第三章 花は咲けば実をつける
第12話 宵に咲く花
「失礼いたします」
女官が震えた声で退室を申し出、そろそろと部屋を出ていく。それを見送りながら、朔は深くため息をついた。
これで何人目か、もう数えることもしていない。ただ、やってくる怯えた女官と二言三言言葉を交わし、「もう下がれ」と告げることを繰り返していた。
朔は椅子に深く腰掛けたまま脱力した。
朔は皇后を選ぶため、貴族または一般の家庭から妙齢の女性を呼び寄せ、女官として召し上げた。そして月の宮で働かせ、その中から皇后を選ぼうという「淑女選び」を行っていた。
やってくる女官たちは、皆美しく飾り立ててはいたが、豪奢なかんざしや重い衣に不慣れなようだった。僻地とはいえ貴族の娘であればそれもまだ幾分かましではあるが、一般家庭からやってきた者などは特に目も当てられない有様だ。
覚束ない足取りでよたよたと朔の前にやってきて、平伏する。そして声をかけられても、じっと身を竦めたまま動かない。声は固く、会話ではなく朔が一方的に声をかけるばかりで時間は過ぎた。
分かっている。皆、双子の弟である皇帝が恐ろしいのだ。
ただでさえ呪われた出自の朔は、更に前皇帝を殺して皇帝の座を奪い取っている。神経質で言葉少な、少しでも機嫌を損ねれば処刑されるという噂はほとんど真実の重みを持って月の宮に広がっており、「朔」という人物は物の怪の類のように扱われていた。
噂など構いはしない。疑り深いことも、月永を殺して皇位を簒奪したことも事実だ。今更それを撤回させようという気はない。
しかし、それによって女官らと会話もままならず、皇后の選定に支障をきたすのでは困る。
皇后を選ぶことは、急務とは言わないが重要な過程の一つである。特に巽との間に亀裂が入った今、朔には自分だけの派閥を作る必要がある。だからこそ婚姻によって力を安定させるため、毒を飲んだという一芝居からそう時間も空けず、再び女官たちとの交流を図っていた。
すんなりと皇后が決まるとは思っていなかった。朔も、自分がまさか好かれているとは考えていない。だが、ここまで難航するのは予想外だった。
──やはり、こちらの都合で決める他ないか。
朔は苦々しい思いが胸の内に広がるのを感じた。
朔は幼い頃から、周囲の思惑に振り回されてきた。
生まれた瞬間から呪われた子供の烙印を押され、月の宮の端に閉じ込められていた。その後は権力に目が眩んだ巽によって連れ出され、短くない時間を北の僻地で過ごした。
自分の意思が介在する隙のなかったその時間について、恨む気持ちがないといえば嘘になる。だからこそ、自分の手でこの国を変え、歩いていくのだと胸に誓いもした。その道中、今度は自分が周囲の人間を振り回すことになると分かっている。全てを承知の上で、朔はこの道を選んだ。
だとしても、思わずにはいられない。自分が伴侶として選ぶ人間には、少なくとも全てを不幸とは思わせたくないと。
呪われた皇帝の妻として選ばれ、皇后としての重責を負わされ、希望もなくこの月の宮で枯れ果てる。そんな人生を妻に強いては、朔が憎んだ世界の歪みに朔自身が成り下がることと同義だった。
月永や母、郷中を蹴落としておいて何を今更、と自分でも思う。それでも、妻と選ぶ人間には少しでも「自らこの道を選んだ」という意識を持たせてやりたかった。
しかしそれも無理な話のようだ。誰だって双子の弟の妻になどなりたくない。朔が皇帝としての力を使い、強引に相手を指名する他ないのかもしれない。
(望遥のようであれば良かったのかもしれない。あの男は、人を惹きつける天性の素質がある)
胃の底から、黒く淀んだ気が込み上げてくる。自分の都合で郷中を処断した朔を、彼は糾弾した。軽蔑さえ感じるような瞳を、今でもはっきりと思い出せる。
望遥のあの性格、空気は、元より彼が持っていたものなのだろうか。それとも、双子とはいえ兄として生まれて排斥を逃れたことで、自由に育てられたことが起因しているのだろうか。
朔は思った。
望遥は兄として生まれたからこそ、あのような奔放な性格をしているのだ、人を惹きつける目を持っているのだ。弟として生まれ、忌み子として扱われていたのなら、もっと陰鬱で神経質な男になっていたに違いない。まさしく、自分のような。
朔は再び大きくため息をついた。自分の中に渦巻く思考が馬鹿馬鹿しくなり、それらを断ち切るために立ち上がった。
