幻視痛

由甫 啓

幻視痛

 伝わるか分からないんだけど、こうぼんやりとしているときに、視界をすいすいと動くものを見る時がある。

 これが眼球に居着いた微生物かなにかである、なんてのを理解したのは確か学校で顕微鏡を覗いていた時だったと思う。

 顕微鏡でなにがしかのーー例えばミカヅキモとかそういうやつだーーを観察している時に僕が微生物が泳いでると言ったのがキッカケてやつで。

 理科の教員の何の気はない「お前の目ん中の微生物じゃねえか?」は僕をひどく驚かせ、同時に動揺させるものだった。

 だって目の中に自分も知らなかった生き物がいるって言うんだ。それがどんなに小さくったって、気味が悪く感じられた。

 目の中に生き物がいるという考えは僕の中に深く根付いてしまって、どんな時でも気付けば目で追うようになっていた。ーーここ、この表現でいいのかな。目の中のものを目で追いかけてるってなんかすごく変だ。

 目を擦ったり、泣いてみたり目薬を刺したり洗ったり。そんなことをしたって居なくならないこれは、もしかすると表面ではなくて中に居るのかもしれない。

 なんなら、居ると思い込むあまりにいもしない架空の微生物をでっちあげてしまっている可能性だってあるのだ。

 左目を泳ぐそれを捉えている気になって、彼女の顔と共にそれを見て、映画の名場面を泳ぐそれを見て、仕事の最中に慎ましやかに泳ぐそれを見て生きてきた。

 この感覚は僕だけのものなのだろうか? 誰の目にだって居る……そうだろ? そんなものに気を取られて、人生の半ばをそれを見つめて生きてきたのが僕だけなんてあるだろうか? 気にならずに生きていけるものだろうか?

 だとしたら僕は余りにも普通ではないじゃないか。

 余りに気にするものだから見掛けると目を擦ってしまうのが癖になってしまった。

 擦らないように、目で追いかけないように、見ないようにと心掛けて過ごす僕はそれを捉えるたびに反対へ目を動かした。見ないように。右から来たら左を、左から来たら右を見る。そんなことをしていたら筋肉を痛めたのか目の中を泳ぐ生き物を見かけるたびに痛みを覚えるようになった。

 とはいってもちくりと痛む程度のものだ。


 だからというわけではないけど、左目をふよふよと横切るこの生き物を僕は遂に排することとなった。

 とはいっても僕の名誉の為に言わせてもらうがまったくの事故だった。幾ら僕が繊細なやつだったとしても目を潰すほどいかれちゃいない。

 自転車で転んで縁石に思い切りぶつけたのだ。左目を摘出することになってそりゃショックだった。だけど同時に、ああもうあんなものを見ずに済むんだなと思えばせいせいとした気持ちでもあるんだ。

 退院して包帯を外してもよくなった僕の左目には、眼窩にはもう何もない。

 何も見えなくなった。それは不安と安堵を僕にもたらすものだった。日々の生活から世界が半分消えてしまったことと、もう目で追いかけなくてもいい安堵。

 そう思っていたのだけど、一度気にしてしまったら気になるのが人間というものだろう?

 あの事故からしばらく経った今も僕は無い目で目の中を泳ぐ存在を探している。目の端に今も捉えている気になって引き攣るような痛みを僕は覚えるのだ。

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