第14話:神の住まい -2-

日は傾き、仮置きされた材木の影が地に長く伸びていた。

日暮れとともに男たちは道具を収め、静まり返った現場に虫の声が戻っていた。


藤治とうじは社の脇に腰を下ろし、一人、墨壺の底を覗き込んでいた。

墨の残りを指でなぞりながら、ふと昔の都の工匠たちのことを思い出していた。


気難しい親方、よく喋る手元、言葉少なに図面を引いていた陰の大工──。

あの頃の現場では、己の癖一つが命取りだった。

今思えば、学ぶことばかりだった。

「……神さまの棟を、まさか自分が預かることになるとはな」


柱の位置も、はりの組み方も、すべては藤治の頭の中にしかなかった。

都の大きな寺社や館では、図を描くこともあったが、この時代の村の建築にはほとんど用いられなかった。

空間の取り方、柱の数、屋根の傾斜。すべては彼の経験と勘が頼りだったのだ。


墨壺を納めようと腰袋に手を伸ばしかけたときだった。

社の小道の先から、ひとつの白い影が、夕日をまとってゆっくりと歩いてきた。

白衣の縁が夕日を細くなぞり、かすかな金の線を引いている。

衣が揺れ、光を引いて近づくその光景に、藤治は息を呑んだ。


「藤治どの。日々の務め、誠にありがたく思っております。少し、お時間をいただけますか」

藤治はうなずき、手にしていた木槌を脇に置いた。

「……はい。私でよければ、お話をうかがいます」

声に出した瞬間、胸の奥がきしむ思いがした。

目の前の少女が“神”と呼ばれてきたことを、今さらのように思い出した。


「……お願いがあります。私のために、ひとつだけ、空間を設けていただきたいのです」

どこか人間らしい願いだった。そのことに安堵しつつも、藤治は胸の奥に、小さな引っかかりのようなものを感じていた。

「……何か、儀式のようなことをなさるのか……」


初穂は静かにうなずき、やさしい視線を藤治に向けた。

「祈りを重ねたあと、どうしても体に熱が残ってしまいます……。身体を冷やし休める場所を設けていただけないでしょうか……?間取りは一間弱ほど、高さは六尺で足ります」

これは、ナノユニットを再構築するための空間だった。

熱とわずかな発光──それが“異物”である証を露わにしてしまう。

だからこそ、誰の目にも触れぬ場所で、静かにその余波を鎮めねばならなかった。


「……休まれる場を、きちんと造りましょう。どこにも漏れぬように」

藤治は、”神が休む場所”を思い浮かべ、どのような意匠を凝らそうか考えた。

「構えの様子、少しでもお聞かせいただければ……。御身も、心安くお過ごしいただけましょうか」


初穂は、ふと表情を緩めた。

あまりにも嬉しそうなその微笑みに、藤治は胸を衝かれた。

”神がお喜びになられた”と、藤治が安堵したのもつかの間──

「床には花崗岩、できれば色の濃いものを。熱を逃しやすく、乾いている石が望ましいです。壁は土と藁灰をよく練って塗り重ね、最低でも手の幅三枚分の厚みにしてください」


「……え?いま、なんと……?」

花崗岩──村の者にとっては聞いたこともない名であった。

藤治には、それが都の蔵や神殿の一角に使われる、特別な石であることがわかっていた。

目の前の少女が、それを求めたことに、言葉にならぬ程の驚きを覚えた。


また、土と藁灰を混ぜる技は、藤治も若い頃に都で一度だけ見たことがあった。

湿気を抑え、熱を調整するための、特別な左官仕上げだった。

──だが、それを知る者など、この村には誰一人としていない。

なぜこの少女は、そんな技を口にできるのか。


藤治は思わず言葉が出てしまった。

「……まるで、蔵のようだ」

初穂はわずかに微笑んだ。

「蔵ではありません。けれど、似ているかもしれませんね」


白衣の裾が風にゆれ、初穂の整った声が静かに響く。

「空気の通り道は一つ。床の近くに、丸く、炭壺が入る程度の穴を設けて。内側に炭を置いて湿気を吸わせます。天井は低く、苧麻を張り詰めてください。音が響かぬようにするためです」


技を知る者ならわかる。この説明は、ただの思いつきではない。

一度でも土をこね、石を敷き、音に耳を澄ませた者でなければ出てこない言葉だ。

それを、この小さな少女は、まるで息をするように語った。


佐平は深くは尋ねず、ただ「承知しました」と一礼した。

その場にいた誰よりも、藤治だけが、その異常さを理解していた……。


「……村を巡った折、幾たびも足を止めました。据えられた石の並び、柱の立ち、どれも息づいておりました。あれほどの手なら、安心して任せられます。どうか、私の最も大切な間を、お造りくださいませ」


藤治にはわかった。自分の手癖も、考え方も、何もかも──この少女には見抜かれているのだ。

これは人ではない。そう思うしかなかった。

このとき藤治は、心の奥で、はっきりと悟った。

この子は──神なのだ。

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