その日は結局何の手応えもなく、官僚や女官らと目を合わせることもできないまま一日を終えた。北伐の事後処理や郷中の穴埋めなど、やるべき事は山のようにある。思うように進まない皇后の選抜とは裏腹に、皇帝としての決裁は順調に進んだ。
日が落ちて、部屋の隅には幽暗が広がる。輝く調度品に飾り立てられた室内は騒がしいが、夜になるとその光も多少は落ち着きを見せる。時の皇帝たちは皆この部屋で寝起きしたというが、こんなにも華美な場所でよく気持ちが休まったものだ。それとも、富の象徴に囲まれていた方が安心して眠れたのだろうか。幼い頃を野山のボロ屋で過ごした朔にとって、この部屋は目が回るばかりであった。
思えば随分遠くまで来たものだ。物心ついた頃には既に北原にいた朔にとって、月の宮での生活は新鮮だった。皇帝となってから半年以上が経過した今でも、暮らしには慣れない部分も多い。北原の山を駆けまわり、直道のなんたるかを学んだ幼少期が懐かしくないと言えば嘘になる……。
「陛下」
朔が流経道士と過ごした時間を思い返していると、扉の外から囁き声がかかった。朔の居室の警護を行う兵が呼びかけてきたようだ。
「どうした」
「陛下に拝謁したいという女官がおりまして……既にお休みになられたと伝えても聞かず」
どうするか、と兵は聞いてきた。それだけ急を要する用があるのかもしれないが、どうにも怪しいと思っていることが彼の声から伝わってきた。
「女官は一人か? 名は?」
「は。
この時間に、女官が一人で。
朔は一時思案に沈んだものの、最終的には女官を部屋へ通すよう命じた。妙な予感があり、彼女をこのまま帰さない方がいいと直感的に思ったのだ。
それから少しの間を置いて、戸の前に人が立つ気配があった。その人影が持つ蝋燭が、ぼんやりと光を滲ませている。
扉は音もなく開いた。滑るように開かれた戸の先に、蝋燭を一本掲げた女官の姿がある。彼女はしずしずと部屋に上がると、再び全く音を立てずに扉を閉めて、こちらへ向き直った。彼女は膝をつき平伏する。
「夜分遅くに申し訳ございません」
その声に、朔は僅かに興味を引かれた。
女性にしては低い声だった。だが、落ち着いて地に足のついた声だ。これまで朔の元を訪れた女官が軒並み恐怖で震えていたことを考えると、肝の座った女性らしいと分かる。朔はふむと頷き、顔を上げることを許可した。
彼女は冷たい相貌をしていた。やや面長の顔に、鋭い切れ長の瞳。美人と括って問題のない整った顔立ちはしているが、表情の乏しさや纏う空気が彼女を冷ややかに浮かび上がらせる。その愛想のなさは、けれど無礼には感じられず、どこか馴染み深いような感覚になった。誰かに似ているような気がする。
「名を聞かせろ」
「西楽の地を治めます守科の娘、
彼女は淀みなく自己紹介を終える。
西楽は、津ノ国の中でも最西端に位置する都市である。津ノ国は西を山脈に切り取られており、その麓の湖の周辺に都市や村が集中している。西楽の湖は鉄鉱石の産地であり、国に供給される鉄の大半を西楽で作っているとされている。西楽の地を狙う異民族も少なくはなかったが、山や湖に囲まれた自然の要塞に守られ、侵攻を困難にした。そして今日まで、西楽はその独自の文化を守り発展してきた。そのためか職人気質の者が多く、「西楽の生まれは扱いにくい」と月の宮でも言われるほどである。
なるほど、と朔は妙な納得を覚えた。彼女──宵華の雰囲気は、確かに他の女官とは異なっている。これが、西楽という土地に育まれた彼女の個性なのだと思えば頷ける。
「何用だ」
この夜更けに、道司や他の官僚を通さず、直接女官の身でやってきた。それには理由があるはずだった。皇后の座を射止めるために夜を共にするつもりで、というのも予想はできるが、彼女の様子からしてそれは違うように思える。朔は椅子に座ったまま話を促した。
「陛下のお耳に入れたい情報があり、参りました」
「情報?」
宵華は静かに頷いた。それから、やや声を落として告げた。
「郷中様が、私の父──守科に使いを出しました」
うなじの毛が総立つ。朔はゆっくりと息を吐き、宵華に視線を向けた。
郷中は、朔の自作自演によって罪を着せられ、郷里に帰されている。その帰った場所というのが、西楽にほど近い都市なのだ。その彼が、西で大きな力を持つ守科に使いを送るとすれば──その思惑として考えられるものは。
