エヴァパチの呪縛―"右打ちのレイコ"物語―

羽犬塚 聡

第1話「渚カヲルという孤高」

 「はぁ!? レバブル外したんだけど!」


 夕方のホールに、礼子の怒号が響き渡る。

 派手な照明と響き続ける効果音の中で、彼女の声は妙に通る。


 今林礼子──通称 “右打ちのレイコ”。

 アラフォー独身。職業・ホームヘルパー。

 そして空き時間のすべてをエヴァパチンコに捧げる女である。


 その隣で、舎弟の“つくね”こと吉村シュンが、シンクロリーチからひっそりと当たりを引いていた。


「おい! アタイのヒキ、お前が持ってっただろ! 返せ!」


「いやいや姐さん、それ完全に言いがかりっすよ!」


 礼子は台を小突きながら、ぶつぶつ文句を言う。

 パチ屋歴は長いが、ヒキが弱い時はとことん弱いのだ。


―――

アタイは今林礼子。

パチンコの中でも、とりわけ“エヴァ”に魂を預けた女だ。

初代から全部打ってきた。

気付けば、周囲はアタイのことをこう呼ぶようになった──

「右打ちのレイコ」 と。

―――


「6図柄、しれっとカヲルになってたんすよ。いやぁ〜助かりましたわ」


「はぁ? アタイのカヲル様を、あんたごときが奪うなんて! ラッシュ駆け抜け、きぼんぬ!」


「姐さん勘弁してくださいよ。もう二万いれてるんすから。せめて捲らせて!」


「あはは、確かにな。捲れたら今夜はエンジョイでつくねの奢りな?」


「了解っす! んじゃラッシュはカヲルモードで!」


「まじか……アタイはアスカの一発告知派なんだが、今日はカヲル様に縋りたい日だわ」


 渚カヲル──

 エヴァにおける孤高の象徴。

 パチンコでは、現代でも“確変への福音”として崇められている。


「つくねはエヴァはシト新生からだよな?」


「そっす。姐さんの影響で…。姐さんは初代からなんでしたっけ?」


「あたぼーよ。エヴァがパチンコになるって聞いた瞬間、ホールに走ったわ。

 その前は吉宗と北斗の二刀流だったけど、エヴァ出てからは全部エヴァ」


「うわー吉宗の『そこにあるかも知れない…』あれ朝の目覚ましにしてるっす。神曲」


「きみにー♪ってやつだろ? あれやべーよなぁ」


 軽口を叩き合っていると、つくねの顔が徐々に曇り始めた。


「姐さん……やばいっす。100回転切りそうで……このままだと駆け抜け……」


「そんな時は一旦休める。ビスティ打法だよ」


 つくねは素直に従い、ハンドルから手を離して数秒の静寂を作った。

 そして再び回し始める。


 ──数回転後。


 リーチハズレから、突然の心音演出。


 ドックン……


 渚カヲル『助けが必要みたいだね』


「きたあああああ!!」


 つくねは台に向かって叫び、礼子とハイタッチする。


「ほら、アタイの言った通りだろ?」


 礼子はドヤ顔でうなずく。


 昔のエヴァは今ほどカヲルが簡単に出なかった。

 6図柄、無言セリフ、せいぜいそのくらい。

 だからこそ、一度の出現で人生変わるレベルの衝撃があったのだ。


「アタイ、初代のカヲル背景が一番好きなんだよな。あれは本当にイケメンすぎた」


「姐さん、昔すぎて俺わかんないっすよ!」


 その後、つくねは見事に連チャンを続け、投資を捲り切った。


「今日はつくねの一人勝ちか。……そろそろ上がるか」


「っすね! 約束通り、晩飯はエンジョイで奢ります!」


「アタイ、とり天定食な!」


「好きっすねー姐さん、とり天」


 その夜、二人は定食屋エンジョイで、ドリンクバー片手にくだらない会話を続けた。

 勝っても負けても、変わらない時間。

 だけど、その「つまらない時間」をレイコは密かに気に入っていた。


 ──この頃のアタイたちは、まだ知らなかった。

 エヴァパチの“呪縛”が、後々とんでもない事件を連れてくることを。

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