困ったように眉を寄せる。
「まぁ、今回は城外じゃないなら、俺らの出番もありますし」
ラグナが苦笑した。
今日は黒槍隊も護衛の一部として同行予定だ。
「万一、城内から霧が湧いても、Dランクの“無矢弓士”が頑張ってくれるだろうしな」
「その呼び方やめてくれない!?」
「いや事実じゃろ」
ルミナがテーブルの上にどっかと座り、足をぶらぶらさせる。
「矢も持たずに霧獣の部隊を撃退し、刺客に胸をぶち抜かれかけ、それでも生きておる。……Dランクという肩書きの方が無理あるじゃろ」
「肩書きだけでも謙虚でいたいんだよ……!」
そんな軽口が飛び交う中、グレイが咳払いをした。
「ともかく。今日は“城外に出ない”ことが唯一の安心材料だ。
霧獣も刺客も、基本は霧脈を伝って外縁から侵入する。王都の中心部で大規模な霧獣出現は、まず考えにくい」
「“まず”って付く時点でイヤな予感しかしないんだよなぁ……」
蒼斗は机の端に立てかけている自分の弓——天羽朧弓に、ちらりと視線を送った。
握りの少し下には、青い石と羽根のチャーム。
リシェルのお守りが、今日も揺れている。
(……大丈夫。今日は平和で終わる)
そう言い聞かせる自分が、どこかで「フラグ立ててるな」と冷静にツッコミを入れているのも自覚していたけれど。
♢
王城北門を抜け、馬車はゆっくりと王都北区へ向かっていく。
窓の外には、いつもの王都の日常。
露店で果物を売る商人、道端で遊ぶ子供たち、教会へ向かう人々。
「ねぇねぇ見て蒼斗、あのパン屋さん、美味しいんだよ」
リシェルが、窓の外を指さす。
「孤児院の子たちに渡すパン、あそこのにしたくて、こっそりお願いしたの」
「こっそりって言うほどのこと?」
「お父様は、“王家御用達の〜”とか好きだから」
確かに、王女の外出といえば御用達ばかりになりそうな気はする。
「たまには庶民の味も食べないとね。ね、ルミナちゃん」
「パンは旨ければなんでもよい」
ルミナは窓枠にちょこんと座り、外の景色を眺めながら頷いた。
「ただし、砂糖は多い方がよい」
「完全に子どもの基準……」
車内は穏やかな空気に包まれていた。
護衛騎士が外側に数名、黒槍隊のラグナたちが周囲を固めている。
蒼斗は、馬車の後ろ寄りに座りながら、霊脈の“線”を軽くなぞっていた。
(今のところ、変な乱れは——)
なかった。
本当に、なかった。
だから、油断した。
♢
ミレーユ孤児院は、王都北区でも少し外れにある古い石造りの建物だった。
庭には小さな花壇と、木製のブランコ。
子どもたちが、王家の紋章入りの馬車を見て、わぁっと歓声を上げる。
「リシェルさまぁぁぁぁ!!」
「殿下だー!」「髪キラキラしてる!」「ドレスかわいい!!」
人気がすごい。
「久しぶりー!」
リシェルは満面の笑みで馬車を降り、子どもたちの中に飛び込んでいく。
「今日はね、パンとお菓子と、あと新しい絵本も持ってきたよ!」
「ほんと!?」「やったー!」
孤児院の院長である老シスターが、涙目で頭を下げる。
「殿下、いつもいつも……。お忙しい中、本当にありがとうございます」
「いいのいいの。私が来たいから来てるだけだから」
さらっと言うその一言が、この王女の“強さ”だ。
蒼斗は、少し離れたところでその様子を見守りながら、弓を肩にかけ直す。
霊脈の線は——やはり、穏やかだった。
ただ、建物の裏手に、ほんの少しだけ“影”の濃い場所があるのが気になった。
(……地下室か何かかな)
王都内の建物は、古いものほど地下に貯蔵庫や避難用の空間を持っていることが多い。
そういう“濃い場所”は珍しくない。
だから、あと数秒だけ、目を凝らせばよかった。
その前に。
「蒼斗ー!」
子どもたちの歓声に混じって、リシェルの声が飛んできた。
「何見てるの?」
「え、あ、いや。建物の線がちょっと気になって」
「線フェチになったの?」
