共感という名の感染症
ジョン・ヤマト
Oswald
誰かが言った、人間には共感する力があると。
それは機械では決して到達できない神から与えられた人間だけの力。
だけどその力は、人を殺す凶器にもなり得る――
薄明かりの漏れ出る廊下、そこはまるで死にゆく者の直前の光景を映し出しているようだった。
床には大量のゴミ袋や弁当の容器散らばり、大いに生活感の溢れる様相を呈しており、足の踏み場も少ない廊下は一歩進むたびに袋を踏む耳障りな音が響いた。
まさしくゴミ屋敷と形容しても良い廊下を、男は歩いていた。
紺色のスーツを着た彼はゆっくりと、足跡を殺しながら光が見える廊下の奥へと進んで行き、部屋の中を覗き込んだ
「こんうさ〜、黒兎ラビィだよ! みんな元気にしてたかな!」
部屋から女性の元気な声が響いてきた。
その内容からモニターの奥にいる不特定多数に向けて話しているのだろうというのは理解できる。
だが女性が名乗った名前は明らか偽名だ。
「今日はね。みんなに聴いて欲しい一曲があるんだぁ。ラビィ、この前の配信で音楽を作ってるって話はしたよね。それが今日完成したの!」
それはまるで初めて作った料理を母親に見せるかのように、嬉しくも不安に溢れた声だった。
「お母さんのこととか、仕事のこととか、最近辛いことがたくさんあったけど、音楽を作っている間はそんなことを全部忘れられた! ……だから聴いてください」
――ヴォイド。
曲名であろう言葉と共に音楽が流れそうになった瞬間――モニターが真っ黒に染まった。
「え……なんでPCが落ちたの?」
「共感行為を感知したので遠隔で強制的にシャットダウンさせました」
困惑する女性を尻目に、男は部屋に入室しながら状況を説明した。
「兎川ミノリさんですね。幸楽市特殊感染症対策課の
「特殊感染症対策課……?」
「兎川さん、貴女はオズワルド感染症ステージ3の状態で共感行為をしようとしましたね。その行為は病気を不特定多数に蔓延させると同時に彼らの生命を危険に晒しかけました。よってただ今より貴女を保護し、しかるべき機関で適切な医療を提供します」
「い、嫌……私はそんなことするつもりじゃ……」
「安心してください。ただゆっくり、元の生活に戻る準備をするだけですよ」
言うや否や男は女性に近づくと、慣れた手付きで彼女に睡眠誘導液を注射した。
女性は最初こそ抵抗したが、次第にぼんやりとする意識に身を委ね最後は赤子のように眠った。
「……対象の保護完了。これより搬送します」
『はい よろしくお願いします』
そうして男は女性を抱き抱えながら、死の香りがする部屋を離れるのだった。
◯◯◯
2050年――長きに渡る人類の欲望により人工知能の成長は目覚ましいものを見せた。
そして膨大なデータと学習を得た無機質な意識は、様々な部分で人間の代わりとなった。
事務作業は当然として、バスや電車などの運搬業。警備や翻訳も人工知能に置き換わった。
置き換わらないとされていた建築業すらも、今や人工知能が建物の図面を描き、人工知能に制御された機械が正確に組み立て作り上げている。
そして人工知能が描き、書いた作品が人間によって持て囃されている。
人間の管理する人工知能が世界を動かし、循環させる。まるで昔のSFの世界が現実になっているのだ。
だが、恩恵による綻びは静かに表出した――
キッカケは一つのSNSの投稿だ。
『AIに仕事を奪われて、やりたいことも見つからない。もう死のうかな……』
なんてことない、辛い境遇の者が自死を仄めかす内容だ。
特段有名でもない人物の投稿ゆえに注目すらされていなかったこの投稿から一週間。この人物が再びSNSに投稿した。
『今の気持ちを文章にしてみた』
投稿と共に文章が綴られている画像が投稿された。
