第1章 美空の場合

 私は美空みそら、年齢は28歳。

 大学を卒業後、新卒で就職したものの半年も経たずに退職したため今は実家暮らしのフリーターである。

 そんな私には七つ下の義理の弟がいる。いや、正確にはという方が正しい。

 名前は朝陽あさひ、私が中学生の時に父が再婚した相手継母の連れ子のため私とは一切血は繋がっていない。そんな弟は人当たりが良く、誰からも好かれる人気者で友達も多かった。趣味は好きなアーティストのライブを観に行くことや、ドライブといったもので休日になれば頻繁に外出しているような人間だった。

 反対に私は根暗で人付き合いも苦手なため、お世辞にも友人と言える存在はいないに等しい。唯一の趣味は図書館や自室にこもって読書することで、本の世界に没頭し空想に耽るこの時間を至福と考えているくらいだった。そんな奴だったからこそ、きっと他人から見たら現実逃避していると思われていただろう。


 弟は高校卒業後、専門学校へと進学し益々音楽に没頭していった。その当時私は大学を卒業をしたものの、周囲に馴染めず心療内科で処方された薬を過剰摂取して救急車で搬送された直後だった。その後1ヶ月ほど休職したものの、出社しようとしても足が動かなくなり、継母に退職の手続きを行なってもらって何もかもが嫌になっていた時期だった。器用な弟と不器用な姉……優劣なんて一目瞭然である。最早ここまでくると、血の繋がっていないことだけが私にとって唯一の救いだった。


 退職後の私の精神は相変わらず不安定で、自室に引きこもる日々が続いた。

 部屋と布団の中だけが私を傷つけない、私だけの居場所。

 だからこそ、誰にも邪魔はされたくなかったし誰も来ないでほしかった。

 しかしそんな私の願いとは裏腹に、ある日弟が『海に行かないか』と誘いに来たのだった。

 きっと気分転換や、引きこもっていたらダメだと弟なりに考えた結果だと今になっては思う。でも当時の私は、弟の存在が妬ましく疎ましくて断ってしまった。しかし普段ならこのまま引き下がってくれるはずなのに、今回はそうとはいかず弟は『このままじゃ社会復帰できなくなる』と言って、私の腕を掴んで離さなかった。

 悪気があったわけじゃないことくらいわかっている。しかしそんな何気ない一言・・でも、当時の私にとって引き金になるには十分すぎるものだった。


 その後、何を言ったかは正直覚えていない。

 

 ただ心無い言葉を投げかけたのだけは感覚的に覚えている。我に返った際、弟は優しくも傷ついているような表情を浮かべていた。気まずい雰囲気の中、弟は『ごめん』とだけを言ってそのまま家を後にした。本当なら謝らないといけないのは私の方なのだが、当時は謝る言葉が出てこなくて、ただ呆然とその場で立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 それどころか、これが弟と最期・・の会話になるなんて想像もしていなかった。


 弟が家を出てから数時間後、1本の電話が入ってきた。私は自室で眠っていたため寝ぼけまなこで見てみると、電話の主は継母だった。

 とりあえず電話に出てみると、継母の声は震えて時折鼻を啜る音が聴こえてきた。起きたてなのもあって状況が全く理解できず混乱していると、継母から近場の警察署に来るように言われたため急いで向かうことにした。


 警察署に向かうと目を真っ赤にさせた継母と、そんな継母の背中をさすっている父親の姿があった。他には弟の友人だろう青年達が俯いており、中には泣いている子もいた。

 この光景を見ていて、嫌な予感が脳裏に過ぎる。

 私は自分の予感が外れていることを願いながら、ただ用意された椅子に座って待つことしか出来なかった。


 しばらくすると警察署の人が来て、状況の説明をしてくれた。

 

 その内容は朝陽が海難事故に遭ったとのことだった。


 弟の友人曰く、幼稚園児くらいの女の子が溺れているところを助けようと飛び込んだらしい。幸い女の子は救助されたが、弟は戻ってくることがなく未だ捜索中とのことだった。


 それを聞いた途端、嫌な汗が流れてきた。

 

 今朝の発言を思い出し、発狂してしまいそうになるものの慌てて口元を押さえる。警察からは、捜査に進展や発見があり次第また連絡すると言われその日は帰されることとなった。

 

 

 次の日の早朝、弟が沖の方で見つかったと連絡がきた。

 私たち家族は急いで向かうとそこには棺桶に入った弟の姿があった。発見が思ったよりも早かったためか腐敗が進んでおらず、奇跡的に綺麗な状態だと言われた。しかし私は顔を見ることはしない……いや出来なかった。それどころか、目の前の現実もうこの世にいないことを呑み込むことすら出来ていないのだ。

 

 だって私は朝陽に酷いことを言ったまま、謝れていないのだから。


 