「どいつもこいつも線フェチ言うな!」
つい大きめの声でツッコミを入れ、子どもたちがくすくす笑う。
「ねぇねぇ弓のお兄ちゃんも一緒に遊ぼ!」「的当てして!」「矢はどこ!?」「矢持ってないの!?」「えっ貧乏!?」
「情報量が多いよ!? あと俺の矢は貧乏だからじゃない!!」
わーっと囲まれて、しばらく本気で相手をしてしまったのが——今にして思えば、最大の敗着だった。
♢
最初の違和感は、風だった。
午後になり、孤児院の庭で軽いおやつタイムが始まったころ。
さっきまで穏やかだった風が、ふいに止んだ。
「……ん?」
蒼斗は、パンをかじろうとしていた手を止める。
霊脈の線が、ぴくりと震えた。
建物裏の“濃い影”から、じわりと灰色の靄が溢れ出しているのが見えた。
——霧。
「ルミナ」
「気づいたか」
肩の上から、小さな声。
ルミナの目も、すでに鋭く細められていた。
「地下からじゃ。……霧脈の“穴”があったか」
「子どもたちを——」
避難させようと立ち上がった瞬間、後ろから叫び声が響いた。
「——なに、あれ……!」
誰かの指さす方を振り返る。
孤児院の正門側の通りに、視界を覆うほどの霧が立ち込めていた。
白ではない。
灰色とも違う。
もっと濃く、黒に近い色。
その中から、無数の足音が聞こえる。
「東側! 武装集団だ!」
近くにいた市警が叫んだ。
霧の中から現れたのは、霧獣ではなかった。
——人だ。
鉄製の軽鎧に、見慣れない紋章の入ったマント。
顔を布で覆い、手には剣や槍。
「傭兵……?」
ラグナが唸る。
「王都の紋章じゃない。別の国の——」
言い終わる前に、そいつらは動いた。
霧獣の群れが、足元から這い出してくる。
人の兵と霧の獣が、連れ立って孤児院へ向かってくる様は、明らかに「偶然」ではなかった。
「子どもたちを中へ!」
護衛騎士が叫び、孤児院の大人たちが慌てて子どもたちを押し戻す。
リシェルは、反射的に子どもたちの前に立った。
「みんな、先生と一緒に建物の中へ! 窓から離れて、奥の部屋に集まって!」
声は震えていない。
このあたり、さすが王女だ。
「ラグナ!」
「分かってる! 黒槍隊、前へ!」
ラグナが槍を構え、ミリアとカイルも位置につく。
市警と護衛騎士もラインを築き、霧と傭兵たちを受け止める形になった。
「蒼斗!」
リシェルがこちらを見る。
その目は、「来ないで」と言っているようで、「いて」とも言っている。
打ち合わせしていないから、当たり前だ。
「——あんまり前には出るな」
ハロルドが低く言う。
「殿下は孤児院の中で守る。ここは俺たちが——」
「いや」
蒼斗は、弓を握り直した。
「どっちかっていうと、俺は“前に出た方が安全なタイプ”なんで」
霧獣と霧。
遠距離火力が足りないと、じわじわと押し込まれるのは目に見えている。
なにより——霧の中に、あの刺客の気配が混じっているのが、嫌でも分かった。
(裏に回られる)
リシェルを中心に護衛を固めても、霧脈を通って回り込まれたら意味がない。
「俺が前で線を見ておく。背中は任せた」
ハロルドと視線を交わす。
一瞬の迷いのあとで、騎士は頷いた。
「……分かった。前方警戒を頼む。殿下には指一本触れさせん」
「頼りにしてる」
軽く笑って、蒼斗は霧へ向かって歩き出した。
ルミナが肩から飛び降り、横に並ぶ。
「行くのじゃな」
「行く」
天羽朧弓を構える。
指先に、光が集まる。
♢
霧の中から現れたのは、三つの“層”だった。
一番前:小型の霧獣。
そのすぐ後ろ:盾を構えた傭兵。
さらにその後ろ:ローブ姿の魔術師らしき人影。
完全に連携の取れた“部隊”だ。
「……霧獣を盾に使うとか、マジでロクでもないな」
顔が勝手にしかめっ面になる。
霊脈の線を視る。
霧獣たちは外側の“霧脈”に繋がれていて、その線の先に——薄く、人の線が連なっている。
(あいつら、霧獣を“乗り物”にしてる……?)
