ゆめのしま ― 万博ロスの果てに ―

@SOUKOUSYA

ゆめのしま ― 万博ロスの果てに ―

あの幸せな熱狂は「ゆめ」だったのか――。

「コスモスクエア」駅を発車した大阪メトロ中央線「夢洲行き」。ここから先、乗客たちは同じ目的地を目指す。

大阪・関西万博2025。55年ぶりに大阪で開催されている万国博覧会だ。時代の最高の夢を共有しようとする、熱狂的な同志なのだ。


次は、いよいよ夢洲です。

大阪・関西万博のオフィシャルテーマソング

コブクロで「この地球(ほし)の続きを」とともに

驚きと感動に満ちた夢洲へ

さあ、行きましょう!


車内アナウンスに続いて、お馴染みのテーマソング、コブクロの「この地球の続きを」が流れる。

この瞬間を、もう何度味わっただろう。胸の奥から湧き上がる高揚感。まるでこれから、非日常の聖域へと足を踏み入れるかのような、神聖な気分にさえなる。


万博のゲートを初めてくぐった日のことは忘れられない。夢洲駅の改札を出て、万博プリントされた階段を上る。

そして東ゲートから、所持品検査を経て会場内へ。木肌がまだ真新しい大屋根リングを目の当たりにしたときの感動。158の国と機関が集まり、未来の理想郷を具現化した夢のような空間……。


初めは「話のタネに、ちょっと覗いてみようか」という程度の軽い気持ちだった。入場料は安くなかったが、この目で見ておきたかったのだ。

だが、一度足を踏み入れて、僕は完全にこの空間の虜になった。


そこには、平和があった。誰もが笑顔だった。国境も、貧富の差も、政治的な対立も、宗教も、肌の色も、全てがこの空間では意味を失っていた。誰もが未来に希望を抱き、それを共有することに喜びを感じていた。


迷う理由など、あるはずがない。すぐに「通期パス」を購入し、仕事の休日は全て夢洲へ通い詰めた。


会期が後半に進むにつれ、人の波は凄まじくなっていった。要予約のパビリオンは、たちまち予約が埋まった。予約不要のパビリオンでも、朝いちばんから並んでも数時間待ちは当たり前。だが、この行列すらも、僕にとっては至福の時間だった。隣に並んだ見知らぬ人との会話が弾む。互いの「推しパビリオン」や、時間ロスの少ない回り方をレクチャーしてくれるリピーターのおじさん、ミャクミャクの可愛さについて語り合う女性たち。そこには、万博でしか生まれ得ない、特別な連帯感があった。


僕は、予約なしで入れるパビリオンは全て制覇した。要予約のパビリオンも、キャンセル枠を狙ったり、深夜まで粘って予約システムに張り付いたりして、主要なものは見ることができた。

会期の前半にはフラリと入れたコモンズ館も、後期には行列ができ始め、その人気ぶりに驚いたものだ。参加国のナショナルデーも、可能な限り参加した。異文化の祭典はいつも刺激的だった。


気が付くと、僕は40数回も会場に足を運んでいた。実家の自室は万博グッズ、特に公式キャラクターであるミャクミャクのぬいぐるみであふれかえり、家族から呆れられた。それでも止められなかった。万博に行くこと、そのものに意味があるような日々になってしまっていた。


そして、10月13日。

184日間にわたる会期の最終日。

とうとう終わってしまう。なんともいえない寂寥感の一方で、終わってしまうことがまだ実感できない、不思議な感覚に陥っていた。


朝から晩まで、夢洲は熱狂の坩堝と化した。参加国の国旗パレード。世界中の人々が織りなす一体感。そして、メインステージでのフィナーレ。アバンギャルディと一緒に踊るミャクミャクのダンスは驚くほどキレッキレで、観客は度肝を抜かれた。


全てが終わり、最後のドローンショーが始まった。

夜空に無数の光が飛び交い、大屋根リングの上に巨大なミャクミャクの姿が浮かび上がった。その愛らしい姿がゆっくりと、しかし確実にかすんでいき、やがて夜の闇に吸い込まれて消えていく。


涙を流して見上げている人がいる。あちこちから、すすり泣く声も聞こえた。僕も視界がにじむのを感じた。

終わってしまった。

夢の空間が、たった今、終わりを告げた。


言いようのない喪失感が、まだ少し興奮状態にある胸を締め付けた。

重い足取りで、夢洲駅の改札を抜けた。ホームは人でごった返しており、まだ興奮冷めやらぬ様子。全員が同じ感情を抱いている、その空気に奇妙な一体感を覚えた。


そんな夜が明けた翌日。

喪失感は、いっそう強くなっていた。

どうしても、万博が終わったという現実を受け止められない。いや、受け止めようがない。


僕はもう一度、夢洲へ行こうと決意した。

勤め先へは「体調不良で休みます」と連絡を入れた。僕が万博に通う詰めていた子を都市っている上司は、電話の様子から、なんとなく察してくれたようだ。


会場に入れなくてもいい。いや、それは当たり前と分かっている。だが、せめて東ゲートのあの風景だけでも、もう一度目に焼き付けたかった。


大阪メトロ御堂筋線「本町」駅で降りる。

万博の開催中は中央線へ乗り換える臨時の通路が設けられ、万博を目指す客でごった返した。ガードマンが拡声器で「右側通行でお願いしまーす!」と、声を枯らして客を誘導していた。


その姿は、もうない。

周りを見渡すと、いるのはビジネスマンやOLばかり。ちょうど通勤ラッシュの時間帯だ。浮かれたミャクミャクTシャツを着て、背中にミャクミャクのマスコットをぶらさげたリュックを背負っているのは、僕だけだ。

どう見ても浮いていた。


あらためて「本当に、終わってしまったんだ」という感覚が押し寄せてきた。昨日までの熱狂が、まるで遠い過去の幻のように思える。


中央線へ続く通路を歩き、ホームに着いた。

行く先表示を見る。


「コスモスクエア行き」


そうだった。万博が閉幕した後は夢洲行きが大幅に減便されて、15分に1本だけになると聞いていた。

次の電車も「コスモスクエア行き」だった。その次も、そのまた次も「コスモスクエア行き」だ。


おかしい。

いくらなんでも、夢洲行きが少なすぎないか。


僕は壁に掲示されている時刻表を見る。

あれ? 夢洲行きは?

