召喚された使い魔、契約書が恋文みたいで困ってます
@erika_shimizu
◆
急浮上、急回転。
光の渦の中でもみくちゃになり、やがて一点に引き寄せられる。
目を開けると、わたしは魔法陣の中央に立っていた。
召喚されたのか。
なんとなくそれだけはわかった。
「あなたがわたしの主人で――」
「やっと! やっと来てくれた……!!」
なぜか脳内に浮かんできた『召喚された時に言わないといけない台詞』を誦じようとしたけれど、感極まった叫びに打ち切られる。
「うるさ」(うるさ……)と心の中だけで抵抗しながら顔を向ける。
「声に出ちゃってるよ」
一旦無視する。
なぜなら、召喚主は満身創痍だったからだ。
「すみません、第一印象が死にかけとは一体」
召喚主は――悪魔は片翼をもがれ、半身が焼け焦げていた。生きているのが不思議なくらいの傷。
「まあ気にせず。これが契約書ね」
そう言って渡された羊皮紙はところどころ黒ずんでおり、妙な迫力があった。
使い魔として呼び出されたからには契約は大事だ。
取り急ぎさらりと読んでみる。
「……なんですか、これ」
第一条 乙(使い魔)は主の傍に常に在ること。
第二条 乙が涙を流した場合、主は命を賭してその理由を取り除くこと
第三条 乙が笑うとき、主は必ずその傍に居合わせること。
第四条 乙が主を拒んだとき、契約は破棄され、主は世界を滅ぼすこと。
第五条 乙は主の許可なく、――
第五条以降もこの調子である。
これは、その。あれだ。
「愛が重いです。束縛彼氏ムーブやめてください」
「彼氏……! 想定より進展が早い……」
「進んでない進んでない。言葉のあやです。そこ、ときめかないで」
煤けた頬を赤らめる悪魔に、戸惑いが加速していく。
急に呼び出されてこれだ。わからないことだらけでいっそ清々しい思いだ。
「……薄々わかってはいたことだが、本当になにも覚えていないんだね」
声が低く掠れる。
悪魔の指先がわたしの頬に触れる。
びくり、
肩が震えるけれど、逃げられない。
使い魔としてのわたしは、基本的に主を拒むことはできないから。
「契約を結べば、思い出してくれるのかな……」
闇色をした悪魔の瞳が、切なさを宿してかすかに揺れる。
どうしてだろう。
どこか放っておけない人……いや、悪魔だった。
「……契約……しましょう」
気がつくとそう宣言し、契約書に真名を記してしまっていた。
『使い魔ミルリナ』
赤く光る魔法陣が、再び唸りを上げる。
羊皮紙に書かれたわたしの名に熱が走る。
「契約完了」
悪魔は苦しげに、けれど嬉しそうに笑った。
「今度こそ君を離さないよ」
*
使い魔としての最初の仕事は、主の治療だった。
契約を結んでも何ひとつとして思い出せなかったけれど、なぜだか治癒魔法は一番得意だという謎の自信があった。
その自信に違わず、最大出力のわたしの魔法は、悪魔の傷をまたたく間に治していく。
傷口がひとつ塞がるたびに、悪魔は静かに涙を流していた。
「痛みますか?」
慌てて首を振り、ぎこちない笑みを作る。
「嬉しいんだ。ミルリナの魔法は……温かいから」
傷が塞がる時、ほのかな熱を感じるのはよくあることだ。
わたしは特に何も思わず、そうですか、と手元に意識を集中させる。
「それにしても酷いお怪我。一体どうなさったのかお聞きしても?」
「……少しだけ、無茶をしてしまったんだ。でも、後悔はしていないよ」
言葉のとおり、悪魔はどこか達成感のようなものに満ち溢れていた。
「……完了です。あとは夜明けまで眠ること」
ひととおりの治癒魔法をかけ終え、立ち上がろうとしたわたしの腕を、引き止めるように彼がつかむ。
「……隣に、いてくれるんだよね?」
第一条 乙(使い魔)は主の傍に常に在ること。
「え、これ添い寝しろってことです? 清々しいほどのセクハラ」
「ミルリナ! 待って、ごめん俺が悪かった! 拒まないでごめん、世界滅ぼす体力いまない」