背筋が冷たくなる。
「よく訓練されておるのぅ」
ルミナが舌打ちした。
「霧獣と人間の動きをここまで同期させるとは。どこの国の傭兵か知らんが、趣味が悪い」
「後ろの魔術師ごとまとめて——」
「ダメじゃ」
ルミナが、ぴしゃりと遮る。
「孤児院の建物が近すぎる。誤爆すれば、中の子どもたちも巻き込む。
撃てるのは、“線で切り分けられる分”だけじゃ」
「……分かってる」
天羽朧弓の弦を、少し深く引く。
指先に生まれた光矢が、いつもより細く長く伸びる。
(“道”を作るんじゃない。
“隙間”だけ作る)
霧獣と盾兵の間。
盾兵と魔術師の間。
線を一本ずつ、なぞる。
「——《朧羽ノ一矢》」
低く呟き、解き放つ。
光の軌跡が霧の中を走る。
霧獣の核には触れず、そのすぐ横をかすめるように通り抜け——
後列の一人の魔術師の杖を折り飛ばした。
「ぐっ——!?」
悲鳴と共に、魔術陣が崩れる。
霧獣たちの動きが一瞬ばらけた。
「今だ!」
ラグナが飛び出す。
槍が霧獣の核を撃ち抜き、護衛騎士たちが前面を押し返す。
ミリアの魔法が、傭兵の足元に小さな爆発を起こし、隊列を乱す。
戦況は、一気に混戦になった。
……だが。
(いやな、線だな)
霧の奥で、一本だけ“違う色”の線が動いた。
白でも黒でもない、鈍い銀色。
霧獣とも傭兵とも繋がっていない、独立した線。
「——来るぞ!」
叫ぶとほぼ同時に、その線が孤児院の建物側へ走った。
霧とは別の経路。
地面の下を通り抜け、建物の影からぬるりと現れる。
「裏……!」
蒼斗は反射的に踵を返した。
「ルミナ、任せた!」
「任された!」
ルミナが前線側へ突っ飛んで行く。
蒼斗は孤児院の庭を駆け抜け、中へ続く扉を蹴り開けた。
♢
孤児院の廊下は、ひんやりとしていた。
子どもたちは、奥の部屋に集められているはず。
廊下には誰もいない——はずなのに。
足音が、一つ。
ゆっくりとした足音が、奥から近づいてくる。
霊脈の線が、廊下の先でとぐろを巻いていた。
黒いコート。
布で隠された口元。
霧のような輪郭。
——霧の刺客。
「やぁ」
あの日と同じ、落ち着いた声。
「今日はにぎやかだね。子どもの声は、霧にとっても心地いい」
「……二度と、そんなこと言うな」
蒼斗は、廊下の真ん中に立ち塞がるように弓を構えた。
刺客は、廊下の壁に寄りかかるようにして首を傾げる。
「王女は?」
「答えるわけないだろ」
「ここにはいないのか」
その言葉に、一瞬だけ、心臓が跳ねた。
(——気づかれてない?)
孤児院に入る直前、リシェルはラグナたちに囲まれながら、別の地下室へ避難している。
その地点を刺客がまだ把握していないなら、ここで足止めできる可能性はある。
だが、刺客は薄く笑った。
「嘘をつくのは、線を見る目には向いていないぞ」
右手の指を、軽く弾く。
その瞬間、廊下の天井から黒い霧が落ちてきた。
「——っ!」
視界の上から、黒い“線”が刺さる。
とっさに身体をひねり、横に飛ぶ。
胸を貫かれた時と同じ感覚が、頬をかすめて通り過ぎた。
頬が、焼けるように痛い。
「ぐっ……!」
「よけるか。前より少しだけ、器が育ったな」
刺客は、笑っている。
「だが——今日は、遊びに来たわけじゃない」
指先が、廊下の床をなぞる。
黒い霧が床から滲み出し、じわじわと壁際を這っていく。
「霧獣。傭兵。魔術師。全部囮だ。
目的はひとつ——王女だよ」
言葉と同時に、孤児院の奥の方から、人の悲鳴が聞こえた。
蒼斗の血の気が引く。
「——っ!」
奥の部屋へと通じる線が、黒く染まっていく。
霧が、地下道を通って回り込んだのだ。
(間に——)
合わない。
ここで刺客を抜いて走っても、黒い線が先に届く。
「どうする?」
刺客が、わざとらしく問いかけてくる。
「ここで私を止めるか?
