02 破への応援コメント
拝読致しました。
死に別れを目前にした親子の対話ですね。
まあ、子供側したら納得の行くはずがなく。
一人で帰ったらおかーちゃんに怒られるぅ……とはならないにせよ(^_^;)
自らの想いに殉じる正成さん、優しさが滲み出ているようです。
作者からの返信
よくこのシーンは自分の代わりに忠義を尽くすようにと説得するシーンと言われます。
そうじゃなくて、単純に、死なせたくないから来るな、という感じだったんじゃないかなぁと思いまして、こんな描き方にしました。
でも正成自身は、この戦いに行くしかないなぁと思っているわけで……。
おかーちゃんには合わす顔がない、と思ってそうですが^^;
ありがとうございました。
01 序への応援コメント
拝読致しました。
武をもって自らを保てない勢力は没するしかなかった、そういう時代だったというべきなのですかね(^_^;)
最後には文としての性質を脱しきれなかった後醍醐さん、正成さんの奇跡に縋ってしまったのか。
ひとえに(本人はその意思はなくとも)身を慎んできた正成さん、大楠公と呼ばれる後世を知ったらなんと思うのかなあ(;´∀`)
作者からの返信
みかどはみずから政をすれば、何とかなるのではないかと思っていたのでしょう。
百官をそろえて政府を作って、みずからの手足とする……と考えて公家たちを差配したら、その公家たちが好き勝手やって、それを見て武家が離れて……負の連鎖だったのでは。
みかどが京都包囲戦にゴーサインを出さなかったのは、ある意味正しいです。
政権に瑕がつくし、京都の人々を守れませんし。
ただ、だからといって、正成に「あとは任せた」と丸投げするのがなぁ……^^;
現代の会社や役所だったら、「そんなんでけんわ」と投げ出されちゃう奴です。
でも正成は真面目なんで、上からの指示にしたがって……。
そんな正成、もし後世で何て呼ばれているか知ったら、「大楠公? ただのオッサンやで」と苦笑しそうです。
ありがとうございました。
03 急への応援コメント
『序』、『破』、『急』と来たので、某ヱヴァンゲリヲン新劇場版を思い出しました。
本作の父子では、息子ではなくて、お父さんの方が『逃げちゃダメだ』という結末だった(T_T)知っていても、この二人の別れは辛い。
「堪忍な」という言葉が『浪速の父ちゃん』という親近感を与えて、どこにでもいる一人の父親であったことを表現できていたと思います。
作者からの返信
お星様、ありがとうございます。
そういえばヱヴァとおんなじような構成でした(笑)
おっしゃるとおり、こっちのとーちゃんは逃げちゃ駄目だでしたね。
息子さんは息子さんで、ついていきたいけど、一方でついてこないでというとーちゃんの言うこともわかるところが辛い……。
拙作はあまり悲劇的な色合いは薄めにしております。
それよりも、何で戦いに行くのか、というところと、やっぱり「父親・正成」の面をフツーに描くことをこころがけました。
そのあたりに言及いただき、嬉しい限りです^^;
ありがとうございました。
編集済
03 急への応援コメント
拝読致しました。
楠木正成は、これで…ですね。
「悪党の夏」からずっと読んで参りましたが、それから正成の考え方もいろいろ変遷してここに辿りついたのか。
感慨無量でした。
後醍醐帝は良くも悪くも生きたいように生きられた。
しかし残された南朝、後南朝の末路が何とも憐れでなりません。
同じく足利幕府。
義満の時代に漸く南北朝の戦いが一段落着いたかと思いきや、権威を何とか保てたのはぎりぎり五代まで。
あとは八代〜で応仁の乱、戦国時代の幕開け。
足利氏自体が形骸化。
いつもそうですが、無常を感じます。
ありがとうございました。
「青葉繁れる」は確か少女漫画「はいからさんが通る」の伊集院少尉の幼少時の思い出の歌として登場していたので何となくその記憶がありました。
なお大変不勉強で楠木正成は千早城か赤坂城の戦いでトンデモ作戦を取ったのは史実なのだと今まで信じておりました。
後世の創作だったんですね…
作者からの返信
楠木正成という人は、後世の解釈でいろいろと言われており、特に「持ち上げ」が凄かった印象です。