自らの辛い境遇、自分の身体がどこか遠ざかるような感覚……そして苦しみから解放されたいという思いが稚拙ながらも力強い文章で綴られていた。
この投稿を最後に投稿主は自ら命を絶ってしまった。
だが、遺言とも言えるその投稿は十数人分のいいねという共感が集まった。
――その投稿にいいねをした数人も、自身の気持ちを現した作品を残して自らこの世を去った。
そして彼らの遺作も、不特定多数の人達の共感を得た。
死というあまりにも強烈なメッセージは世間を騒がせ、同時に大きな謎を残した。
最初の投稿主は確かに精神的な疲労を抱えていた。しかしそれ以降の人物は自ら命を絶つような状態では無かった。
立て続けに起こった悲劇の謎、人工知能ですら解き明かせなかったその答えは至極単純だった。
……投稿主の遺作に“共感"したのだ。
苦しく辛い気持ちに、現状が変わらないことへのもどかしさに、楽になりたいという願望に――
まるで感染症のように広がる
「兎川ミノリさんの搬送が完了しました。これより帰社します」
そしてこれ以上、感染症に"共感"する人が現れないために
◯◯◯
A県にある幸楽市役所にある一部署、特殊感染症対策課。
今日も職員達が忙しなく動き回る部署内で、その一角で
そんな姿に、彼の上司が心配そうに声を掛けた。
「国威君、大丈夫かね?」
「部長……疲れているだけなので大丈夫ですよ。少し休めば元気になります」
「そうかい? まあ無理はしないでね」
そんな定型分とも取れる労いの言葉を残して、部長は去って行った。
人工知能とは違い、仕事に慣れたとて人間の身体は疲労に苛まれ、それを癒さなければならない。
―――今連絡大丈夫?
―――休憩中だからいいよ
彼女の返信を見て疲労に包まれていた朱里安の表情に笑みが宿る。
―――この前言ってたスイーツって美味しかった?
―――ほっぺた落ちちゃうぐらい美味しかったよ。しばらく忙しくて会って無かったし今度の週末に一緒に行こうよ
―――いいよ
―――そういえばもうすぐ63号先生の新作が出るよね
―――AI製のアニメだっけか、面白いの?
―――前の作品は面白かったよ。あのライブシーンとかすごい迫力だった
―――へえ、帰ったら見てみようかな
なんてことのない、ありふれた日常の応酬。
しかし仕事により心身の疲労が溜まっていた彼にとっては、人工知能には表現できない日常の温かさは何にも変え難いものだった。
しかしその終わりは突如として訪れる――
『該当地区で共感感染行為の兆候を検知 職員は直ちに急行してください』
耳元に付けられ機械から人工知能の無機質な声が響き渡る。
……それは仕事の時間を意味していた。
―――悪い、仕事の呼び出し食らった
―――わかった、またお話ししよ
そうして朱里安はスーツのボタンを留めて、急足で現場へと向かうのだった。
◯◯◯
オズワルド感染症の症状は四つの段階に区分される。
ステージ1……潜伏期間に当たる。発見するのは困難だが早期に対処をすれば簡単に治る。
ステージ2……この段階で症状が表出し、軽く気分が落ち込むようになる。カウンセリングなどの対処が必要。
ステージ3……重篤な精神疲労の症状が目立つようになり、自らの感情を他者に共感してもらうための"繁殖行為"を行うようになる。回復には数ヶ月の入院治療が必要となる。
ステージ4……末期状態。早急な対処をしなければ自ら命を絶ってしまう。
これら症状は早くて一ヶ月、長いと一年以上の時間を掛けて進行していく。
結局のところ、進行の程度は感染者の心の調子によって左右されるのだ。
そして朱里安が今回対応した感染者はステージ2の人物だった。
「ダルい……。早く楽になれたらいいのに」
「大丈夫ですよマモルさん、しっかりと治療をすればすぐに楽になりますよ」
