私の文学美学

北宮世都

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素晴らしい文学ってなんだろうか?

私はいつも作品を作る時、テーマ(伝えたいこと)か、書きたい描写を描くところから始める。

テーマを軸に文学を作ってしまうような小説家は、いい文学なんて書けないだろう。

なぜなら作品を構成するパーツ全てが作者の意見を助長する構成員にすぎないから。

登場人物は自分の奴隷ではないのだ。

前者と比べ後者は美しい。

背景の中に自然と意思が宿る。

登場人物は作品の中で生きることができるのだから。

だが、素晴らしい文学とはそのどちらでもないだろう。

文学にはストーリーなんていらないのだ。

描写力、神秘性、文学の素晴らしさというのは

ここに隠されている。

ストーリーがなければ話は面白くないかもしれない。

だが、ストーリーというのは筆者の引いたレールにすぎない。

文学とは、書き手と読み手がいて初めて成立する物だ。

筆者がレールを引いてしまうのは勿体無い。

読み手によって化ける文学こそが美しく思える。

いうならば写生文学に似た物だろうか?

だが、文学とは単なる写生ではない、一度記憶し自分の文体を用いて書き起こす時

文学に命が宿る。書き起こした瞬間写生物ではなく、自身の作品に昇華する。

これは読み手にも言えることだ。他者に話す感想はいわば読み手自身の作品なのだ。

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