でも、そうでない風に、あるいは、ちがった角度から見ることもできるんじゃないかな、というのが、「悪党の夏」以来書いて来た作品群の執筆のキッカケです。
その「まとめ」的なものが、今回のお話になります。
後醍醐天皇は、おっしゃるとおり、その目指すままに歩み、駆けてきた人生でした。
この人が立たなければもう駄目だったという面もありますが、同時に、立ったせいで混沌がもたらされたという面も、あると思います。
後南朝にまで後世に影響を及ぼしたとなると、なおさらのこと。
足利は足利で、いつの間にやら内紛の嵐。
それがまた次なる時代への洗礼であるといえば、それまでですが、「つわものたちが夢の跡」という印象はぬぐえませんね……。
「はいからさんが通る」、懐かしいです。
少尉の思い出の歌……確かにあの時代なら、よく歌われてそうです。
千早・赤坂の戦いは、どういう戦いだったかは、ちょっと微妙です。
太平記の影響が濃くて……じゃあ他の資料はどうなのと言われても、あんまり無くて。
拙作の長編は、史実と創作のいいとこどりで、トンデモ作戦をやってたりしますけど(笑)
あまり酷いのはオミットしました^^;
ありがとうございました。
また、近況ノートでの拙作の紹介、ありがとうございました。
ではではノシ
03 急への応援コメント
なるほど、後醍醐帝の命令にこういう意味を持たせるわけですか。ただの愚かな命令だったと考えるよりも奥深く、そしてリアルでもありますね。
何というか、今回の一連の南北朝時代を舞台とした作品のお陰で、多くの知見を得る事が出来たように思います。
本当にありがとうございます。
作者からの返信
そもそも京を餌にするいう時点でクレイジーな作戦だったので、尊氏の突然の謀叛という緊急事態でないと、許可できなかったのでしょう。
それでいて、じゃあ湊川に行けなんていわれたら、正成としては、死ねと言ってくれ、覚悟を決めてくれとなってしまったのでは。
楠木正成は、これまで忠臣としてあつかわれてきましたけど、そうではない、実際家としての面を取り上げてみたかったのです。
元・得宗被官から、建武政権の役人へと転身を遂げたあたりに、その辺が如実にあらわれていると思いまして。
で、そういう正成が、何で湊川に挑んだのかというのを考えてみたのが、このお話でした。
南北朝時代は、忠義や悲劇で味付けされている部分もありますが、それらを割り引いて考えてみると、またちがった南北朝時代が見えてくると思って書きました。
新たな知見を得られたようだとのことで、作者冥利に尽きる思いです。
ありがとうございました。
03 急への応援コメント
確かにこれは紅茶好き提督が投影されてますね。
民主主義とまではいかないでしょうが、建武の新政には武士以外にも光を当てるという側面はあったと思います。
ただ、その期待を途中から裏切っちゃった。
正成さんはその新世界の共同制作者として見捨てられなかったということですね。
戦争屋として終始すれば、また別の戦い方はあったと思うんですけど。
作者からの返信
お星様、ありがとうございます。
あの紅茶好きさんを投影すると、書く側としてはわかりやすいんです^^;
建武の新政という、ある意味「理想」を形作ったのはいいんですけど、ところがその「理想」が駄目になってしまい……。
正成はその建武政権の官僚として働いていますので、制作&運営の責任があると思っていたのでは、と考えたのです。
赤松円心みたいに割り切れれば良かったんですけど、そうでないところが正成の美点であり、欠点というか泣きどころだったと思います。
ありがとうございました。
03 急への応援コメント
完結、お疲れさまでした。
お題が「天気」と来たので、桶狭間とか来るかなーとも思いましたが、ここまでずっと南北朝で続けてこられた上に、前回は尊氏のリベンジで終わっていたので、ああ湊川か、と納得しました。
合戦そのものより、その前段の正行との別れを描き、親子のやり取りの中で、正成の胸中――何故勝ち目のない戦いに赴いたか――を浮き彫りにされるあたり、本当にお見事でした。確かに正成というキャラ、後醍醐帝への忠誠だけで死地に赴くだろうかと通説には疑問を抱きますが、本作(やその他の南北朝もの)で描いておられる正成の人物像なら納得です。
新しい視点で名将の胸中を味わえる作品、ありがとうございました!
