第13話 散ってくれるな

 宵華は野心に燃える女だが、その父である守科はどうか分からない。朔はそう考えていたが、それは懸念で終わった。


 宵華を通じて連絡を取ると、守科はすぐに書を寄こした。


 そこには、郷中から持ちかけられた同盟やその見返りに対する話題や、自身や西楽が朔に忠誠を誓うことなどがつらつらと書かれていた。そして、その書簡を持ってきたのも守科の一番の腹心であった。情報が漏洩することを嫌った朔の意思を、最大限尊重する対応を取ったことが伝わってくる。それだけで、ある程度守科が信用に値する人物だと感じられた。どうやら宵華の一家に、郷中へなびく心はないらしい。


 守科からもたらされた情報によると、郷中はやはり再興を狙い、自身の領地付近から勢力を拡大することを画策していたようだ。交渉の際に巽の名は出さなかったそうだが、全く無関係とは言えないだろう。


 処刑を免れて郷里に帰されただけで済んだ幸運を捨てた裏に、巽のような強力な後ろ盾がないはずがない。やはり郷中を処刑しておくべきだったかという後悔もあるが、巽を必要以上に刺激したくはなかった。巽と袂を分かったとはいえ、全面的な衝突は避けたいのが正直なところだ。朔の派閥はまだ盤石とは言えない。巽と戦うにしても、もっと地固めをしてからでなければならない。


 ──真に優秀な指導者は、反乱を未然に防ぐ。


 郷中は今、反旗を翻すべく蠢き始めたばかりだ。この時期に情報を得て動くことができるのは非常に大きい。


 守科との連絡のため、宵華は頻繁に朔の居室を訪れた。


 それにより、淑女選びは宵華で決着がつくのだろうという憶測が飛び交った。朔を恐れた女官たちは安堵し、家の力を増すために娘を皇后へ推していた官僚たちは最後の足掻きと言わんばかりに朔に娘を押し付けた。そうして父の命令でやってくる女官たちの青い顔を見るたび、朔の内側には深い失望と、欲深い者たちへの呆れがこみ上げた。


 双子という呪いは、一生涯朔に付きまとうのだろう。それをひっくり返してやるのだと誓って皇帝にまで上り詰めたというのに、朔を見る人々の目は変わらない。人生の全てを費やしたところで無駄なのではないかという考えも浮かんだ。


(だが、宵華は怯えなかった)


 彼女が朔を見る目には、良くも悪くも温度がない。自らの野望のために恐怖を押し殺しているのかとも考えたが、会話の数を重ねてもその仕草は見えない。彼女は本当に、朔を恐れてなどいないのかもしれない。


 朔は秘密裡に郷中への対処を進めると同時に、宵華という人間についても調査を行った。


 月の宮での彼女の評価を探ったところ、それは見事に割れていた。


 仕事は素早く的確で、優秀であるらしい。しかし、愛想というべき温かみがほとんど感じられず、西楽の人間特有の扱いずらさによって「変人」という烙印を押されてもいるようだ。そのため、純粋に優秀さを買っている者と、彼女を変人だと忌避する者の二種類に分かれている。


 確かに、彼女は変わっている。だがそれは、朔にとっては好ましく思える範囲だった。


 朔を奇妙なものを見るような目で見ない人間は、数少ない。流経直士、望遥、夜影、そして宵華だ。彼女は突然やってきた流星のようであった。


 西楽には、確かに独特の文化がある。製鉄や鍛冶が盛んであり、作り出すものの質さえよければ、有力者と一介の職人が食事の席を共にすることもあるという。そのため、月の宮などでは西楽出身の者は避けられ、出世の道はないに等しい。


 宵華はそこで育ったからこそ、朔に偏見を持たないのだろうか? 西楽という土地の持つ力が、双子の呪いを弱めたと?


 朔にはうまく飲み込めない。理由もなく朔を受け入れる人間などいるはずもない。それこそ、高名な直士か、何も考えていない望遥のような人間くらいだろう。そのどちらでもない宵華が何を考えて朔の前にいるのか、理解が出来なかった。


 だが、宵華にばかり構ってもいられない。目的は郷中の処理だ。朔は疑問を抱きながらも、宵華を連絡役として利用していた。


 ここまで宵華と接近すれば、何も知らない者たちであっても、朔と宵華の父との間に繋がりが生まれると考えるのは必然だ。だが、その情報が郷中へ流れる前に、朔は動いた。


 烏戸を西へ送り、守科と協力させて郷中の首を取らせた。投降を呼びかけなくて良いと伝えておいたが、その必要もなく、軍が派遣されたと知った郷中は自ら首をくくった。郷中は家族と共に故郷でその生涯を終え、その後の領地の運営に関しては守科の親族が行うこととなった。


 宵華から最初に情報がもたらされてから一月ほどのことであり、月の宮は突然の郷中の死に衝撃を受けた。そして朔という皇帝の恐ろしさを再び目の当たりにし、官僚や貴族たちは震撼した。



