2-3 吸喰

 脚が強張り、ぼくは動くことを忘れた。すべての電気信号が遮断されたよう。

 サンドワームが女の子見下ろしている。

 彼女は口をぽかんと開いたまま、静止した。


「シーファ!」


 路地の遠くで女が声を上げた。


「ママ!」

「シーファ!」


 母親か。

 でもあそこからじゃ間に合わない。

 ぼくなら──。

 

 ぼくは走り出していた。

 いまなら間に合うかもしれない。

 あ、でもどうしよう。

 女の子に触れるわけにいかない。

 腐敗させてしまう。

 でも、いまさら立ち止まれなかった。


「こっちだ、逃げて!」


 女の子の前まで来た。

 だが頭上でサンドワームが大きな口を開けた。

 食われる。

 と思ったが何か違う。


「え……」


 サンドワームの口内から何か落ちて来る。

 大量の液。

 見覚えがあった。

 血のような赤い液体。


「腐敗?」


 ぼくは女の子へ覆いかぶさった。

 直後、滝のような腐敗が、液体がぼくらを襲った。

 悲鳴を上げる女の子。

 でも声が聞こえない。

 滝にかき消される。

 この子が死んでしまう。

 女の子の肌に斑紋が出てきた。


 ぼくの顔を緑色の光が照らす。

 目の前に“羊皮紙パピルス”が現れた。

 新しい呪文が書き出された。


「“【吸蝕きゅうしょく】”──!」


 降り注ぐ腐敗がぼくの手に流れ込んでくる。

 螺旋を描くように腐敗が回転する。

 たつまきだ。

 たつまきの尻がぼくの手に吸い込まれる。

 勢いよく。


 ずりゅりゅりゅりゅ──。

 音が立つ。

 くちゃくちゃぐちゃぐちゃ──。

 まるで咀嚼するみたいな音が手から聞こえた。


 腐敗はあっという間に取り除かれた。

 辺りには、その一滴すら見当たらない。


 斑紋も消えた。

 女の子の頬や腕、肌にあった腐敗病の痕がない。


 銃声のような重たい音がした。

 サンドワームに光の玉が当たった。


「こっちだ!」


 ウィケットさんだった。

 彼が照明弾を撃ったらしい。

 サンドワームがウィケットさんへ方向転換していく。


 ウィケットさんはバイクみたいなやつに跨り砂漠へ離れていった。

 サンドワームが後ろを着いていく。



*



「止まれ!」


 髭面のおっさんがぼく怒鳴った。


「離れろ、罹患者め……それ以上近づきやがったらただじゃおかねえぞ」

「ぼくは腐敗病にかかってません」


 避難していた町民たちが戻ってくる。

 集まってくる。

 ぼくは町中で囲まれた。


「嘘をつくな! おれは見てたぞ。あんたが両手に赤い粘液をぶら下げながら、町へ入って来たところをな」


 ぼくは手を見せた。

 【吸蝕】を使って以降、腐敗のコントロールができている。

 いまは手に腐敗の粘液はついていない。


「ほら! 液なんてない」

「おれも見たぞ」


 誰かが横から言った。

 その声に次々と賛同する声。


「通してくれ」


 群衆の間からウィケットさんが出てきた。


「どうしたんだ、みんな」

「ウィケットか、いいところに来た。こいつ、おまえの連れだろ。ルーメンハイムの実験か何かか? おっかねえから、とっと町の外へ連れ出してくれ」

「みんな落ち着いてくれ、彼は別に──」

「わかりました。出て行きます」


 ぼくは背を向けて歩き出した。


「おい、チヅル。待てよ」


 諦めた。

 もういい。

 なんか、わかった。

 結局ぼくは、そうなんだ。


「──お兄ちゃん!」


 振り向いてすぐ、ぼ脚に誰か抱き着いた。

 さっきの女の子が足にしがみついていた。

 無垢な笑顔が見上げる。

 傍で母親らしき人がぼくにお辞儀した。


「いけねえ、嬢ちゃん!」

「そいつは腐敗してんだ、嬢ちゃんも腐敗しちまうぞ!」

「離れな!」


 町民が口々に言った。


「違うもん!」


 女の子は言い放った。


「お兄ちゃん、シーのこと助けてくれたもん!」


 胸の奥から何かがあふれ出そうだった。

 腐敗じゃない。

 もっと温かいものが。


 ぼくはしゃがんだ。

 女の子と目線を合わせた。


「お兄ちゃん、行っちゃうの?」

「うん。あの人たちの言う通りだ。ぼくに関わると、きみまでここを出て行かなきゃいけなくなる」


 女の子がにこっと笑った。


「助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして。お母さんが待ってるよ」


 女の子がお母さんのところへ戻ってゆく。

 ぼくは、こみ上げるものをぐっと堪えた。





「行くとこあんのか?」


 森の入口前、樹木を背にウィケットさんが立っていた。


「どこまでついてくるんですか」

「おまえラムの勇者だろ?」


 通り過ぎようとしたのだが、ぼくは思わず足を止めた。


「なんで、知って……」

「土地勘なさ過ぎなんだよ。旧市街にいたってのも変だ。あそこは蛇公でもなけりゃ生きられない場所だしな。勇者教会が……マリゼラースがあそこで何をしてるのか、それを知ってる者ならわかる」

「マリゼラースと知り合いですか?」

「全然。そっちこそ知り合いか? まあ、知ってはいるわな」

「親しくはないです」


 ウィケットさんの視線がぼくの手へ向いた。


「その手」

「もう垂れ流す心配はなさそうです」


 この状態なら、次の村か町ではバレないだろう。


「チヅルだろ、あのサンドワームの腐敗を吸収したの」

「見てたんですか」

「遠目にな。どうやったんだ?」

「どうって……手で吸い取ったんですよ」

「吸い取った?」

「なんか、そういうことができるみたいです、ぼく。腐敗を浴びたあの女の子に斑紋が出てましたけど、ぼくが吸ったら消えました」

「消えたって、おまえ……」

「でも、もういいです」


 ウィケットさんを通り過ぎる。


「おれの船に来いよ」


 背中に声がかかる。


「サンドワームの捕獲を手伝って欲しいんだ。その能力があれば腐敗に対抗できる。給料も出すぞ。住み込みで三食食事つき」


 考えるまでもなかった。

 これからどうすればいいのかわからない。


「いいですよ、どうせ行くとこないし」


 ウィケットさんが樹から背中を離す。


「腐敗のコントロールだけ頼むぞ。船員がたくさんいるんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る