 その後のことは記憶が曖昧だった。

 お葬式のことも、遺品整理のことも、朝陽の友達がどうしてきたのかも、はっきりとは覚えていない。

 14年も同じ家で過ごしたのに、もしかしたら心の奥底では弟に関するものを忘れようとしているのかもしれない。

 そうだとしたら、誰から見ても私は最低な姉だろう。

 そんな自分自身に苦笑しながらも、ただ呆然と弟の遺影を眺めるしかなかった。


 弟が死んでから1年経ったが、私は未だ生きていた。

 継母は体調を崩すことが多くなり、その度に父親か私が看病することも増えた。正直、今生きていることが奇跡と言っても過言ではないくらい私のメンタルは不調だった。だが今、この場で私まで倒れてしまえば、家族全員共倒れしてしまうことくらいわかりきっていた。事実、父親も継母もそこそこ歳のため、今や動ける人間は私しかいないのだった。

 しかしそうだと言っても、上手いこといかないのが私の人生だった。

 新しく雇用してもらったアルバイトでは失敗し、お客さんからは怒鳴り散らされ、職場の人には冷たい態度を取られるなど心身ともに疲弊していた。

 そのため処方される薬の量は増えていき、幻覚なのか妄想なのかわからないが、弟に似た姿や気配を感じることが多くなった。もしかしたら、死期が近づいているのかもしれないと心の中で思った。でももし本当に弟なのだとしたら、きっと酷いことを言った私を憎んでいるに違いない。『お前の言葉に自分は傷つけられた』のだと、罵られても仕方がないくらいのことを言ったはずなのだから。その記憶すらも曖昧なのが一層憎らしい。

 

 そんないつもの日常の中で『幽遠列車』の存在を知った。

 アルバイトのシフトが入っていないある日のこと、部屋に篭ってSNSや掲示板を見ていると流れてきた。何でも午前3時に駅のホームにいると、不思議な列車がやってきて始発になると元居た場所に戻されてしまうのだとか。一昔前のアニメや漫画に出てくるような話だが、その列車の中でもう一度逢いたい人に逢えるという噂があった。

 単なる噂だと信じたかったが『もう一度逢いたい人に逢える』なんて言われたら、簡単に振り払うことなんて出来なかった。



 

 それから数日後、私は駅のホームに立っていた。決して飛び込み自殺しようとしているわけではないが、もし何も知らない誰かがいたらそのように見られても仕方がないだろう。だが、とっくに終電がなくなったこの時間に一人ぽつんと駅のホームにいるため、今の私は自殺志願者よりも不審者の方が正しいのではないかと考えてしまう。根も葉もない噂に踊らされて、我ながら馬鹿だなと今になれば思う。携帯電話を見れば午前2時58分、もうそろそろで列車が来るはずだ。今か今かとソワソワしながら、携帯電話を開いたり消したりと繰り返していたその時だった。

 

 ―――――――――ブォォォォォォォォォォ!!!!!


 音のする方を見てみると、そこには1本の汽車が堂々と姿を現した。一昔前の作品に出てきそうな黒い汽車は、煙突からモクモクと煙を噴出しており、思わず咳き込んでしまう。するとその途端、扉が開くと同時に階段が現れた。『幽遠列車』が実在したことへの驚きと、普段電車が通っている線路に汽車が現れた異質感に思わず凝視してしまう。黙り込んでいると汽車は『乗れ』と言わんばかりに汽笛をあげたため、私は慌てて乗り込んだのだった。


 中はよくある普通の汽車の座席が綺麗に陳列されていた。

 どこに座ろうと迷っていると、トントンと肩を叩かれた。驚いて振り返ってみると、そこには駅員らしき人物がにこりと笑みを浮かべているのであった。

 私は慌ててぺこりとお辞儀をすると、次にその人物は手のひらを差し出すようにジェスチャーをしてきた。言われた通りにすると、私の手のひらに真っ黒の切符を一枚落として、再び笑みを浮かべながら前の車両へと向かっていった。私は何が何なのかわからず、渡された真っ黒の切符を眺めることしか出来なかった。

 するとその時、別の方向からぎしぎしと足音が聞こえてくるのだった。

 

「美空姉ちゃん……?」


 懐かしい、暖かく温もりのある男性の声。

 慌てて振り返るとそこには、死んだはずの朝陽の姿があったのだった。


「あっ……、あぁ……」

 

 目の前の光景が現実に思えず、私は頬をつねるもののしっかりと痛みがあった。その姿を見て、弟は困り顔をしながらも笑っていた。弟が着ている服は海へ行った日のものと同じで、この子の時間はあの日命日で止まっていることが嫌でもわかる。


 本来ならば抱きしめるのが正解なんだと思うが、果たして私にその資格があるのだろうか。

 悶々と考えてしまい立ち尽くしていると、朝陽は近づき優しく手を取ってくれた。

「とりあえず座ろうよ、姉ちゃん」

 朝陽に言われるがまま、私は座席へと移動するのであった。

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