第四条 乙が主を拒んだとき、契約は破棄され、主は世界を滅ぼすこと。
「拒みたくなるようなことを言わないでください……」
体の奥底から深いため息がこぼれ出る。
自分でせっせと書いた契約内容だろうに、当の本人が翻弄されてどうするのか。
「添い寝はまた今度でいいからさ。……近くにいてくれる?」
ふわふわの猫っ毛の隙間から、すがるような瞳が見える。
まあ、それくらいならいいでしょう。
渋々頷くと、悪魔は幼子のように屈託のない顔で笑ってみせた。
驚いた。どうや眠ってしまっていたらしい。
曇った窓硝子越しに差し込む陽光にまぶたをくすぐられ、ゆっくりと目を開ける。
悪魔の寝床の対角線上、部屋の隅っこに作った当面のわたしの陣地。
『この線を越えたら世界滅亡』ラインに触れないぎりぎりの場所に、悪魔が立っていた。
「おはよう、俺の大切なミルリナ」
「おはよう、ございます。主よ」
どうやら怪我はすっかり良くなったようだった。よかった、腕は衰えていない。
「……ハーブティーを淹れたんだ。よかったらどうぞ」
そう言って軽く持ち上げたカップからは、とても良い香りが漂っていた。
滅亡ラインをこえ、手を伸ばす。
どこか懐かしい香りを胸いっぱいに吸い込む。
「これは……レイシャンですね。香りに癒しの効果があるだけでなく、花も」
「花にも力があって、お茶にするときは乾燥させた花と葉を2:8の割合で混ぜるとより効果的なんだよね」
「……よくご存知ですね」
澱みなくレイシャンティーについて語る悪魔に、心の底から驚く。
「君が好きなお茶だから」
そう言って、悪魔は目を伏せた。
使い魔としてのわたしの仕事は、本当にただ主とともに過ごす、それだけだった。
ともに部屋の掃除をする。
ともに模様替えをする。
ともに茶を飲み、本を読む。
ともに食事を作り――
「いやこれ普通にただの同棲!!」
突然わたしが大きな声をあげたせいで、驚いた悪魔が手にしたカップを盛大にひっくり返す。
「び、びっくりした。突然どうしたの」
「どうしたのじゃないです。わたしは何のために召喚されたんですか」
使い魔らしきことをしたのは初日だけで、それ以降はただひたすらに悪魔と日々を過ごしていた。
ただの日々を。何気ない日々を。
外出は禁じられていたが、必要なものは悪魔がすべて調達してくれるのでなんの不便も感じなかった。
殺風景だった悪魔の根城は、いまではわたしの趣向をとりいれ大変快適な空間になっている。
一日中ごろごろしていられる、のだけれど。
「なんのためにって……こうして一緒に過ごすためだけど」
なにを今更、というように彼は小首をかしげる。
「あなた悪魔でしょう。もっと野望とかはないんですか」
「ない……かな。ミルリナと過ごすために最低限仕事できたらそれで」
「そんな……!」
わたしはこのためだけに召喚されたのか。
正直に言って楽だ。使役される側のQOLはは召喚主の性格と労働環境に大きく左右される。
その点三食昼寝つきのこの毎日は素晴らしい環境といえるだろう。
でも。
「あまりに張り合いのない……」
嘆くわたしを、悪魔は静かに見守っていた。
「……ずっと頑張っていたんだ。こんな時間が少しくらいあったっていいと思わない?」
どこか儚げなその笑みに、胸の奥がうずく。
「あなたは……わたしの知らないわたしをご存知なのですね」
ずっと聞きたかったことだった。
眼差しも、唇も、手のひらも。
彼の出すすべてのサインがわたしではないわたしに向けられていることに、気が付いてはいた。
「そうだね。……もう少ししたら、話すよ」
――俺と君の物語を。
お茶を淹れなおすね、と立ち上がる背を見送る。
ちょうどおかわりが欲しいと思っていたところだった。
悪魔はいつだって、わたしを甘やかすのだ。
*
その日は雨だった。
悪魔は夜明けからどこかに出掛けていて、わたしは暇を持て余していた。