作者からの返信
実は建武の乱について、ある程度書き溜めができていたので、お題フェスが開催されたら、それに合わせてカスタムして投稿しようと目論んでいたのです^^;
それで「天気」だったので、ちょっと強引かなと思ったのですが、桜井の別れの話を投稿することにしました。
桶狭間は散々書いたので、ちょっとネタがないし(笑)
この建武の乱がらみの作品群の中で、一番最初に書いたのが、この桜井の別れのくだりです。
長編を脱稿した後に、せっかくだから、「まとめ」的に書いておこうと思いまして。
足利に勝ったあとに和睦を唱えたり、湊川に行けと言われてそりゃ無理だと言い返したりしているクレバーなこの人が、何で結局戦いに行ったのか、というのを考えてみたので、ちょっと書いてみたくなったのです^^;
そしてレビュー、ありがとうございます。
実は「青葉茂れる」の歌、知らなかったんですよね(笑)
だからこの歌が出て来て、「おお!」と思いました^^;
そしておっしゃるとおり、桜井の別れって、忠義を強調されることが多かったので、そうじゃない描き方もあるんじゃないかなぁと思って、書いてみた次第です。
正行を連れて行かなかったのは、何もあとは任せたってことだけじゃなくて、お前はやらなくてもいいんだよ、という面も、あるかと思いまして。
そのあたりを描くことができて、おかげで他の建武の乱が描くことができました……余談ですけど^^;
ありがとうございました!
03 急への応援コメント
こんばんは、四谷軒様。御作を読みました。
後醍醐の帝が先例を無視して行った様々な政策は、確かに先進的な取り組みが多く含まれていました。しかし、あまりに周囲の理解を無視していた、過剰に専制君主的だった側面も無視はできないでしょう。
作中で描かれた西園寺さんが暗殺に走る契機も、後醍醐の帝が皇后の死後をきっかけに、実家の取りつぶしをはかっていると誤解させたから、という理由が大きそうですし……。
公家、武家をとわず、誰も彼もに期待させ、そして誰も彼をも裏切ったのが……。建武の新政が「間違いだった」と批判される理由ではないでしょうか。まあいつの世もあることかも知れませんが。
北条義時「頼朝様、貴方の切り開いたやり方が間違いじゃないのは認めるけど、どうしてこうなったんですかね」
徳川吉宗「綱吉公、貴方の方針は間違いではなかった。でも、現実的に着地させる方の身にもなってください」
正成さんだけじゃなくて、いつの世も貧乏くじを引かざるを得ない英傑って出てくるよなあと物悲しくなりました。面白かったです。
作者からの返信
お星様、ありがとうございます。
後醍醐天皇って、確かに「やり過ぎ」なところがあったと思います。
へたに天皇の家に生まれたから、遠慮というか忖度というか、その辺があんまりなかったのでしょう。
ブレーキのないままに突っ走って……それであの結果だと思います。
西園寺さんの事件は、確かに後醍醐のやり様に端を発していると思います。
拙作では、ちょっとそこまで言っちゃうと収拾つかなくなるので書きませんでしたが^^;
後醍醐でないと、あの政府のデザインはできなかったと思いますけど、やっぱり運用というか政治のやり方が、「そりゃないよ」という感じだったと臣ます。
義時も吉宗も、へたに視点が良くて優れているだけに、前任のアレなところが見えてしょうがなかったのでしょうね(笑)
適材適所といわれればそれまでですが^^;
正成もまた、そういうポジだったんでしょうね。
しかも彼の場合、いっしょに創業しただけに、文句も言えないし……。
ありがとうございました。
02 破への応援コメント
こんばんは、御作を読みました。
足利家が(例の置き文の真偽はともかく)戦略的に討幕を狙っていたのに対し、正成さんはあくまでゲリラ戦による防衛に終始していましたからね。
狙いは割拠だったと描かれると納得です。
そして、お前が始めた物語(たたかい)だろう――と言われると確かに。
DQ7の種泥棒はいけません、ハイ!
