第2話 魔術師の命

【大通り】


 鉱石採掘で賑わう地方都市セレナイト。


 大通りをゆくクリスタは、白金の髪と純白のローブを靡かせ、周囲の喧騒から浮き立つように悠然と歩いている。

 すれ違う誰もが彼女に視線を送り、特に少女たちの眼差しは熱烈だ。


「ママッ! 見て! 『青薔薇』姫だよ!」


 無邪気な歓声に、クリスタは優雅な笑みを返し、小さく手を振った。


(ったく、外面だけは完璧だな)


 俺は、彼女の普段のズボラで暴力的な行いを、あの純粋な少女に洗いざらいぶちまけて、大人の汚い世界を無理矢理にでも覗かせたい衝動に駆られる。


(ダメだ。それじゃ、まるで変質者じゃないか)


 自重する俺に彼女は揶揄うようにこう言う。


「ほーら、愛想が足りないわ。そんなんじゃ、女の子にモテないわよ」

「それより、もう少し準備をしてからにしないか?」

「大丈夫よ。——私はね」


 余裕たっぷりの彼女に対し、街と外の境界が近づくにつれて、俺の胸は徐々に締め付けられていった。


【セレナイト周辺】


 門を抜けると緩やかな丘陵地帯が広がっている。


 足首までしかない雑草がブーツに絡みつき、俺の足は鉛のように重かった。この一歩で、いつ命を失ってもおかしくない。


 クリスタは愛槍の矛先から布を外し始めた。根元の青い魔石が淡く光る。俺が頼れるのは、長年腰に差している古びた短剣だけだ。


 しばらく歩いた後、クリスタは俺の顔を覗き込む。


「顔が硬いけど……もしかして、『炎鬼』様が魔物相手にビビってるの? それに腰の古びた短剣はお飾りかしら?」

「その名で呼ぶな。不安なのは、命を預ける相手が、お前ってことだ」


 辺りの警戒に意識を割かれ、いつもの強気な皮肉を返す余裕すらなかった。クリスタが更に嘲笑うかと思ったが——


「なら、私から絶対に離れないことね」


 なんて、まともな助言に驚いた。

 この言葉が、俺を気遣う優しさか、俺の死を恐れて出たものか、わからない。


 警戒している俺の眼に、丘の斜面にいる『ハイドウルフ』の影が映った。数は三匹。

 かつては、息を吸うように焼き払っていた魔物だ。だが、今では俺の体温を急激に下げる。


(草むらにでも身を潜めて、奇襲を掛けるか?)


 俺の思考を裏切るように、クリスタは口元に手を当て遠吠えを上げる。


「ワォォォーーー! ねぇ、すごく似てない?」

「なにしてんだ!? なんで、わざわざ魔物に気づかれるような真似をするんだ!」

「あら? これは狩りじゃないわよ。——あなたにとっては、肝試しかしら?」


 ハイドウルフは草を踏みしめ、低い唸り声を上げながら、ゆっくりと俺たちへ近づいてくる。


「そうね。一匹はお願いするわ」


 クリスタは構えもせず平然と前へ出る。俺は短剣を構え、彼女の背後を守るように後ずさりする。慣れない動きに転びそうになった。


 気がつけば、ハイドウルフは俺たちを三方向から取り囲むような配置になっている。

 クリスタは槍で牽制しながら、自身に二匹、俺に一匹を対峙させるようハイドウルフを誘導する。


 目の前の獣は脚を止め、身を屈め、飛びかかる姿勢を取る。握りしめた柄に汗が滲み、互いに間合いを図りながら睨み合う。


 ジリジリと睨み合う時間が続く。

 頬には汗が滴り、息が少しづつ荒くなる。


(前衛はいつもこんなことをしてんのか!? 正気の沙汰か!?)


 そう考えた矢先だった。

 背後で獣の雄叫びが、悲痛な絶叫へと変わった。


「アイシクル——」


(っ!? 詠唱してやがる!)


 首を捻ると、ハイドウルフがクリスタへと飛びかかっていた。対して、彼女は無意識に右手を突き出し、使えないはずの魔術を放とうとしている。


 俺は彼女の右手を掴み、無理やり下へと降ろす。彼女へと飛びかかって来た獣の牙が俺の手の甲を掠めたが、痛みを感じる間もなく、右手の短剣を獣の首元に突き立てた。


 背中の痛みを覚悟したが、何も感じない。

 振り返ると彼女の槍が背後の獣を貫いていた。

 

「……バ、バカなの! あなた、死ぬ気!?」

「バカはお前だ! 魔術が使えないことを忘れやがって!」

「あ、あれはワザとよ。右手を囮にしただけ!」

「なら、詠唱する必要ないだろ」


 静寂の中、俺の左手は熱を帯び、血が指を伝い地面へと滴り落ちる。傷はあまり深くない。


「……なんで、助けたの?」

「は? なに言ってるんだ? それより血の匂いで魔物が集まってくる。早く街に戻るぞ」


 俺が街へと歩き出そうと向き直った、その瞬間だった。静寂を破って、クリスタが素早く動く。背後から右腕を内側に捻じり上げられ、関節に鋭い痛みが走った。


 「ぐっ!」と息が詰まり、俺は街への一歩を踏み出すことができず、その場に縫い付けられたように立ち止まった。


「傷の手当てが先よ。ちょっと待って……」

「関節技を決めるな! それより早く戻るぞ」

「手は魔術師の命よ。化膿したらどうするの」

「……わかったよ」


 彼女は捩じり上げた腕を解放すると、俺の左手に水筒の水で洗い流し、ハンカチで止血した。彼女の冷たい手が触れてると、少しだけ傷の疼きは落ち着く。


 街へと戻る道中、クリスタはいつもと違い静かなものだった。ただ、街に着くと相変わらず、愛想を振り撒いていた。


 今回の件で俺は確信した。

 クリスタの身体能力は高く、魔物とも渡り合えるが、他の街まで辿り着くことは困難だ。俺たちは、今、セレナイトという陸の孤島に囚われていると——


 その夜、俺は連日続く古代書の解読による睡眠不足と、今日の疲労と緊張で深い眠りへと自然に落ちてしまった。


 彼女の真意も、そしてあの乱暴な優しさの理由も掴みかねたまま。


 この不安定な共同生活が、翌日、予期せぬ局面を迎えることになるとも知らずに――

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