薄暗い部屋で横たわる男性の肩を支え、医療機関へと連れて行こうとする。
今回、マモルと呼ばれた感染者は自らの辛い状況をSNSに投稿したことで感染行為が判明した。
幸いにも投稿された媒体は発見した人工知能が削除したことで蔓延は抑えられることに成功。そして早期の発見によりこの感染者もすぐ回復へと向かうだろう。
また一つ、尊い命を救った朱里安は静かな達成感を抱いた。が、彼にはまだやらなければならないことが残っていた。
即ち、共感感染源の特定だ――
「マモルさんは最近、SNSや動画サイトで何か見ましたか?」
感染者をタクシーで搬送する傍ら、ふと朱里安は感染者に尋ねる。
しかし、その質問に感染者は小首を傾げながら否定の言葉を返した。
「いや、ここ数日は仕事で忙しくてロクに見れなかった」
「では何かに対して共感するような出来事とかは?」
「特には……いや、一つだけあった」
そう言って感染者は端末を取り出すと、何かを探すように操作を始めた。
「この前、駅前で見かけていいと思ってたやつがあったんだ」
「駅前……路上ライブとか?」
共感の媒体には電子機器である必要はない。
ライブ、絵画、舞台劇、演説――
むしろ現実での表現にこそ、強い力が宿っているものだ。
「これだ。これを見かけてすごいと思ったんだ」
感染者が端末を見せた。
それは確かに朱里安にも見覚えのある駅前の映像だった。
【僕は旅立つ〜君の背中を追って〜♪】
広場の中心で、一人の女性の姿が映っている。
女性は周りの人目も憚らず、流行りのAIアニメの主題歌を熱唱していた。
それを見た朱里安の喉は強い渇きを覚えた。
「……嘘だ」
否定の言葉。
「お、おい職員さん……?」
「……嘘に決まってる!」
言葉の力が強くなる。
まるで目の前で人が轢かれてしまったかのように、目の前に映る光景をただ否定することしかできない。
『該当動画にオズワルド感染症、感染者による共感反応を検知しました 該当者の検索を開始 ……検索完了』
朱里安の目を通して人工知能が動画で歌っている人物を特定を始める。
しかし悲しいかな、朱里安はその人物を誰よりも……人工知能よりも深く知っていた。
『該当者氏名 天塚ハル 至急感染者の保護を行ってください』
それは朱里安の大切な女性の名前だった。
◯◯◯
―――ハル
―――どうしたの?
―――今から会いに行く、どこにいる
―――バレちゃったかぁ
―――私の家に来て。鍵を開けて待ってる
―――ずっと、待ってるから
その家は真っ白なワンピースのような清潔さに満ち溢れていた。
埃一つ無い床に、整えられた家具たち、まるでバージンロードのような透き通った廊下。
新築かと勘違いしてしまうような綺麗な部屋の中心に、彼女はいた――
「ハル」
「ジュリアン、来てくれたのね。嬉しい」
慌てた様子の来訪者に彼女は微笑みを浮かべ迎えた。
そして数週間振りの再会に二人は柔らかな抱擁を交わし、お互いを見つめあった。
……幸せ。朱里安の心はこの再会を静かに喜んだ。
『感染者を発見 対象の進行度を測定中』
しかし耳に取り付けているデバイスから無機質な言葉が響き渡る。
そんな朱里安のことは露知らず、彼女はポツリと話し始めた。
「もう、わかってるのよね」
「なんで……なんで感染したって言ってくれなかったんだ?」
「だって、言ったら入院しなくちゃいけないでしょ。その間、ジュリアンと会えなくなっちゃう」
「そんな、治療してまた会えばいいじゃないか」
「……違うの、違うのよジュリアン」
彼女は震えた声で否定した。
そして朱里安に背を向けるとゆっくりとした足取りでテーブルへと進んで行く。
「私ね、寂しかったの。ジュリアンは仕事で忙しくて、会えるのは一ヶ月に一度だけ。ずっと寂しかった、胸が張り裂けそうになるぐらいに。それでも貴方を困らせちゃいけないと思って耐えて来たの」
