第2話「シンプルモードに生きる」

つくねのスマホが、朝の七時前から甲高く鳴り響く。

画面には「レイコ姐さん」。


「起きてるか!? 今日は朝から出陣だからな。抽選遅れんなよ!」


寝ぼけまなこで電話を受けたつくねは、その勢いに押されるように布団を飛び出した。

そして、いつものホールへ向かう。


「姐さん、朝から元気っすねえ…」


「当たり前だろ。休みの日は朝からエヴァを打ち込むって、もう相場が決まってんの!」


「いや、抽選行かなくてもエヴァなら普通に座れますよね?」


「バーカ。この“抽選の時間”が醍醐味なんだよ。

昔はよ、こうやって並びながら常連同士で情報交換して――まぁ、色々あったんだよ。」


意味深な言い回しに、つくねは小首をかしげる。


ホールがオープンし、いつものように隣同士で台を確保した2人。


「姐さん、またシンプルモードすか? 俺は今日ノーマルで行きますよ」


「古参はシンプル一択だろ。あたしの人生と同じで、余計な演出なんざいらねぇんだ」


「姐さんの人生シンプルなんすか…? 派手なイメージなんすけど」


「……まぁな。若い頃はキラキラしたもんに憧れた時期もあったけどよ。

今は、必要なもんだけで充分だ」


そこには、一瞬だけ影の落ちるような声があった。


そんな折、礼子の台に静かな変化が訪れた。


「おい、つくね。もう“かかった”ぞ」


「え、なんでわかるんすか?」


「ほれ、下段の“2”見ろ。

上段4、下段2――これはな、『上品な冬月、下品な加持』つって、昔から当確なんだよ」


「へぇ〜、奥深いっすね。なんか源さんの韋駄天みたいな…」


「アタイ源さん打たねぇから知らねぇ。

速いだけのSTより、長く深く…ロングSTが一番刺さるんだよ」


「じゃあ冬ソナとか――」


「はぁ? アタイと冬ソナ? ウケる。

京楽のエアバイブは脳汁出るけどよ、今のベルーガ枠、ハンドル握りづれぇんだわ」


「……姐さん、エヴァ以外も知識豊富すね…」


つくねがボソッと言った瞬間――


バシーン!!


NERVマークのシャッターが閉まった。


「きたぁぁーー! 時短中のシャッター閉まりは引き戻し確定!

これだからシンプルはやめらんねぇんだよ!」


「また法則っすか」


「あたぼーよ。シンプル限定の、最強のお約束だ」


「姐さん、楽しそうで何よりっす…」


礼子はゆっくりと、しかし確実に連チャンを伸ばしていく。

その横で、つくねは800回転ほどハマり、魂が抜けかけていた。


「姐さん……今日は無理っす。帰りたい…」


「だな。今日は撤収だ。

ほら、エンジョイ奢ってやるから、気にすんなよ」


「姐さん、神っす…!」


2人は“いつものエンジョイ”へ向かい、定食をつつきながら他愛もない話をした。


「んじゃ、また連絡するわ。気をつけて帰れよー」


駐車場で手を振る礼子は、どこか満たされた顔をしていた。


――自宅。

昭和の香りが抜けない、古びたアパートの一室。


「ただいまー……って言っても、誰もいねーか」


礼子は買ってきた缶ビールをプシュッと開け、そのまま一気に飲み干す。


折り畳み式の小さな座卓。

古い布団。

最低限の化粧道具だけがきれいに並んだ部屋。


何もない。

けれど、静かで、寂しさだけがよく響く。


「……アタイの人生も、すっかり“シンプルモード”になっちまったな」


礼子は誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。

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