「真の反逆か」
宵華は否定しない。使いが伝えた内容までは口にしなかったが、その静かな目が使いの意図を雄弁に語っている。
今度は朔による濡れ衣ではなく、自らの意思で反旗を翻そうというのか。それは巽の指示によるものとも考えられるし、郷中の独断にも思えた。どちらにせよ、危うい兆候であることは確かだ。
「こたびの件は、父とその腹心、私しか知らぬこと。郷中様も、使いを出す際には西にある独自の情報網を使われたことから、陛下の耳まで届いているとは考えていないでしょう」
宵華が冷静に言葉を続ける。
彼女は、父からもたらされた情報を広げないために自らやってきたのだ。この遅い時間に恐れられる皇帝の居室を訪ねて、朔の機嫌を損ねでもしたらと不安には思わなかったのだろうか。その不安以上に、地位や権力という蜜を吸いたかったのか。これをきっかけに朔に名を覚えられ、皇后の座を射止めようという? それともこの報告自体が罠であり、何者かの策略の中なのだろうか。
朔は乾いた唇を舐めた。
「宵華。もしこの報告が事実であり、私が郷中を抑えることに成功したのなら、お前の家の名を私は覚えるだろうな。淑女選びも終わるやもしれない。そうだな?」
暗に皇后として宵華を選ぶ可能性をちらつかせる。しかし、彼女の顔色は全く変わらなかった。
「恐れながら申し上げます」
朔は浅く頷いて言葉の先を促す。宵華は声の調子を一定に保ったまま話を続けた。
「陛下は后妃や外戚が政に介入できないよう法を敷かれました。もしその席についたとしても、私には力もなく、また私の家が突然に強大な権力を持つこともないでしょう」
朔は、以前の月永のように自分が操られることを嫌った。太后や外戚から口を出され思うように行動できないことを懸念し、彼らが干渉できないよう法や制度を作った。半ば行き過ぎにも感じられるその政策の結果、今の皇后はお飾りに近い。家同士を繋ぐための導線に過ぎず、しかしそうして繋がったところで皇后もその家も政治に口を出せるわけではないという、なんとも微妙な立場となっているのだった。
「であるから、その地位に興味はないと? 皇后の座には意味がないと申すか」
都の貴族たちは、不満を覚えている者も多い。宵華もその口かと問いかけるが、彼女はかぶりを振った。
「皇后が国政に関わることを禁じられたとはいえ、その地位は本物です。そして、皇帝の妻たる者の使命として最も重要なことは、陛下をお支えし、子をもうけ、その子を次期皇帝として育て上げることです」
宵華はそこでゆっくりと瞬きをした。長い睫毛が静かに上下する。朔が頷くと、彼女は頭を下げて続けた。
「陛下に忠誠を誓い、最大の忠臣であること。子を支配しようとするのではなく、陛下のお心を継ぐ後継者とすること。その名誉に心が震えぬものなどおりません」
朔は、肘掛けに体重を預けながら宵華を見下ろした。
宵華は、権力を欲しているのではない。だが、目的がないというわけでもない。彼女は、自身が国を操ることではなく、国を操る皇帝の礎たることを望んでいる。朔──皇帝に仕えるその名誉を欲しているのだ。
野心の強い女だ、と朔は感心した。
皇帝である朔を目の前に、堂々と皇后の座に興味があるのだと宣言して見せた。奪い取るというほどの強引さはないものの、こうして朔に語れるだけの自信はあるということだろう。
家が望むままに権力を得る道具となるのではなく、自らの役割を求め、そのためにこうして朔の目の前までやってきた。その行動力と意思の強さに、朔は少なからず興味を惹かれていた。
(彼女は意味を求めているのだ)
誰かに消費されるだけの人生を、彼女は良しとしなかった。自分で歩く道を決めたいというある種のわがままを、彼女は抱えている。その結果、皇后という大きな器を求めることになったのだろう。
朔は、ふ、と小さく笑った。
「なるほど。いいだろう。お前には、郷中を処理するまで守科との連絡役を頼む。この件を他言することは一切許さない……それで良いな」
宵華は更にさっと頭を垂れた。その殊勝な態度は、たった今野望を語った女と同一人物には思えなかった。朔は口の端をくっと上げて、頭を下げる美しい女人を改めて観察した。
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