3-2 女王の料理人

 夜。

 ブラック・ワーム号を沖に停泊させ野営することにした。

 近くに雑木林のある浜だ。


 テントで千鶴が眠っている。

 船員たちもぐっすりだ。

 焚き木を前に起きていたウィケット。

 彼は背後に忍び寄る気配に気づいていた。


「ウィケット・ディケンズ」


 影は木の陰から声をかけた。


「昼間のモービルはおまえか」


 顔見知りだった。


「腐敗を連れてるだろ、奇妙な少年を。町で見かけたんだ」

「おまえんとこの隊長が思っているような罹患者とは違う」

「どうだかな」

「確かめればいい、驚くぞ。おれの気持ちがわかるはずだ」

「おまえの気持ち? 知らねえよ。勝手に自己完結すんな。議論の分かれる問題だろ。間違えば、今度は街じゃなく国全体が滅ぶ」

「何でも焼けばいいってわけじゃない」

「蟲に夢中で現実見えてないやつに言われたかねえ」

「その蟲にびびって逃げたのは誰だ」


 頭にきてウィケットは振り返る。

 木陰には誰もいなかった。





 一夜明け。

 ブラック・ワーム号は砂の海を行く。


「サンドワームは見えるか?」


 船員たちが望遠鏡で砂漠を監視する。

 セレマは甲板を歩きながら彼らへ訊ねる。


「ウィケット、モービルだ。すごい速さで近づいてくる」


 船員が知らせた。

 セレマはすぐに手すりへ駆け寄る。

 あそこだ、と船員が指差す。

 望遠鏡を覗くまでもなかった。


「船員臨戦態勢!」


 ウィケットが大声を出すと船員は剣を抜いた。


「モービルが消えた」


 船員の声にウィケットは砂漠へ目を向ける。

 モービルが見当たらない。

 音もない。


「上だ!」


 船員のひとりが叫んだ。

 人影が船の上部を飛んでゆく。

 数は一人。

 麻色のローブ。

 フードで顔が見えない。

 甲板へ着地するなり船員が応戦する。


 船員が次々に伸されていく。

 甲板を転がる。

 影の動きが速い。

 蛇公ほどじゃないと思った。

 でも似てる。


 ローブの人は丸腰だ。

 なのに誰も相手にならない。


「下がれ、おれがやる」


 ウィケットさんが剣を抜く。

 フードの者へ駆け寄っていく。

 連続突き。

 ある一刺しがローブに触れ、脱げる。

 赤いコートが現れた。

 顔が見えた。

 男だ。

 

「焼却隊か?」


 誰か船員が言った。

 甲板がざわつく。

 

「こいつはパイロ、焼却隊だ」


 ウィケットさんが説明した。


「ベルの町でチヅルを見かけたらしい。それで追って来たんだ」

「何でぼくを追って……」

「罹患者は漏れなく焼却する。それが平和だ」


 パイロが腰の鞘から剣を抜いた。

 あれ?

 何か剣の見た目が違う。

 ウィケットさんや他の船員が使ってるのと違う。

 刀身に穴が空いてるように見える。


 ウィケットさんとパイロの姿が消えた。

 次に見えると二人の剣が交わる。

 パイロの剣から火が吹いている。

 刀身に空いた穴から漏れてるみたいだ。


 蛇公ほどじゃないけど速い。

 他の船員と全然違う。

 ウィケットさんがが剣で突く。

 フェンシングみたいに。

 パイロの姿が消え、ウィケットさんの剣は残像を突き刺す。

 残像がウィケットさんの背後へまわる。

 残像がウィケットさんへ剣を振り下ろす。

 瞬間、ウィケットさんの姿が残像に変わる。

 残像がパイロの背後へまわる。

 応酬。


「速い……」


 思わずぼくは声をこぼした。


「凄いだろ」


 そばの船員が誇らしげな顔をしていた。


「元女王の料理人にのみ許された足運びだ」


 凄い。

 目で終えない。

 二人の姿が見えない。

 ほとんど残像だ。

 剣が交差したときにだけ見える。

 でもウィケットさんが押されてるような気がした。


「ウィケット、右腕の義手はどうした」

「修理中だ」

「片腕だけでおれに勝てると思ってるのか?」


 多分、あのパイロって人の剣から吹く火のせいだ。

 熱くて近づけないんだろう。

 ウィケットさんの体が反ってる。

 途中から逃げ腰になってる。


「動くな」


 背後で声がした。

 気づくと後ろから、ぼくの喉元に剣が突き付けられていた。

 気づいたウィケットさんの動きが止まる。


「ウィケット、おまえもだ。そこから動くな、剣を捨てろ」


 ウィケットさんが言われた通りにした。

 船員たちが剣を捨てる。


「罹患者をかくまうなんてどうかしてるぞ」

「パイロ、聞いてくれ。チヅルは罹患者じゃない。腐敗病に感染してない。彼の体をよく見ろ。斑紋がないだろ?」

「“疑わしきは罰せよ”──腐敗と向き合う際の常識を忘れたか」


 パイロが船員たちに大声で言った。


「おまえら旧市街を忘れたか! 何度家族を失えば気が済む」

「ウィケット、言う通りにしよう」


 船員がぼそっと言った。


「彼の言う通りだ。罹患者を匿うべきじゃない」

「チヅルは罹患してない、何度言えばわかる! ベルの町で見ただろ。彼がサンドワームの腐敗を除去する姿を!」

「腐敗は取り除けない」


 パイロの声が頭の後ろで聞こえる。


「焼却するしかないんだ」

 

 船員たちの視線が甲板へ項垂れる。

 もう誰も何も言い返さない。

 そうか。

 ぼくは最初から腐敗に過ぎないんだ。

 この人たちもベルの町民と同じだ。

 腐敗を吸収できようが関係ない。


「船員の方が物分かりがいいな」

「ウィケット、黙って引き渡そう」


 またひとり船員が提案する。

 その度に、胸を刺されたような痛みが走る。


「この少年については他言無用だ。後は焼却隊こちらで処理する。ウィケット、船員にモービルを用意するように言え。おれを行かせろ」


 緑色の光が顔に当たった。

 目の前に羊皮紙パピルスが現れた。

 三つ目の呪文が見えた。

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