「巽。西楽には行ったことがあるか?」


 朔は正面に座る巽に問いかけた。


 彼は発言の意図を探ろうと、眉を片方跳ね上げて朔を見つめる。九令宮には、静かに張りつめた緊張の空気が満ちていた。


 いえ、と巽は短く答えた。


 自作自演の毒殺未遂から、巽との関係は悪化している。更に郷中の死も重なり、巽との断絶ははっきりとしたものになった。彼から道司の地位も剥奪した今、こうして顔を合わせるだけで空気の温度がぐっと下がる。同席している現在の道司などは肝の小さい男のようで、顔を青くして朔と巽とを交互に見つめていた。


「私も訪れたことはないが。西楽は独自に発展してきた文化が根付いている。建物の様式も、都とは大きく違うそうだ。食べ物や音楽もな」


「陛下は近頃、随分と西の地に熱心と聞き及んでおります」


 嫌味のように告げられるその一言に、朔はにやりと笑った。


「なに。淑女選びで都に来た西楽出身の女官と馬が合ってな。その話を聞くうちに興味がわいた」


「素晴らしいことでございます。お世継ぎのためにも、皇后をお決めになるのは少しでも早い方がよろしいでしょう」


「お前は西楽には興味はないか?」


「は。私は都の空気があっておりますので」


 巽は涼しい顔で頭を下げる。


(北原で長いこと燻っていたというのに、随分と大きな口を叩くものだ)


 その白々しい声に耳を傾けながら、朔は彼を見据えた。


「お前はこれまで西に興味を持ったことはなく、これから先もないということだな」


「はい」


 巽は淀みなく答えた。


 つまり、郷中と自分には一切関わりがないと言い切ったことになる。この後に烏戸が行う郷中の屋敷の調査で、巽との繋がりを示すものが出てきた際には、それを理由に彼を処断できるということだ。


「そうか。それが聞きたかった」


 朔はそう告げ、手を軽く払って巽に下がるよう伝える。それと同時に道司にも部屋を出るよう命じた。


 二人は並んで朔に礼をすると、揃って部屋を後にした。出ていく直前の巽の目つきは、酷く鋭く歪んで見えたが、きっと気のせいなどではないだろう。


 朔は椅子に沈み込み、深く息を吐いた。ここ数日大きく動いたために、緊張で軽い頭痛がしている。手のひらで顔を覆い、光を遮った。


 烏戸は今頃、郷中の屋敷の調査を終えた頃だろうか。朔は離れた西の地に思いを馳せた。


 彼が、巽と郷中との繋がりを示す決定的な証拠を見つければ、巽に傷を負わせることができる。


 だが、用心深い巽のことだ。わざわざ証拠など残しはしないだろう。きっと、烏戸はめぼしいものを見つけられずに帰ってくることになる。


 朔は郷中の時のように、偽の証拠を捏造して巽を陥れることはしなかった。


 その手段を考えなかったわけではない。巽を月の宮から完全に追放する、またとない機会である。にも関わらず、朔は何の策も弄さなかった。


 ──望遥。


 朔の脳裏をよぎったのは、双子の兄のことだった。


 彼が北伐から戻って以来、二人きりで話をする機会はなかった。望遥が朔の起こした毒殺未遂で機嫌を損ねたことは分かっていたため、どう声をかけたものか迷っていた。


 皇帝ともあろうものが情けないと思うが、あの時に見た望遥の失望した目の色に少なからず怖気づいていた。


 今更なんと話を切り出したものかと考えているうちに、宵華がやってきて郷中の不穏な動きに触れた。その対処に追われ、望遥とはしばらく顔を合わせていなかった。夜影が上げる報告だけは聞いていたが、女官の一人と親しくしていること以外に目立った動きはない。巽などと通じて朔の皇位を脅かそうということもないようだった。


 私は望遥を気にしたのではない。あの男のために、証拠の捏造を諦めたわけではない。


 ただ、巽派の勢力が未だに大きい中で、頭である巽を追放した後の派閥の制御をうまく行えるか不安があっただけだ。望遥に言われ、卑劣な手段を嫌ったわけではなかった。


 朔は何を犠牲にしても皇帝となり、自らの上に輝く「呪われた子」という称号を撤回させたかった。そのためならば、どんなことでもする。北原の地で、確かにそう誓ったはずだ。


(だというのに、この有様はどういうことだ)


 後頭部に鈍い痛みが押し寄せる。


 肩の上に、亡霊がのしかかる。朔がこれまで蹴落としてきた者たちの影が、色濃く落ちていた。月永、母、郷中、その他にも大勢の人間が、朔に向かって重たく手を伸ばす。朔は背筋を震わせながらも、その手を避けることはしなかった。ただ増していく重圧を背負い続けるだけだ。