それとも、王女の方へ走るか?」
どっちにしても間に合わない位置で、
どっちにしても最悪の結果を招くように、線を張っている。
(こいつ——)
胸の奥で、黒い線の痛みがじわりと広がる。
汗が滲む手で、天羽朧弓を握り直す。
「どっちも、だよ」
「——?」
刺客の目が、わずかに細くなる。
蒼斗は、深く息を吸った。
頭の中で、廊下と地下室の線をなぞる。
霊脈の幹と、霧脈の枝。
孤児院の建物そのものが持つ“骨格”の線。
(全部は無理だ。
でも、“一本”なら——)
「天羽朧弓」
名前を呼ぶ。
握りの下で、お守りがかすかに光る。
「……もう一回だけ、無茶する」
「やめて欲しいのじゃがのぅ」
気配だけで分かる。
外で霧獣と傭兵を相手にしていたはずのルミナの声が、頭の奥に響いてくる。
「しかし、今回は余も反対しきれん。
行け、蒼斗。……線を、一本だけ“捻じ曲げろ”」
それは、まだ《天断ノ朧箭》には届かない。
だが、“線を断つ”片鱗。
指先に、生まれた光が重くなる。
廊下の空気が、きしむ。
「——《朧羽ノ一矢》」
蒼斗は、刺客の真横を通り抜けるように矢を放った。
刺客の目が、驚愕に見開かれる。
「……奥を、撃たないのか?」
「撃つよ」
矢は、曲がった。
物理的な軌道ではない。
霊脈の線に沿って、“道”そのものが折れ曲がる。
廊下を突き抜け、壁の中を通り、地下へ潜り——
黒く染まりかけていた線を、一本だけかっさらっていく。
その瞬間、孤児院の地下室に満ちかけていた霧が、ほんの一瞬、薄くなった。
悲鳴のトーンが変わるのが、遠くからでも分かる。
だけど——
「——ぁ」
何かが折れる音がした。
自分の中で。
視界が真っ白になり、次の瞬間に真っ黒になった。
膝が砕けるように床に落ちる。
弓を支える力が抜ける。
「蒼斗!」
ルミナの叫び声。
刺客の靴音が、近づいてくる。
「やりすぎだ」
刺客が、上から見下ろす。
「線を“曲げる”なんて真似、まだお前の器には早すぎる」
その声を、遠くに聞きながら——
蒼斗は、どうにかして顔を上げた。
廊下の先。
地下へ続く階段の線が、見える。
その線が、黒く染まっていく。
さっき矢でかき回したおかげで、“一手分”だけ遅れた。
でも、完全には止められなかった。
「——くそ」
歯を食いしばる。
刺客が、ひとつだけ感心したように呟いた。
「今のは、少し感銘を受けたよ。
“どっちも”に手を伸ばそうとして、器を裂いた」
指を鳴らす。
地下室の方から、結界の砕ける音と、誰かの叫び声が聞こえた。
女の声。
聞き慣れた声。
「リシェル……!」
立ち上がろうとする。
腕に力が入らない。
視界の線がぐにゃぐにゃと歪む。
刺客は、そんな様子を眺めながら、ゆっくりと言った。
「安心しろ。王女はすぐには殺されない。
“戦争の火種”としては、まだまだ使い道があるからな」
冗談のような口調で。
「お前の国が、“人質を取られた国”としてどう動くか。
王女を誘拐した“他国”がどう主張するか。
霧は、争いを好む。線が絡まるほど、美しくなる」
「お前ら……」
声が震える。
「……他国って、どこの——」
問い終わらないうちに、刺客は霧の中へ消えていった。
黒い線が、地下から王都の外縁へ伸びていく。
その先に、別の国の紋章があるのだろう。
だが、その名を聞く前に。
地下室の方から、はっきりとした叫び声が響いた。
「殿下が——! 殿下が連れ去られた!!」
孤児院の中に、絶望のようなざわめきが広がった。
♢
朦朧とする意識の中で、誰かが肩を叩く感覚があった。
「蒼斗!」
ルミナの顔が、目の前にある。
いつもより少し近く、少しだけ泣きそうな顔で。
