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雨飼さんは先月この会社に中途で入ってきた。新人とはいえ、前職も同じ業界で働いていたらしいので簡単な引き継ぎが行われたぐらいですぐに職場に馴染んだ。この歳で転職するぐらいなのだから元から相当優秀なのだろう。
僕はというと、彼の教育係を任されたのだが、教えることなど備品やコピー室や自販機コーナーや給湯室の場所くらいで、業務については雨飼さんの方が僕よりもよっぽどできた。
それに雨飼さんは僕よりも6つも年上だった。僕が小学校に入学した頃、雨飼さんは小学校を卒業するような頃ということである。
僕は早生まれだった。
この会社は衛星地図サービスの事業を行っており、僕の部署は『映ってはいけないものを消す』業務を行っている。
軍事施設や国家運営施設といったものから大富豪の家や宗教施設などのほか、本来映るはずのないものが映り込むことがある。
具体的に言うこともはばかられる、口にするのもおぞましい類のものと言ってもいい。
普通の感覚の人間が見たら発狂してしまうかもしれない。
そういう意味では僕や雨飼さんはこの仕事に適性があったということだろう。
そうしたものをレタッチソフトで消していくのが主な作業だ。正直とても地味で根気のいるものではあるが、仕事とは得てしてそういうものだと思う。
僕はこの会社に入って2年になるが、未だに仕事中に気持ちが悪くなってトイレで吐いてしまう。発狂することがなくても、『アレ』はあまり長時間見ていて気持ちのいいものではない。
その点雨飼さんは、特になんということもなく淡々と仕事をこなしていた。
いつものようにトイレで吐いたあと、個室から出るときに雨飼さんとばったり鉢合わせてしまったことがある。
「大丈夫? 顔真っ青だけど。」
「いや、まぁ、いつものことなんで。『アレ』を見るのはやっぱりあんまり気持ちのいいものではないですから。」
僕は手を洗う。
「あ、そうだ。これ。」
そう言い雨飼さんが手渡してきたのは、長さ6cm程度の円筒型のものだった。表面には星図があしらわれた紙が巻かれている。
「なんですか、これ。」
「万華鏡。」
「え、こんなに小さいのに?」
万華鏡というと、観光地の昔ながらの土産物屋の片隅で埃を被って売られている赤い和柄の布で装飾されたトイレットペーパーの芯ぐらいのサイズのイメージしかなかった。
「中に鏡が2枚以上組み合わせてあれば万華鏡になるよ。凝ったものだともっと鏡の数が多いのもある。」
「なんでこんなもの持ち歩いてるんですか。」
「美しいものを見ていないと目が腐るからだよ。」
「へ?」
目が腐る、という普段雨飼さんの口からは出てこないような言葉に僕は面食らった。
「万華鏡は、美しいものを見るただそれだけの目的で造られたものだ。そうしたものは持っているだけでも多少なりとも効果がある。勿論覗けばそこに美は存在する。まぁ、お守りみたいなもんだよ。これは君にあげる。」
「はぁ、ども。」
普段ならそんな意味のわからないものは絶対に受け取らないのだけれど、吐いたあとで体調もすぐれずイレギュラーな事象に多少なりとも混乱していたのでつい受け取ってしまった。
その日の午後、体調を崩すことはなかった。
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