1-3 腐敗の花

 「貴公、何者だ?」


 海賊帽子が床に落ちている。

 やっぱり綺麗な人だ。

 

 女の人は壁を背に座り込んでいる。

 ぼくの腐敗が頬に触れたらしい。

 窓から入り込む青い月光が、女の人の顔を照らしている。

 何か斑紋はんもんが見えた。

 感染したということだろうか。


 ぼくは床に座り込んだ。

 脇腹に細い刃先が刺さっている。

 

「……人間だ」


 ぼくは声を振り絞った。


「どうやってここへ来た」

「マリゼラースに飛ばされた」

「マリゼラース?」

「召喚された」


 女の人の目が見開いた。


「貴公、ラムの勇者か」


 ラム?

 ああ、確か精霊のことだっけ。

 もうどうでもいい。


 女の人が何か転がした。


「腹からわたしの剣を抜いて、これを飲め。いまなら助かる」


 タバスコみたいな容器だった。


「ルーメンハイムの秘薬だ。どんな傷もたちどころに治る。副作用の疲労感さえなければ、完璧な薬だ」

「あなたが飲めばいいでしょ」

「腐敗は治せない。だがわたしが貴公に与えた傷くらいなら治せる」


 脇腹を見た。

 片手で剣を握った。

 全身に激痛が走る。

 

 朦朧としながら、どうにか剣を抜いた。

 タバスコ瓶を拾ってコルクを開ける。

 ひと息に飲み干した。

 脇腹と背中の傷がみるみるで塞がってゆく。


「魔法……?」


 触っても痛くない。


「その剣は貴公にくれてやる。腐敗に耐性のある特殊な銀素材からなる剣だ。錆びることがない。もう一本は……貴公が駄目にしてしまった」


 傍の床に折れた剣が落ちている。

 刃が錆びて泡立っている。


「他の世界から来たのか」

「はい」

「マリゼラースめ、また勇者を召喚して……飽きもせず……」

「知り合いですか?」


 言葉が返ってこなかった。

 彼女は肩で息をしていた。


「その手は何だ、腐敗なのか、貴公は腐敗病に侵されているのではないのか?」


 自分の手をよく見てみた。

 両手全体から液体が漏れ出ている。


「わかりません。でもあなたの頬にあるような斑紋はないですよ」

「では腐敗病ではないな。しかし、その粘液は腐敗の類だろう。もうわたしは体を動かすことができない。それに触れていて貴公、よく動けるな……まさか、腐敗に耐性があるのか?」


 彼女の目がやや大きくなった。

 けどすぐしぼんだ。


「わかりません」

「いや、そういうことだろう。そうに違いない」


 彼女の口元が笑った。


「何があったのか当ててやろう。貴公の手が腐敗していると勘違いした彼女は、貴公を旧市街へ移送したのだろう?」

「多分、そんな感じだと思います」


 彼女は笑った。

 弱々しく。


「貴公、喜ぶがいい」

「喜ぶ?」

「彼女はミスした……腐敗に触れ、まともに立っていられる者など、どこにもいない。触れたその瞬間に肉体が、本能が終わりを悟るのだ。しかし貴公は倒れぬどころか、腐敗を生成しているように見える。その意味がわかるか?」

「意味?」


 何もわからない。


 彼女が海賊のジャケットを脱いでこちらに放り投げた。

 届いていない。

 ぼくは歩いて取りに行った。


「着なさい……夜は冷える」


 彼女が部屋の奥を指差していた。





 千鶴が立ち去ってしばらく後。

 部屋には彼女一人が残された。

 

 壁にもたれながら彼女は窓の月明りを見た。


精霊ラムを侵し、女王を侵し、その尻ぬぐいを、また精霊ラムへ……」


 彼女が顔を上げた。

 何かに気づいた。


 室内に散らばる腐敗。

 千鶴がまき散らしていったものだ。

 その一つから草が生えている。

 しばらくするとタンポポも生えた。


 彼女の口元が微笑む。


「われわれの勝ちです……ルーヴェル先生」

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