一章三部 凝結
捜索機三号の中は変に暖かくて埃っぽい匂いがした。薄暗い機内。息をするにも窮屈に感じる。自然に、吸って、吐いてと頭に命令を出していた。呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだ。
細やかな足場の振動に酔いそうになりながら、ルミナは着くはずの目的地を目指して静かに座席に座る。壁には剥き出しになった黒や赤といったコードが気だるげに繋がっていて、黄緑の線の入った年季のあるモニターからキュルキュルといった音が聞こえてくる。何のために付いているのかも分からない機械たち。触れるのがはばかられ、気軽にもたれかかることが出来ない。
通路を挟んだ向かい側。そこでシオンは腕を組んで居眠りをしているようだった。機体が揺れるたびに首が座っていない赤子のように頭が揺れている。彼のヘッドホンが機体の壁と衝突するたびに「ゔ〜ん…」という唸り声が聞こえてきた。これ以上見てはいけない気がして目線を逸らす。
「お嬢ちゃん、隊長が気になるのかい?」
突然のことで心臓がドクンと鳴る。ルミナの背もたれの後ろから社交的な、明るい男性の声が聞こえてきた。捜索機を運転している乗務員のもう片方、先程掴まっていたロープを垂らしてくれた乗務員だ。顔をひょっこりと覗かせて、ルミナを何か物珍しそうな、興味津々といったような顔で見つめている。若手なのだろうか、図体はシオンより大きそうだが、目の下に隈はない。ルミナと同じ金髪が、ピョンと寝癖を立てている。
「まぁ、少し…よく、この環境で寝れるなぁ…と」
そう言ってからハッとした。喉が詰まる。今の言い方では遠回しにこの環境を非難しているようではないか。慌てて乗務員の男に向き直って言葉を言い直そうとすると、その乗務員の男が豪快にガハハと笑った。
「ガハハッ、だよな〜…俺もそう思うよ」
バシバシとルミナの座席の背もたれを叩かれる。グワッとした感覚に、すぐに背もたれから背を離した。
「普通こんなとこじゃ寝れないよな〜」
背もたれに手を乗せたまま、乗務員の男はシオンの方を見ていた。つられてルミナもシオンの方を見る。相変わらず頭をグラグラさせている。心なしか、乗務員の男の声が沈んでいるように聞こえた。今のシオンの状況は、クロノフォールの人間でも異常なのだろうか。
苦しそうなシオンの寝息が、機体の雑音と共に聞こえてくる。前のめりになっているから、肺が圧迫されているのだろう。体制を戻してあげたかったが、今立ち上がっても動けないのはルミナ自身が一番分かっていた。靴底から響く振動で足が痺れるように痒くなる。無力だ。ルーメリアじゃないのに、なんとなく重たい責任を感じる。
あの小さな使者は、元気にしているだろうか。
「ユウキ、うるさいわよ。少しくらい静かにしたらどう?」
運転席の方から、風が機体に当たる音と、呆れたような女性の声が聞こえる。少し酒ヤケをしたような、大人っぽい声。もう一人の乗務員のものだった。ユウキと呼ばれた乗務員の男は、は〜いと全く反省していないような声で応える。やはり気の所為だったのだろう。声は明るく機内に響いた。
「アザミさんってば僕にだけ厳しいんだから〜」
呟く声が聞こえた。後ろの席にドカリと座り直した振動が来る。運転している乗務員、アザミさんをおちょくっているように聞こえた。前方からアザミさんが「なにか言ったか〜?」と叫ぶ声が。それにすぐユウキが「何も〜」と答える。前後の会話に板挟みにされて、なんだか居心地が悪い。二人の声を止めてしまっているように感じて、肩をすくめる。ユウキと席を変わりたいと、自己中だとわかっていても思ってしまった。
少しして二人の会話が止まると、キーンとした耳鳴りがルミナの耳を貫いた。何事だと思って身を乗り出し周りを見渡すが、壁中の機械はどこも壊れているような様子はない。
「お嬢ちゃんはヘリは初めてなのかな?」
後ろからまた声をかけられる。
「へり…?は、はい。耳鳴りはどこから…?」