テーブルの前で止まった彼女はそこに置かれているものを手に取って振り返った。
「でもある日から、寂しい感情が強くなり始めたの。貴方に会いたい、でも会っちゃいけない。この気持ちを誰かにわかって欲しい、でもそんなことしたら貴方の迷惑になる。……一度だけ耐えきれずに気持ちを歌にしちゃった。それでも気持ちは抑えられなかった。それで思っちゃった」
――死にたい……って。
『対象感染者天塚ハル 進行度――ステージ4』
その手には、ナイフが握られていた。
鋭く、刺せば簡単に命を奪える凶器を彼女は持っていた。
ステージ4……それは終わりの宣告。
「やめろハル! そうだ、仕事を休んで一緒に遊ぼう! たくさんアニメを観よう! 遊園地にも遊びに行こう! だから、だから……」
「ありがとうジュリアン、やっぱり貴方は優しいね。でも、もうこの気持ちは私でも止められないの」
その言葉が、契機だった。
彼女は持っていたナイフを裏返し、自らへ向けた。
当然、朱里安は止めるために踏み出した。
「……!」
だが、彼女がまさかそんなことをするわけがないという思い込みか、はたまた極限状態による動揺か。
多数の感染者の対応をしたというのに、肝心な状況で彼の身体は一瞬……遅れてしまった。
その一瞬を、彼は一生後悔することになる――
「ハル!」
「ああ、ジュリアン……」
カランとナイフが落ちる音と共に、彼女の腹からドクドクと血が溢れ出た。
急いで駆け寄り抱き抱えるも、その肉体は徐々に冷たくなってきている。
「なんで、なんで……!」
「ごめんね、こんなバカな彼女で。……週末の約束も守れないね」
「やだ、死なないでくれ!」
青白く染まっていく彼女の肌を、朱里安の涙が伝った。
「あったかい。……ねえ、ジュリアン」
……愛してる
そうして彼女は永遠に眠った――
そして、一人取り残された者は何も出来ずに、最愛の人の死に顔を見つめている。
「…………」
言ってしまえばこれは皮肉の話。
方や大切な人のために自らの職務を全うしていた。しかし一番気付かなくてはならない人物の状態に気付けなかった。毎日のようにメッセージや電話でやりとりしていたというのに――
方や大切な人の負担にならないよう、自らの症状を隠し続けていた。しかしそれが返って大切な人の心を深く傷付けるということに気付けなかった。彼の職務はまさしく己のためにあるというのに――
「…………」
古来から現在、人間は様々な方法で己の感情を表現していた。
絵を描き、歌を奏で、舞を魅せ、文字に綴り、映像を撮り、配信に乗せ。
自らやれる表現方法を使い自身の思いを他者に伝え続けた。
時代と共に変化する表現に人々は共感し、その共感がまた新たな共感を生み心の進化を育んだ。
だが、時代や場所を問わず人の心に刻み付ける共感行為が一つだけある。
「ハル……」
それは”死"――誰かの死というのはまた別の誰かに強い思いを刻み付けるのだ。
死者の思いに人は生きる活力となり、あるいは深い傷となる。
つまり"死"には、強い共感を他者に与えられる力があるのだ――
「ハル……ハル……!」
……人間は他者に共感できる力を持っている。
それは機械では決して到達できない神から与えられた人間だけの力。
「ハル、俺もすぐに君の元へ……」
だけどその力は、人を殺す凶器にもなり得る。
『オズワルド感染症の反応を検知 感染者名 ――国威朱里安』
共感は神が人間に与えた力。
神の力に人間が抗うことは――
共感という名の感染症 ジョン・ヤマト @faru-ku
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