できることはすべてやった。
片付け、観葉植物の世話、魔法薬のストック作り、茶葉の乾燥、夕飯の仕込み。
気がつくとすっかり外は暗闇で、さすがに帰りが遅い、と思った。
出かけることはよくあったが、いつも暗くなるまでには戻っていた。
何かあったのだろうか。
わたしは平穏な生活にすっかり慣れて、警戒心というものを失っていたのだろう。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけならばいいだろうと、外へと通じる扉を開けてしまった。
久しぶりの、外の気配。
どうせならば快晴がよかったのに、と、降りしきる雨を手で防ぎながら空を見上げる。
灰色にくすんだ味気ない空。
不意に、その奥が鋭く光る。
「……中に入って!!」
悪魔の声がしたのは、光とほぼ同時だった。
少し離れた木立の切れ目、濡れ鼠のような彼が目を開きながら駆けてくる。
どうして、そんな顔をするの。
戸惑いながら、部屋へと戻ろうとした時だった。
重たい雨雲の隙間から眩い光が一筋差し込む。
網膜が灼かれそうになり咄嗟に顔を覆う。
同時に、立っていられないほどに地面が揺れた。
「ミルリナ……!!」
光の柱の向こうで、わたしを呼ぶ声がする。
こんなに苦しそうな悪魔の声を聞くのは、使い魔としては初めてのことだった。
……使い魔としては?
『黙りなさい、穢らわしい盗人よ』
光の中心に、影が見える。
人にも見える。けれど、瞬きのたびに異形のようなもののノイズが混じる。
天界の者だと悟る。
『ようやく見つけました、聖女ミルリナ。さあ還りますよ』
聖女。
わたしは使い魔としていま存在しているはず。
聖女、ミルリナ?
淡い記憶の断片が急速に色を帯びていく。
静謐な海、断絶の森、終わりなき旅、救うべき命、許されぬ戦火、みなしごの悪魔、不条理な光、――
「……わたし、は」
像が形を成し始めたのと、息を切らせた悪魔がわたしに手を伸ばしたのは、ほぼ同時だった。
「待ってくれミルリナ、お願いだ――」
『聖女に触れるでない、愚か者!』
計り知れないほどにエネルギーが光の柱から生み出され、悪魔へと向けられる。
考えるよりも先に、体が動く。
「あぁ……!!」
庇うように悪魔を抱きしめ、背中を神の光に灼かれた。
最初に思ったのは、またか、それだけ。
「いやだ……いやだいやだいやだ、ミルリナ! いやだ……!!」
身を引き裂かれそうなほどの悲しみに満ちた彼の叫びが鼓膜を揺らす。
そう、これも『またか』。
わたしはすべてを思い出した。
悪魔との戦争で蹂躙され尽くした大地を救済する果てなき旅。
聖女であったわたしを中心とするその旅団のあとを、こっそりとつけてくる悪魔がいた。
最初は殲滅の機会を伺っていたけれど、その悪魔はいつまでたっても何もしてこない。
いつしかわたしは、彼と交流するようになっていた。
許されないことだとわかっていた。
けれど彼と触れ合うことで、悪魔の中でも人間との関係をめぐり対立構造があることを知った。
なんとかしたくて、と彼はある日打ち明けてくれた。
何故? と問うと、悪魔は長い背を所在なさげにまるめて、ぽつりと呟いたのだった。
――人間のことが……ミルリナのことが、好きだから。
やがて罰が下る。
神に見つかり、悪魔は灼かれることとなった。
なにが救済の旅だと思った。何が神だ。空から降りてきもせずに、民草の命が燃え尽きるのを高みから見下ろして。
彼の方がよほどこの地に根ざしている。
人間を知ろうとしてくれている。
わたしを、知ろうとしてくれている。
無我夢中だった。
神の光と悪魔の間に身を投げ込んだ。
わたしの名を呼ぶ彼の悲痛な声が聞こえた。
その後のことは、覚えていない。
歪んだ光、頬を濡らす温かいもの、名を呼ぶ声。
震える瞼を開くと、悪魔が泣いていた。
わたしの体といったらあちこちが焼け焦げて、とても見られたものではなかった。
