第2話『エルフ、魔王少女との再会(主人公は覚えてない)』

 草原に風が吹いた。

 銀の髪が、光を反射して揺れる。


 エルフの少女、リリアは俺を見つめたまま動かない。


 その瞳には確信めいた喜び――まるで再会を待ち望んでいた恋人のような、強い光。


「……本当に……イツキなのね」

「え、あの……どちら様で……?」


 その瞬間、リリアの肩がびくりと揺れた。


「……覚えてないの……?」


(やべえ……前転生の記憶とか、完全に切り捨ててきたんだけど……?)


 リリアは胸元をぎゅっと掴み、震える声で語りだした。


「あなたは……六千年前の転生で、私を救ってくれたの。闇霊の呪いで死にかけた私に、光を分け与えてくれた……」

「六千年前って何だよ。俺は化石か!?」


 そしてリリアは一歩近づき、そっと俺の手を取る。


「魂は……忘れないわ。輪廻の中で姿が変わっても……あなたの気配は、何度でも分かる」

「あの、俺ノービスなんだけど……?」

「知っているわ。けれど……ノービスの動きではなかった」

「……………………」


(くそ……また身体の“6億周回ムーブ”が仇になった……!!)



 すると横から大きな咳払い。


「……イツキ様の手を、勝手に触らないでくださる?」


 マリエッタが眉間にしわを寄せていた。


「あなた、誰ですの? この方に馴れ馴れしく……」


 リリアは全く怯まずに答える。


「私はイツキの“恩返し相手”よ。あなたは?」

「私は、イツキ様をお守りする任務を――」

「守るのは私の役目です」

「いえ、私の務めですわ」

「いいえ、私」

「いーや、私ですのっ!!」


 バチバチバチバチ――

 静電気のような火花が二人の間に散る。


(なんで俺のノービスライフは、こうも速攻でハーレム戦争になるんだよおおお!!)



 と、そのとき。


 草原の奥で、何かが“ずずっ”と動く音。


「……っ! イツキ、下がって!」


 リリアが弓を構え、マリエッタも剣を抜く。


 次の瞬間、巨大な影が地面から飛び出した。


 黒い甲殻。

 六本の脚。

 牙のように尖った触覚。


「げっ……ハイ・スワームビートル!?」


 普通のスワームビートルの、百倍はある巨大種。

 新人どころか、中級冒険者が8人パーティで挑むレベル。


 ――なんでこんなのが草原に!?


「イツキ様、後ろに!」

「距離を取って!」


 二人の声が重なる。


(やべえ……俺、ノービスなんだから……まともに戦えないはずなのに……)


 俺の身体は、

 ――また勝手に動いた。


 ゆっくり一歩踏み出し、低く構え、

 虫の関節の動きを読み切るように視線を滑らせ。


 次の瞬間。


 巨体が突進する。

 牙が俺の喉元へ迫る。


 でも――


 俺は自然と、斜め後ろへ半歩だけずらした。


 その軌道は、6億周回の経験が導く“完全回避”。


 ハイ・スワームビートルの牙が地面に空振りし、体勢が崩れる。


「……え?」


 リリアもマリエッタも、息を呑む。


(ま、また……! また最強ムーブ出たあああ!!)


 次の瞬間、俺の手は地面の石をつかんでいた。


 反射的に投げる。


 カンッ。


 わずかな音――だが命中点は正確無比。


 石は甲殻の「関節の急所」を貫き、

 ハイ・スワームビートルは崩れ落ちた。


 ――ノービスがやっていい動きじゃない。



「……イツキ」


 リリアが震える声で言った。


「あなたはやっぱり……魂の英雄だわ」


 マリエッタも静かにうなずく。


「巫女様の判断は正しかったのです。あなたは“世界が放っておかない存在”ですわ」

「いやだぁあああああああ!!俺はスライムを三匹倒して今日は帰るって決めてたんだよぉおおお!!」


 俺の叫びは草原に響き、空へ溶けていった。



 ――そのころ、ダンジョン最深部。


 黒衣の少女が、薄く微笑んだ。


「……気配を感じる。また気づいてくれたのね、イツキ」


 燃えるような紅い瞳。


 その少女は、世界にただ一人――

 “転生の記憶を保持する魔王” ルルだった。


「今度こそ、迎えに行くわ。

 ――私の夫(前周回基準)。」


 ◆


 こうして俺のノービス生活は、さらに大きな地獄へ転がり落ちていくのであった。


 