 もう戻ることはできない。朔は、この道を進まなければならない。


 そう決めてもなお、巽に対し非情になりきれなかった自分を誤魔化すことはできない。朔は頭を振って、脳裏にいる望遥の姿を振り払った。


「陛下」


 すると、その瞬間を見計らったかのように来客がある。人と話す気分ではなかったが、郷中にまつわる火急の用件ではまずい。朔は姿勢を正し、やってきた者を通した。


 顔を見せたのは宵華であった。彼女は入室するといつものように頭を垂れ、朔が発言を許すのを待った。


 だが、朔は彼女の言葉を許すより先に、自ら口を開いた。


「私が恐ろしいか?」


 突然の問いかけにも、彼女は動かない。ただ、頭を下げてじっとしている。彼女の飾り立てられた頭頂部を見つめながら、朔は続けた。


「お前は皇帝の妻として仕えることを名誉と言った。だが、その相手が私でもそれは名誉であるか。人の心を持たず生まれた呪われた王に、お前は仕えると言うのか?」


 詰問のような問いかけにも、宵華が動揺した気配はなかった。僅かに身じろぎをし、「お言葉をお許しいただけるのなら」と呟く。朔はそこでようやく、彼女に言葉を許した。


 宵華が顔を上げる。


 表情の乏しい黒い瞳が朔を見据えた。けぶるような睫毛の束が、紅をひかれた目元をちらつかせながら瞬きをする。髪を飾るかんざしが、その動きで揺らめいた。


「陛下は、西楽で言い伝えられる神話をご存知でしょうか」


「神話?」


「はい。鍛冶の神と鉄の神の話でございます」


 初めて耳にする話だ。朔が眉をひそめると、それを否定と受け取ったのか、宵華は話を続けた。


「火の神から生まれたとされる鍛冶の神と鉄の神は、西楽の地では強く信仰されております。職人は皆、良質な鉄ができるよう、また怪我無く鍛冶を行えるよう、かの神に祈ります。西楽で生まれ育った子らは、必ずこの神々について聞かされて育ちます。この兄弟神を敬わない者はおりません」


 都や北原では全く聞いたことのない話だ。異民族の侵入を許さず独自に文化を発展させてきた西楽だからこその信仰なのだろう。朔が頷くと、宵華は一度呼吸を挟んでから次の言葉を告げた。


「この二柱の神は、双子とされております」


 それには朔も目を見張った。


「その二柱を、西楽の者はどちらも信仰しているのか?」


「はい。良い鉄、良い品が生まれる際には、この兄弟神がお力をお貸しくださったのだと、皆喜びます」


 朔は言葉を失っていた。まさか双子の神がいて、そのどちらも排斥されることなく敬愛の対象とされているなど考えもしなかった。


「恐ろしいか、と陛下はお尋ねになりました」


 宵華の話題が、初めの問いかけに戻ってくる。それにより、朔の意識も引き戻された。彼女は表情を変えることなく、すらりと背筋を伸ばしたままで言い切った。


「私は、いいえ、とお答えいたします。西楽の者に、双子のお生まれであることを呪いと思う者はおりません。陛下にお仕えすることは、兄弟神に祈りを捧げることと同じこと。私にとって、これ以上なく名誉なことです」


 そこで、宵華は初めて笑みを浮かべた。それは笑顔と呼ぶにはあまりに薄く、微々たる唇の動きだったが、朔にははっきりと彼女の微笑みが分かった。それが酷く自分の心を動揺させたことを、朔は他人事のように感じていた。


 宵華は再び礼の姿勢を取った。


「このたびは、私に、そして私の家に、陛下の手足となり働く名誉を与えてくださり、感謝いたします」


 かんざしがしゃらりと揺れた。その金の煌めきに目が眩み、朔は思わず立ち上がった。


 何かを言おうと口を開き、けれどうまく言葉が見つからず喉が詰まる。朔は激しく揺れる自分の心を落ち着かせようと一度、深く息を吸った。それから、宵華の顔を上げさせる。


「私の妻となり、仕えることを、お前は名誉と言うか。そこに嘘偽りはないか」


「はい」


 宵華の凪いだ瞳と視線が交わる。そこに怯えや嘘の色はないように見えた。


 表情の凍った仮面の下に野望を抱く彼女は美しい。品もなく擦り寄るのではなく、背筋を伸ばし、虎視眈々とこの機会を待っていたに違いない。自らの意味を求めるその姿は、強かで美しく見える。


 朔は喉を開いた。


「宵華。お前が仕えるにふさわしい皇帝であり続けることを誓う。皇后としてあったことが名誉であると、子孫へ胸を張れるよう」


 宵華はやはり表情を変えることなく、礼を繰り返した。しかし朔には、彼女の胸の内に湧き上がる喜びが伝わってくるように思えた。


 これが嘘だとしても構わない。これから先の治世で、彼女に本物の名誉を与えれば良いのだから。


 顔を上げた宵華の目は、やはり波などない。けれど、陽光を孕んで煌めいたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る