ユウキの問いかけにすぐに答えた。彼の余裕の態度に不安が募る。もしかして異常だったりするのだろうか。
「標高が下がっているんだよ。もうすぐ着く。」
ふはっ、と笑うように伝えられる。そんなに変な顔をしていたのだろうか。両手で自身の顔を触って確認するが、どこも変に上がったり下がったりしていることは無かった。ガガガと風が硬い物にぶつかる音が大きくなる。機内から外は見えないが、確かに風を感じた。耳鳴りはいつの間にか止まっていた。
やがて風の音が止まる。機内の機械音しか聞こえなくなる。足底の振動が止んだ。足が浮いているような感覚。踏み込んだら神経がピリピリしてしまいそうだ。捜索機が到着した。
「うわ〜地上久しぶり〜」
ひょいとユウキは軽々しく立ち上がる。そのままルミナとシオンを隔てている通路を抜けると、捜索機の鉄の塊のような扉を勢いよくスライドさせた。扉の隙間を通り抜ける、ヒューというような甲高い風の音が聞こえてくる。冷えた風が生ぬるい機内を冷やした。途端に頭が冴えたように感じる。
「勢いよく開けるなって何回言ったら分かるわけ?」
アザミさんの声が扉の奥、外の方から聞こえてくる。すでに運転席から降りているようだった。降りた音すらしなかった。身を乗り出してみてもその姿は見えない。捜索機の入口。ユウキが少し身をかがめているように見える。アザミさんの背が小さいのか、捜索機に高さがあるのか、ルミナには検討もつかなかった。機体が軽く左右に揺れる。直後にタンッといった硬い破裂音がした。ユウキが捜索機から降りた音だと少ししてから理解する。なんだか一周回って清々しい。心と体が別々に分かれてしまったみたいだ。
「お嬢ちゃん、もう降りても大丈夫だよ?」
ユウキが扉から顔をのぞかせている。顔はほとんど床と同じ位置にあって、やっとそこで捜索機が高いのだとわかった。踏み込みたいが、足はまだピリピリと電流を流し続けている。
すぅっと息を吸い込み、止める。意を決して立ち上がった。火花を散らすように膝下までピリピリとした感覚がせり上がってくる。すぅっと、今度は痛みを逃がすように、肺に溜め込んでいた空気を出していく。右足を前に出す。左足の火花が分裂して細かく動いている気がする。
捜索機が到着してから少し時間が経っているからだろう、動けなくなるほどの痺れは来なかった。ほっ、と胸を撫で下ろすが、溜め込んでいた空気を逃がしきった肺には、ため息を吐けるほどの空気は残っていなかった。
扉の向こうは真っ暗だった。捜査機本体が大きく影を落としていて、視界の奥のほうが明るく見える。
月光だ。
なんだか、やっぱり冷たく感じる。風が束になってルミナを包み込む。冷たかった。捜索機に乗り込む前の、建物の間で感じた隙間風よりずっと。
「降りれるかな?」
ユウキがこちらに手を伸ばしている。
「…ありがとうございます」
その手を取った。風のせいか、ユウキの手は表面が凍っているかのようだった。決して安定とは言えないエスコート。不格好に体制を傾けながら足を地面へと降ろす。相変わらずゴツゴツしているが、さっきまでの場所より随分と足のついた感覚がする。
「やっぱり、明るいんだね」
手を話してから、そうユウキが呟くのが上に方から聞こえた。妙にストンとした声に、ルミナは、自身の体が発光していることを言っているのだろうとすぐに理解した。
「そうですね」
目線を下に落とす。落ちた影と、光る両手。手を握ったり張ったりしても、その光景は変わらなかった。………“合成“のようだ。たまらず足を力強く踏み込む。ガガッとパンプスのかかとから、少し嫌な音がした。
「ユウキ、警備隊長はどうしたのよ?」
コツコツという靴の音と共に、あの酒ヤケをしたような声が近づいてくる。顔を上げると、まだ遠くのほうに女性の姿が見えた。月光に照らされて、彼女の後ろを細長い影が追いかける。結われた栗色の髪が靡くたび、その影が見知らぬモンスターのように姿を変える。
「あっ!まだ機内です!」