終点は全て「コスモスクエア」になっている。「夢洲」の文字すら見当たらない。


慌ててスマホの時刻表アプリを起動する。

やはり「夢洲行き」はない。全て「コスモスクエア」までだ。


「どういうことだ?」


ホームを通りかかった、ベテランそうな駅員をつかまえた。


「夢洲行きは、いつ出ますか?」


その駅員は、僕の格好と質問に怪訝そうな表情を浮かべた。

「ゆめしま、ですか? たしか、大阪万博の誘致が計画されたとき、夢洲までの延伸も一緒に計画されましたけど、万博の誘致に失敗して、延伸計画はなくなったんですよ」


「え?」

「ええ、そうなんですよ。それも、もう何年も前のことです。夢洲って、ただの空き地ですよ。えーと、お客さん、大阪の方ですか?」


「そんなバカな! 万博は今年の4月に始まって、昨日、閉幕したんだ。僕は昨日、ここから乗って夢洲へ行ったんだ!」


「お客さん……?」


「最後のドローンショーで、大屋根リングの上にミャクミャクが現れて、そして消えていったじゃないですか!」


「その、みゃく……なんとかって、何ですか?」


駅員は心底不思議そうに首をかしげる。トボケているようにも見えない。


「万博の公式キャラクターの、ミャクミャクですよ! 知らないんですか!」


「すみません、分かりかねます。ま、とにかく、夢洲なんて駅は、大阪メトロにはございません」


「そんな……バカな……。僕は確かに昨日、ここから夢洲へ行って……、万博最後の日を過ごして……。え? 万博がなかった? 何年も前……?」


頭が混乱し、目の前がぐるぐる回る。昨日のあの熱狂、ドローンショーの感動、僕は確かにあの中にいた。40数回も通い詰めた日々が、家族に呆れられたグッズの山が、全て僕の妄想だったとでもいうのか?


全身の力が抜けて、その場に膝から崩れ落ちた。


「お、お客さん、大丈夫ですか! あっちで休まれますか?」


駅員の声が遠くなる。

ふと、気が付くと、さっきまであれほどいた、通勤途中のビジネスマンやOLの姿がホームから消えていた。


ホームには、僕一人しかいない。駅員の姿も消えていた。


とても静かだ。まるで、音のない世界に閉じ込められたかのような、奇妙な静寂。


夢洲駅は存在しない? 万博もなかった?


僕はとにかく気持ちを整理しようと、現状をどう受け止めるべきか、頭をフル回転させて考えをめぐらせていた。


「ふーっ」とため息をついたとき、僕の背後にある階段の上から、ざわめきが聞こえてきた。たくさんの、楽しそうな人の声。その声は次第に大きくなってきて、僕は恐る恐る振り返った。


階段を降りてきた人々は、皆、ミャクミャクのグッズを身に着けていた。Tシャツ、キャップ、赤と青の万博カラーのタオルをもった女子高生。どの顔も万博に向かう人特有の、期待とワクワクに満ちた熱っぽい笑顔だ。


「どうされたんですか?」


先頭を歩いてきた、ミャクミャクTシャツを着た青年が、僕に声をかけてきた。見知らぬ青年だ。


「早く乗らないと、行ってしまいますよ」


彼が指さす方向に目をやると、電車が音もなくホームに滑り込んでくるところだった。


「あ!」


僕は思わず声を上げた。


行き先表示は「夢洲行き」じゃないか。


「さ、あなたも、これに乗るんでしょ。夢洲行きの最後の電車です」


青年は微笑んで、僕を促した。


僕は、引き寄せられるように電車に乗り込んだ。


ドアが閉まり、電車は音もなく発車した。車窓の外は漆黒の闇。隣に座った青年が、満面の笑みで僕に語りかけてきた。


「よかった。これで、ゆめのしまへ永遠に行けますね。万博はまだ終わっていません」


僕の胸を支配していた喪失感は、完全に消えていた。代わりに、至福の高揚感が満ちていく。


そう、これでいいのだ。


現実の世界が万博を終わらせたのなら、僕は現実を捨てればいい。この電車に乗った「同志」たちと共に、あの理想郷で、永遠に生きていけばいいのだ。


電車は、漆黒の闇の中を走り続ける。僕たちが夢見る世界へ向かって。


リュックにぶら下げているミャクミャクのぬいぐるみが、僕に向かって微笑んだ気がした。


車内アナウンスが行く先を告げる。


次は、いよいよ夢洲です。

大阪・関西万博のオフィシャルテーマソング

コブクロで「この地球(ほし)の続きを」とともに

驚きと感動に満ちた夢洲へ

さあ、行きましょう!


続いて、お馴染みのテーマソング、コブクロの「この地球の続きを」が流れる。


(終わり)

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