第15話 父
朔は、望遥に玉座を与える心づもりはない。そのことを月の宮、そして国中に知らせるため、青月をこれでもかというほどに囲い、守り育てた。乳母の家族を人質として取り、決して裏切らぬよう手回しをする他、青月は一度お披露目として官僚の前に出された後は身内以外と触れさせはしなかった。
次の皇帝は青月であると断言し、太后派につけいる隙を与えようとはしない。望遥もそれに習い、玉座に興味がないという顔をして日々を過ごすことになった。元より玉座に座るつもりはないため、普段と変わらないといえばそうなのだが。
そのまま一月が過ぎた。
青月の誕生によって浮足立った月の宮も徐々に落ち着きを取り戻しつつある。とはいえ水面下で何かが蠢いている気配は濃く、このまま何事もなく終わるとは言い難い空気が流れていた。朔と巽、そして太后派との睨みあいはしばらく続きそうである。
一時は落ち着いていた望遥へのすり寄りが再び頭をもたげたため、彼らの報告のために朔の居室を訪れた時のことだった。
朔は酷く思いつめたような青い顔をして、椅子に座っていた。
望遥の報告を聞いてはいるのだろう。望遥の告げた名前と役職を確認し、「対処をする」と呟きもした。だがどこか上の空と言うべきか、思考が別の場所へ飛んでいるようなそんな様子だった。
「なにか気がかりなことが?」
望遥は訪ねた。政争に関わる助言はできないが、話を聞くことならばできる。なにせ、朔が皇位にある真の理由を知っている人間は数少ない。本音を話せる者にこそ話せることがあるのではと考えたのだ。
望遥の問いかけに、朔はすぐには動かなかった。だが、ぴくりと瞼を震わせて、それから唇を引き結ぶ。
朔は頭を抱え、「少し待て」と低い声で言った。どうやら、何事か考え込んでいるらしい。望遥に話すべきか検討しているのだろうか。望遥はそれ以上朔を刺激することなく、大人しく待機した。直感的に、朔の言葉を待つべきだと思ったのだ。
「……お前に聞きたいことがある」
たっぷりと沈黙した後、朔はやっと言葉を発した。望遥が了承の意を込めて頷くと、朔は緊張したような強張った顔つきで、こちらを凝視した。
「父上は、お前をどのように愛した?」
それに、望遥は息を呑んだ。
「父上とは、我らの?」
「そうだ。それ以外に誰がいる」
朔は少しばかり機嫌を損ねた声で言い返した。突然の問いかけに動揺し、いらぬ質問をしてしまった。望遥は軽く謝罪を入れてから、改めて朔を見た。
朔の顔は青白く、目の下には隈があった。以前から肌の色も薄く痩せた姿をしていたが、今は特にそれが顕著なように思えた。朔の目の奥には迷いのような葛藤の色があり、彼が望遥の前でこれだけ弱った姿を見せていることに酷く驚いた。
「なぜ父上のことを、と聞いてもいいだろうか」
望遥が問うと、朔は椅子の上で脱力した。そして望遥の視線から隠れたがるように、手のひらで顔を覆う。それは普段玉座で背筋を伸ばしている皇帝の姿とはかけ離れたものだった。
朔はやはり長いこと沈黙した。望遥が辛抱強くそれに耐えると、やがて彼は小さな声で言った。
「私は妻を選び、子を成した。そうして生まれた青月を抱いた時、私は安堵していたのだ。この子が双子として生まれなかったことに」
朔の声は震えていた。
望遥は弟を前に、大層驚いていた。それこそ、言葉を失うほどに。そしてその驚きと同時に、胸が締め付けられるような痛みも味わっていた。
朔の人生は、双子として生まれたことで狂った。
望遥もまた双子ではあるが、兄であるというだけで全く異なる人生を歩むことになった。周囲から投げつけられる恐怖や軽蔑の目は、皇帝になってからも朔を苛んでいるのだろう。そのことに、望遥は今更になって気が付いた。
朔は、双子という枷を解くために皇帝となり、これまで奔走してきた。だが、双子として生まれたことを呪わなかったはずがないのだ。なぜ自分がこんな目に、と恨む気持ちがなかったはずがない。だからこそ、自分の息子がその苦しみを背負わずに済んだことに安堵した。
しかしそれは同時に、朔の望みを否定することにも繋がりかねない。双子であることで恥じることはないと胸を張って生きられる世界を望んでいるというのに、自分の息子が双子として生まれなかったことを喜んでいる。その矛盾が、朔を激しく追い立てていることは望遥にも想像できた。
何を言うべきか、迷った。
望遥には、朔の苦しみを理解してやることはできない。同じく迫害を受けてきた双子の弟たちにしか、彼の痛みは分からないだろう。
(だとしても、兄としてできることはあるかもしれない)
「……父上は素晴らしい王だった。だが、少々天導に傾倒しすぎる面があった。だから私に言葉をかける時も、天導士の占い次第だったな」
望遥は父を思い出そうとした。
大月。二代前の皇帝であり、朔と望遥の実の父親。二人が五歳の時に病死し、皇位を月永に譲った。
正直なところ、望遥の中に父の記憶は薄い。皇帝としての責務に追われていた上に、天導という占いを強く信じていた。そのため、その日食べるものさえ占いで決める始末だった。「今日は家族と話してはならぬ」と言われればそれに従い、「家族を大切にせよ」と言われればそうする。家族を等しく愛せよと説く直道を信じる者が多い津ノ国の中にあっては、異質な皇帝だったと言えるだろう。
良き父だったか、という質問には、望遥もうまく答えられない。望遥にとってはそれほど酷い父ではなかったが、朔にとってはどうか分からないからだ。だが、朔が本当に聞きたいのは、父がどんな男だったかではないだろう。
「朔は、どう青月を愛すればいいのか知りたいのだろう?」
それに、朔がはっと顔をあげる。頬が恥じ入って紅潮しており、苛立つように顔をしかめていた。それを図星だと捉え、望遥は言葉を続ける。
「どうする必要もない。ただ青月を守り、育ててやればいい。あの子が大きくなって言葉を話すようになったなら、その言葉に耳を傾ける。素晴らしいことをしたら褒める。間違ったのなら叱る」
「だが、なんと声をかければいい? 父上はお前をなんと言って褒めた? なんと叱った? 私には分からない。父上は私を見はしなかった」
「お前が言ってほしかった言葉を、かけてやればいいのではないか」
朔の瞬きが止まった。虚を突かれた彼に対し、望遥は笑いかけた。
「大丈夫だ。お前はもう、青月を愛している。どう愛すればいいのかと悩むことが、既にお前の愛情だ」
今度は激しく瞬きが繰り返される。朔は珍しく動揺しきった様子で、唇を震わせていた。
「それに、青月が双子として……弟として生まれていたとしても、きっと大丈夫だっただろう」
「なぜ」
「朔は子が双子として生まれたとしても、等しく愛しただろう。それに、双子だと言って忌避されない世界を作るのだろう? お前がその国を作るのならば、子供たちは大丈夫だ」
望遥が笑みを浮かべると、朔は呆然とした顔をこちらに向けた。それから呆れたような顔で、「お前は能天気すぎる」と呟いた。
けれども、その顔には先ほどまでの重苦しい重圧は感じられなかった。憑き物が落ちたような弟の表情に、望遥はほっと息をついた。そして、彼ら親子の関係が明るいものになる予感を感じ、微笑んだ。
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