サリーを着た少女の素足

@asobukodomono

第1話 サリーと素足

 ずいぶんと昔、インドを訪れた二日目、場所はデリーの通りだっただろうか、サリーを着た少女の美しさに目を奪われた。だが、少女は素足のままで大地を踏みしめていて、サンダルを履いていなかった。褐色の素足には白い砂埃がまとわりついていた。

「もったいない! サリーの華やかな色と同じようなサンダルを履いているなら、もっと綺麗になるのに」

 と残念に思った。サンダルを履いていない、というその一点を、原色の鮮やかなサリーと対比して、薄汚れて、汚らしく感じてしまったのだった。その欠落感が、その後、一ヶ月半程度、僕が北インドをふらふらと周っているあいだ、脳裏の片隅に残り続けていた。

 僕はお金の持ち合わせが大してなかったので、一人で安宿を泊まり歩いていた。話しかけてきた現地の人に、僕が泊まっている場所を伝えると、スッと離れて行かれたほどだ。宿のあるエリアで、どういうレベルの人間かわかるらしい。会話するほどのやつではない、と判断されたのだろう。それとも、ぼったくろうと思っていたが、こいつからは無理だ、と思われたのか。

 食事はできるだけ現地の人々が食べている物を食べるようにした。好奇心もあるし、何よりそのほうが安い。観光客があまり使わないようなレストランに入ると、店員に驚かれることもあるが、メニューには英語表記もあるし、何とかなった。店員の人たちも、こちらが聞けば色々と教えてくれる。

 ただ、調子に乗って失敗もした。現地の料理は、どれも香辛料をふんだんに使ったものだったので、滞在して一週間ぐらい経った頃、ふと気づくと胃腸が限界を超えていたのだった。安くて美味しかったのでバカバカ食べていた。水も、ペットボトルではなく、現地の人がコップに注いで飲んでいるものを、同じようにゴクゴク飲んでいたせいもあったのだろう。

 どうも胃もたれがする、と思うと急に胃全体が石のように感じられてきた。夜遅くのことだった。ホテルのスタッフに助けを求める、という考えは全く思い浮かばなかった。それに、あれ、おかしいな、と思うと気づくと動けなくなっていた、という症状だったので助けを呼ぶ間もなかったのではなかったか。

 とにかく苦しかったのは、普通、腹を壊せば下痢をするものだが、胃腸が全く活動を停止していて、下しようがないことだった。脂汗が出た。

 身動きもできずにベッドの上で丸まって、湿気と臭気のある部屋の中で、ああこのまま俺はここで死ぬんだ、と本気で思った。朦朧とする意識の中で、外の様子がふと目に入ると、オレンジ色の光がポツポツと輝いていた記憶がある。人間なんて、あっけないものだな、と思った。ここで俺が死んでも、それが知られることはないんだろうな、と妄想した。

 そうして悶えることもできず、ただ丸まってじっとしていると、突然、嘔吐感がこみ上げてきた。トイレに駆け込むと、驚くほどの量の食べ物を吐いた。ほとんど消化されていなかった。吐き出し切ると、爽快だった。だが、吐いて落ち着いてくると同時に、どっと疲れが押し寄せてきて、翌日は昼ごろまで眠った。

 それ以来、耐性ができたのか、性懲りもなく同じような食生活をしていたのだが、全く腹を壊すことはなかった。まあ、馬鹿です。

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