そしてもう一つ気づく。
「……天界まできてくれたんですね。わたしを追って」
わたしの魂を得た代わりに彼は片翼を失い、全身を焼かれたのだ。
今のわたしのように。
「ミルリナは俺のせいで……!! だから、今度こそ守るって、そう思って…!!」
こんなにぐちゃぐちゃに泣いて、仕方のない子。
『聖女よ、そのけだものから離れなさい!』
ああもう、うるさい。思わず叫びそうになる。「うるさい!!!」
「ミルリナ、声に出ちゃってるよ……」
それは失礼。
『え』
光の異形が硬直する。
まさか瀕死の元聖女に言い返されるとは思ってもみなかったのだろう。
「ただでさえ何もしてくれなかったくせに、魂ひとつすら悪魔から守れないなんて何事?」
『あの、でも』
「でもじゃない。言い訳しない」
『すみませんでした』
「謝るのは幼子でもできる」
『はい……』
「もう用はないので一旦お引き取りいただいていいです?」
神は死んだ。
次。
「あなたもあなたです。無茶な真似をして」
「ごめんなさい……」
「無理やり堕天させられたせいで、今生は使い魔からのスタートです」
「本当にごめんなさい……」
素直に謝ることができるだけ、神よりマシだ。
満身創痍のまま、わたしは少しだけ表情を緩める。
「おとなしく待っていればよかったのに」
「……え?」
「あなたが……来なくても、わたしは……」
その続きは霧のように空気に溶けて音にならない。
まだ未熟な使い魔である私は、天界の光を受けて消滅寸前だった。
「ミルリナ、駄目だ!」
ばらばらに解けていく魂をかき集めるように、悪魔がわたしの体を強く抱く。
わたしは光の粒子となってその指の間からこぼれていく。
そうしてまたこの世界から消えるその刹那。
最期にわたしが見たのは、血のように紅くきらめく契約の魔法陣だった。
*
「なにをぐずぐずしているんです。行きますよ」
あたたかな陽の光がまるで似合わない闇色の人影を振り返る。
「ごめん。戸締りしたかどうか気になっちゃって」
「何度も確認したから大丈夫ですよ」
そうだよね、とはにかんで笑う。
二人で暮らすあの部屋を、彼は宝物のように大切にしていた。
――第五条 乙は主の許可なく、消滅することはできない
魂へと還ろうとしていたわたしを再構成したのは、契約の一文だった。
「俺は認めない!! 絶対に許さない。ミルリナの消滅は許可しない!」
彼の腕の中で、流れ落ちる涙を頬で受け止めた。
そうしてわたしは再び使い魔としての肉体と、大切な記憶をもう一つだけ取り戻したのだった。
「それにしても、なんだか不思議だね」
楽しげな呟きに、わたしは瞳だけで先を促す。
「悪魔と使い魔で、救済の旅の続きをやるなんて」
そう、わたしたちはしばらく出かけることにしたのだ。
宝物のような部屋に、しっかりと鍵をかけて。
「聖女としての力はほとんど使えるみたいだし、ずっとあの部屋にいるのも退屈ですしね」
「退屈……!」
傷つけてしまった。どうにもこの男は繊細すぎて困る。
「そんなにしょげないで。ほら、顔を上げてごらんなさい」
わたしは満面の笑みで悪魔を迎え撃つ。
「第三条 乙が笑うとき、主は必ずその傍に居合わせること。でしょう?」
数秒前しょんぼりしていたはずの彼は、どうやら俄然やる気を取り戻したようだった。
「ミルリナが涙を流すようなことがあったら、俺は命を賭してその理由を焼き尽くさないとね」
「そんな物騒なこと書いていなかったです。『取り除く』ですよ」
「そうだった……?」
真剣に悩み始める彼を見上げる。
共に地面を踏み締めて歩けることを誇らしく思う。
「どうやら世界を滅ぼさずにすみそうですね。――アゼル!」
名を呼ばれた悪魔は、光よりも明るく、まるで花が咲いたように笑ったのだった。
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