「立てるか!」
「……立つ」
今、ここで倒れているわけにはいかない。
支えられながらどうにか立ち上がり、壁を伝って地下室へ向かう。
階段を降りた先には、砕けた結界の残骸と、倒れた護衛騎士たち。
床には霧の残滓がまだ薄く漂っている。
部屋の奥。
子どもたちが泣きながらシスターたちにしがみついていた。
その真ん中に——リシェルの姿はなかった。
「……っ」
胸の奥で、何かがキシリと音を立てて割れる。
ハロルドが、拳を床に叩きつけていた。
「私がもっと……! もっと早く、殿下を城へ戻していれば……!」
ラグナたちも、顔を歪めている。
「地下の別室に避難させたはずなのに……霧が、壁の中から……!」
「結界も、内側から歪められて……」
ミリアが、歯を噛み締める。
霧脈を捻じ曲げる刺客。
霊脈を逆流させる黒い線。
その全部が、たった一つの目的のために使われた。
——王女誘拐。
戦争の火種。
「……リシェルは」
喉がひりつく。
「生きてる」
ルミナが、断言した。
「霊脈の線は、まだ繋がっておる。
ぬしの胸の中の“線”も、あやつと絡まったままじゃ」
胸元のお守りが、かすかにあたたかい。
黒い線に傷つけられた霊脈の奥で、まだ細く震える光が見えた。
それは、王女の線と。
自分の線と。
天羽朧弓の線が、一緒に絡まり合っている感覚。
(……届く距離じゃない)
今は、まだ。
だが——
「——絶対に」
気づけば声が出ていた。
自分でも驚くくらい、はっきりとした声で。
「絶対に、取り返す」
誰に向けた言葉でもない。
でも、部屋にいた全員が、その言葉を聞いた。
ハロルドが顔を上げる。
ラグナが息を飲む。
ミリアとカイルも、じっとこちらを見る。
「天城……」
グレイが、いつの間にか部屋の入口に立っていた。
その目は、いつもの飄々とした色を失っている。
「王都全域はこれより緊急態勢に入る。
陛下にはすぐに報告が上がるだろう。……おそらく、王都は“戦争を視野に入れた対応”を求められる」
他国の傭兵。
霧獣部隊。
王女誘拐。
どれも、見過ごせるはずがない。
「だが」
グレイは、蒼斗をまっすぐに見た。
「今の一言は、国としての決定とは別に、“一人の弓士”としての宣言だな?」
「そうかもしれません」
蒼斗は、天羽朧弓を握り直した。
傷だらけの手で。
黒い線に焼かれた胸で。
それでも、握れる。
「王都がどう動くか、その間にどんな政治が挟まるかは分かりません。
でも——」
あの日、馬車の窓から見上げてきた笑顔。
中庭で袖を掴みながら「そばにいてね」と言った声。
堤防の上で泣きながら「無茶しないで」と言った顔。
全部が、胸の中で線となって絡まり合う。
「俺は、弓士として。
王女の護衛として。
相棒に“線を繋げてもらった人間”として——」
言葉を噛みしめるように、一つひとつ口にする。
「絶対に、取り返します」
ルミナが、隣でにやりと笑った。
「よい宣言じゃ。
なら、余も竜として、“線を守る者”として、その矢に全力で付き合ってやろう」
胸元のお守りが、静かに揺れる。
黒い線に焼かれた器は、まだひびだらけだ。
だけど——そのひびに、少しずつ“決意”という名の光が染み込んでいく。
王都はこれから、戦争の気配に巻き込まれていく。
霧の刺客も、他国の影も、全部、線が絡まり合って大きな渦になる。
その中心に、自分の矢が一本でも通るように。
(絶対に——)
王都を包み始めた警鐘の音を聞きながら、
天城蒼斗は、静かに何度も心の中で繰り返した。
——絶対に、取り返す。
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