面白かったです。
作者からの返信
足利と新田の挙兵が、後醍醐・正成サイドにとって、計算外とすれば、それらを差し引いたところに、後醍醐・正成サイドのねらい――割拠があると思って、考えたお話です。
そして、正成にとっては、自分が始めたことだと言われたらそのとおりで、円心ぐらい割り切れれば良かったのに、真面目だったため、戦えと言われれば行く、ということだったのでは……。
DQ7……いやな事件だったね……(富竹風に^^;
ありがとうございました。
01 序への応援コメント
こんばんは、御作を読みました。
南朝勢力は、結局のところ正成さんの残したプラン通りに戦うことになった。
でもって太平記でも梅松論でも、正成さんのひととなりの描写に違いがみられないところを見るに、ここまで読み切っていたのでしょう。
おそらくは自分の死すらも。
出たり入ったりする宇都宮さんや、めちゃ柔軟に北朝南朝を渡り歩いた正儀さんみたいに、「じゃ、寝返るわ」をする方が生き延びられた気がしますが――
それを選ばなかったからこそ、伝説になったのでしょうね。
面白かったです。
作者からの返信
南朝のことを軍事的に支えていた正成さん。
彼の言うとおりにしなかったので、南朝は吉野へ行き、「南朝」に。
おっしゃるとおり、太平記も梅松論も湊川までのパートに差が無いので、正成さんは「言うとおりにしない」だろうなと思っていたのでしょう。
だから、征けというなら死ねと言えと言い切った。
……この辺、彼なりに後醍醐に対する契約を守ろうとしていたのかもしれません。
政を成してくれるのなら、どこまでも戦う、みたいな。
宇都宮や正儀さんは、まあ彼らなりの生き方でいいと思いますあ、正成さんは「最初」に戦争を始めてしまった責任があるから……と考えていたのではないでしょうか。
ありがとうございました。
01 序への応援コメント
京都を落とされたくないのなら、せめて天王山で防禦を固めるとか。
湊川ならぬ、第一次山崎合戦になったのに。
『太平記』の新田義貞の描きかたは、この一段(赤松攻め以後)については「戦下手」という感じになっているのだけど、ほんとうはどうなのでしょう?
以前と違って、後醍醐天皇も、内裏再建とか、京都を根拠地にしていろいろとはじめてしまったので、動けなくなってしまったんでしょうね。
どういう桜井の別れが描かれるのか、たのしみにしています。
作者からの返信
天王山だと、もし膠着した場合、摂津や河内が襲われてしまうので、そこら辺を本拠とする正成には、ちょっとできなかったと思います。
ただでさえ、兵が集まらないと具申していたぐらいですし。
そうすると、湊川に出張ってやらざるを得ないという……。
新田義貞の戦術能力については、ピーキーなものなので、「戦下手」と断じられても仕方ないと思います。
湊川においても不思議な陣立てだったと述べられていますし。
でも湊川は正成とブリーフィングした上であの配置なので、結果として敗退ですけど、意味はあったと思います。
京都を罠にする作戦は、この時点においてベストだった思いますけど、京都の人たちを犠牲にするのかという点で、やっぱり選べなかったんじゃないでしょうか。
正成を指弾したと伝えられる坊門清忠も、事務方の長だったみたいで、「正成はん、そんなん京がもたんわ」と言っただけなのでは。
桜井の別れについては、なんというか、哀しい別れではあるんですが、もうちょっとこう、彼が何でそこまでして頑張ったのかを描ければと思って書きました。
お楽しみいただければ幸いです。
ありがとうございました。
【追伸】
近況ノートへのコメント、ありがとうございました。
ストックでちょうどいいのがあったので、投稿した次第です^^;
ではではノシ
03 急への応援コメント
拝読致しました。
また、完結おめでとうございました。(^^)
あの京都商店街デートからどれほど月日が経ったのか。
片や時代を駆け登らんとして、片や沈没船団の先駆けとなりて。
忠に殉じるわけでなく、理想に殉じる万能型サラリーマン。
こうしてみると、この結末は不可避だったんですねぇ。
面白かったです!
作者からの返信
お星様、ありがとうございます。
都大路で二人そぞろ歩いた頃が懐かしい……三年くらいしか経っていないけど。
やっぱり二人の出自というかバックグラウンドがちがうというか、それでいて、目指す先は一緒なのに、やり方のちがいでこうまで衝突することになるとは。
正成の方は、それでも忠節を、という面が強調されてきたので、そうじゃない見方もあるんじゃないかと思って、こういうお話にしました。
結局、新時代を拓いた責任として、その時代を守ろうとしたんでしょうね。
一方で高氏は、やり方はともかく、政は正しくおこないたかった。
そして二人はラストバトルへと……。
ありがとうございました。