 ハイ・スワームビートルを倒したあと。


 俺は放心状態で草原に座り込んでいた。


「……ちがう……俺はノービス……スライム倒して帰るだけの平和な人生を……」


 隣でマリエッタが、そっと水筒を差し出す。


「イツキ様、どうぞ。落ち着きませんと倒れますわ」


 一方リリアは、俺の周囲を警戒しながら静かに言う。


「……あの化け物が草原に出るなんて、異変ね。もしかすると……深層のダンジョンの“封”が緩んでいるのかも」

「深層のダンジョン!?」


(いやな予感しかしない……絶対そこに面倒事がいるやつじゃん……)



 すると突然、空気が歪んだ。


 黒い霧のような魔力が渦巻き、草原の一角が闇色に染まる。


「なっ……!? 魔力反応が強すぎる!」

「イツキ様、後ろに!」


 二人が慌てて武器を構える。


 だが――俺だけは悟った。


(あ……この登場の仕方……絶対アイツだ……)


 霧の中心から、ひとりの少女が歩み出る。


 黒いドレス。

 背丈は小柄だが、瞳は紅く、強烈な意思を宿している。

 角も翼もないのに、空気が支配されるような圧。


「……やっと会えたわ、イツキ」

「うわぁあああああ来ちゃったよぉおおおおお!!」


 現れたのは、

 転生の記憶を保持する魔王少女・ルル。


 6億周回中、ただ一人だけ――

 イツキ本人と「死に戻り婚」した(本人は忘却)最悪に面倒な魔王。



「あなた……今回はノービスになったんですって?」


 ルルは俺をじっと見つめる。


 紅い瞳は怒りでも呆れでもなく――

 ただただ「愛しさ」をにじませていた。


「あぁもう可愛い……何回転生しても、私を惚れ直させるのね……」

「惚れ直してないし惚れた覚えもないんだが!?」

「はい嘘~。前周回の最終日、“君がいちばんだ”って言われたの忘れてないからね」

「俺は完全に忘れてるからノーカンだよね!?」


 ルルはふん、と微笑む。


「じゃあもう一度言わせてあげる」

「言いたくないよおおおお!」



 マリエッタが前に出る。


「待ちなさい魔王! ここは王国領土ですわ!イツキ様に無断で接触するなど――」

「あなた、誰?」

「七大聖騎士マリエッタですわ!」

「へぇ……」


 ルルは微笑んだ。

 その笑みは優しそうに見えるのに、背筋が凍るほど冷たい。


「イツキに近づく女の名前、覚えるのめんどくさいのよね。どうせ全員、私の“夫の邪魔”だから」

「夫じゃないぞ!!」

「夫よ」

「違う!」

「私の中では夫」

「その基準やめて!?」



 今度はリリアが前に進む。


「……魔王。前周回でイツキを困らせた張本人が、何を言うの?」

「あら、あなたまだ生きてたのね。“恩返しヒロイン枠”の中ではわりと好きよ」

「好きの方向性がおかしいわよあなた!」


 二人の間にビリビリと魔力の火花が散る。


 マリエッタも負けじと叫ぶ。


「イツキ様は私が護りますわ!!」

「護られたいなんて一言も言ってないんだけど!?」



 ルルは少しだけ柔らかい表情になり、俺のそばに歩み寄る。


「イツキ。私、あなたを迎えに来たの」

「む、迎えに……?」


 ルルは俺の手を取ろうとする。

 その指先は冷たく、でもどこか懐かしいぬくもりを持っていた。


「深層ダンジョンで“封印”が破れたの。あなたの転生回数を追う“何か”が、また動き出したわ」

「……何それ俺の周回ストーカー!?」

「ええ。あなたの『魂の耐久値』を砕こうとしている存在よ。――だから、今回も私と一緒に来て」

「いやいやいやいや! ノービスだっつってんだろ俺は!!」


 ルルは静かに微笑む。


「ノービスでもいいわ。あなたが弱くても強くても、私は“ずっとイツキの味方”だから」

「味方だけど毎回世界壊す側なのが問題なんだよ!!」



 そのとき、草原の空気そのものが震えた。


 地面が脈打つ。

 遠くの空が黒く揺らぎ、稲妻が走る。


「……来たわね」


 ルルが空を見上げる。


「封印が……本格的に破れた」


 マリエッタも剣を握りしめた。


「こ、こんな魔力……聖騎士長でさえ感じたことが……!」


 リリアが眉を寄せる。


「イツキ。あなたを狙っている……間違いないわ。きっとイツキがノービスになって弱体化したからよ」


(なんでノービス始めた瞬間に世界危機くるの!? 俺、スライム三匹倒して帰りたいだけなんだよーーー!!)


 ――そして、空から落ちてきた巨大な影が、俺たちの前に着地した。


 その巨体が放つ魔力は、

 6億周回の中でも見たことのない、異様な波動だった。


「イツキ。逃げられないよ」


 ルルの声は、優しくて、残酷だった。

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