俊彦の思い出 - 1

 咲良ちゃんと話したのは、栞がきっかけだった。

 僕が落とした栞を咲良ちゃんが拾ってくれて、栞に押していた桜の話で盛り上がって。それから、僕と咲良ちゃんは話すようになった。

 十月に入ってすぐの頃、からっとした晴れの空が広がっていた。いつものように、僕はお昼休みを図書室で過ごしていた。図書室には僕のほかに、ひそひそ話を続けている男子の上級生がいた。

 春ちゃんみたいな外遊びが好きな人とは違って、僕は本を読むのが好きだった。足が遅くて体力もない僕からすれば、運動は楽しくもなんともない。休み時間に走り回るよりも、図書室で読書してすごす方がずっと楽しかった。

 そのときは、星新一の『ねらわれた星』にかぶりつくように集中していた。

 だから、いつの間にか近くにいた咲良ちゃんに気付くことが出来なかった。


「何読んでるの?」


 図書室では静かに。その注意を守って、咲良ちゃんは静かに問いかけてきた。

 ただ、一人の世界に入っていた僕は、そんな小さな声でも十分びっくりしてしまった。思わず、「わっ」と声を上げてしまったくらいだ。

 話し続けていた上級生が僕の方を見たのが分かった。瞬時に申し訳なさが込み上げてきたけど、幸いあまり気にしていないようで、彼らはすぐに僕から目を逸らした。

 僕は一息ついて、隣の席に座っていた咲良ちゃんに目を向けた。


「ごめんね、急に話しかけちゃって」


 咲良ちゃんは慌てた顔をしながら、僕を驚かせてしまったことを謝った。もちろん、声は小さい。


「ううん、大丈夫だよ」


 僕もなるべく小さい声で答えた。咲良ちゃんは安心したように微笑んた。

 咲良ちゃんが転校してきてから結構経つ。最初は話す度にどぎまぎしてたけど、授業や休み時間にたまに話すようになってからは、段々と慣れてきた。今となっては普通に会話することが出来るようになっていた。

 咲良ちゃんは、僕の手にある本の表紙を覗き込んだ。


「その本、面白い?」

「うん。この星新一って人の作品、読みやすいし、不思議で面白いんだよね」

「わたしも読んでみようかな」


 咲良ちゃんは独り言のように呟いた。

 そういえば、今日は天夏ちゃんと一緒じゃないのかな。休み時間はいつも、咲良ちゃんと天夏ちゃんがいっしょにいると思ってたけど。


「今日は天夏ちゃんと一緒じゃないの?」


 一瞬、図書館でお喋りを続けて良いか迷ったけど、少し離れたところでは上級生たちが変わらず話し続けている。まあ、多分大丈夫だろう。


「天夏ちゃんは他の子と体育館に行っちゃった。わたしは激しい運動とか出来ないから、一人でうろうろしてて。それで図書室に来たら俊彦くんが居たから」


 時間を持て余していて、僕に話しかけたということか。

 確かに、いつも天夏ちゃんが傍に居るわけではないか。何となくそんな印象を持ってたけど、天夏ちゃんだって咲良ちゃん以外の人と遊ぶことだってあるわけだし。

 そんなことを考えていると、咲良ちゃんの目がまた僕の手元を見ていることに気付いた。


「栞、使ってるね」


 さっきは本だったけど、今度は栞を見ていたようだった。

 僕は何となく、桜の花びらが押された栞に触れる。


「まあ、一応手作りだし。それなりに愛着はあるから」

「体験会で作ったって言ってたよね。一人で作ったの?」


 僕は首を横に振ってから答えた。


「そのときは兄さんと作ったんだ」


 そう答えると、咲良ちゃんは瞳を輝かせた。


「俊彦くんってお兄さんが居るの?」


 興味津々な様子で問いかけられて、僕は若干戸惑った。


「そんなに食いつくことかな」


 咲良ちゃんは勢いよく、何度も頷いた。


「わたし、お姉ちゃんはいるけど、お兄さんとか弟とかは居ないから気になるんだ。ねえ、お兄さんってどんな人?」


 そういえば、六年生には咲良ちゃんのお姉さんが居るって聞いたことがある。だからといって、男兄弟のことをここまで気にすることも無いと思うけど。

 とはいえ訊かれた以上、僕は兄について答えることにした。


「兄さんは僕の五つ上で、今は中学二年生なんだ。どんな人かって言われると、僕とは正反対の人かな」

「正反対って、どんな風に」

「単純に、運動が好きなんだよ。陸上部なんだけど、短距離のエースなんだって。大会だと何回も入賞してる」


 そう言うと、咲良ちゃんの目が一層輝いた気がした。


「凄い!じゃあ、自慢のお兄さんだね」


 あまりにも無邪気に言われてしまって、僕は少し笑ってしまった。

 自慢だなんて。とんでもない。


「そんなことないよ。兄さんとは何から何まで正反対だから、あまり気が合わないんだ。仲もそんなに良くないよ」


 自分でも意識せず、冷たい声が出てしまった。

 咲良ちゃんを見ると、さっきまでのはしゃぎようは消えてしまって、困惑したような顔をしていた。


「でも、栞をいっしょにつくったりしたんでしょ?仲が良くないとそんなことしないと思うけど」

「あのときは両親に言われて僕に付き添ったんだよ、きっと。一人で体験会に参加させるのは不安だからって。そんなだから、多分兄さんは栞なんてもう持ってないんじゃないかな。本も読まないしね」


 そこまで言ってハッとした。思わず、自分勝手にしゃべり過ぎてしまった。


「そうなんだね‥‥‥」


 沈んだ声で、咲良ちゃんが言う。明らかに気分が落ち込んでいた。

 このまま兄さんについて話しても、個人的な感情しか出てこない。何とか話を変えないと。

 そう思って、話題を僕の兄から、咲良ちゃんのお姉さんに移すことにした。


「咲良ちゃんは、お姉さんとは仲が良いの?」


 すると、咲良ちゃんの表情に笑顔が戻った。良かった、話題を変えるのに成功したみたいだ。


「うん。わたし、お姉ちゃんのこと大好きなんだ」


 少しだけ羨ましく思うほど、自信満々に言い切った。


「お姉さんはどんな人なの?」

「そうだなあ。わたしは人とお喋りするの好きなんだけど、お姉ちゃんは物静かな人なんだよね。だから、俊彦くんと同じで正反対かも」


 正反対なのに仲がいい。自分の兄弟仲があまり良くないだけに、ちょっと信じられない思いだった。


「だから、お姉ちゃんとたくさん話したりとかは無いんだけど。でも、一緒に歩いてたら荷物を持ってくれたり、わたしの体調を心配してくれたり。そういう優しいところが大好きなの」


 不思議だった。姉妹の間では会話が少ないと言っているのに、お姉さんの態度に出る優しさが好きだという。

 会話が少ないのは、僕たち兄弟も同じだ。そして、それこそが仲の悪い兄弟像だと思っていた。

 仲のいい兄弟や姉妹は、たくさん会話をして、一緒に遊んでいるものだと思っていた。

 だけど、咲良ちゃんの姉妹関係はそうじゃないみたいだ。僕たち兄弟と似ている部分はあっても、しっかり繋がりを持っている。

 僕と咲良ちゃんでは、見ている世界が違うように思えた。

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