すぐ上の方から聞こえた大きな声に肩をビクッと震わせた。見上げると、やってしまった、とでも言うようなユウキの顔が影にすっぽりと収まっていた。ユウキはすぐに踵を返し、捜索機の中へと戻っていく。動きはとても軽やかで、ルミナが恐る恐る降りたあの扉へ軽々と飛び込んでいった。
コツコツという靴の音が止んていたのに気づいたのは、それからすぐのことだった。少し煙たい匂いがして前を向き直す。至近距離とはいかないが、ルミナの二歩先のところでその女性が止まっている。彼女の影は機体の影に覆われて、あのモンスターはもう消えていた。
「で?アンタがヴァイリスの変異種かなんかなわけ?」
呆れたような抑揚のない声をしている。運転席から聞こえた、あの声のまんまだ。ルミナより少し高い位置にある頭。伏し目がちにこちらを見る赤い瞳。影の中だからだろうか、シオンのように色が深く見える。目が中心にかけて黒いグラデーションを作っている。じっと見返すとすぐに逸らされてしまった。
白い煙が視界に入る。空へと登って。登っていく。煙たい匂いは彼女の持つ煙草から来たものだった。弱い風に、その煙がゆっくりと流されていく。不思議と背筋にしんとした冷気が染み込んだ。
「ぁ…えっと…」
変異種。確かにそうかもしれない。発光する体。いかにも異邦人のような、クロノフォールの色に馴染めない服の色。歩き慣れていない足の動き。常に周りを観察する目。どれも、そう見えて文句の言えない理由ばかり。どう返していいか分からない。
「……そう。」
少しの間ですら息苦しい。「そう」と言われてやっと息が吐けた。
沈黙が続く。
音のない風が髪の隙間を通って、遠く彼方へ消えていく。
髪が揺れて、肩を撫でる感覚がやけに鮮明だった。
顎が不自然に斜め下を向く。視線がズレたことに、ルミナ自身も内心驚いた。滑るようだったのだから。首が、痛い。いや、そうでもないか。どっちつかずな、優柔不断な。今のルミナ自身のようだ。
「…その…すまない。寝てた、みたいだ。」
金属の扉に何かがあたり、カーンと耳に響く音がする。振り返ると、扉にもたれかかっているシオンがいた。カーンという音は、彼のヘッドホンのものらしい。目線が合わない。
「いえ、お疲れでしょう?お気になさらず。」
事務的な、温度のない声が左から右へと通り過ぎる。彼の視線の先には、栗色の髪の彼女がいた。すっと未練なくルミナから離れていく。扉の前まで歩いていくと、乱雑にシオンを降ろした。場違いなことに、力持ちだな、と思う。
「アザミさーん!俺にもそれやって下さい!」
弾んだ声が機内から聞こえた。案の定目を輝かせたユウキが扉の前で突っ立っている。それ、とは、シオンのように降ろしてもらいたいのだろうか。
「アンタは自分で降りれるでしょ」
腕を組んで呆れたように言う。降ろす気がさらさらないのが見て取れた。シオンがこちらに向かってくる。眠そうに、目をパチパチとさせていた。
「……酔ったりしてない…か?」
「え、あ、はい」
とてもよそよそしかった。他所と言ってしまえばそうなのだが。シオンの眠気とルミナの緊張が不思議な塩梅で混ざり合っている。今度はルミナが目線を離す番だった。
「先に行って、研究部隊への引き渡し済ませておきます。」
「アザミさーん!待ってくださーい!」
近場で声が聞こえる。捜索機からぐるっと回って、遠目に見える殺風景な箱に入っていった。一気に辺りが静まる。耳をすませば、箱の方から二人分の足音がかろうじて聞こえるくらいだ。
「女性のほうがアザミ。捜索部隊の副隊長。男性のほうがユウキだ。」
そう言われてやっとシオンと目を合わせる。彼の目が泳いで、戻ってくる。
「……名前、知っていたほうが便利かと思って。」
シオンなりの優しさなのだろうか。確かに、女性のほうはアザミであるのか確信が無かったから、正直ありがたかった。でも、
「……教えて、良かったんですか…?」
こちらは一介の異邦人だ。そこまで気にかけてもらう筋合いは無い気がする。
「本当は機内で教えるつもりだった。気にしないでくれ。」
そう言ってすぐ、ジジ、とした機械音が聞こえてきた。シオンがヘッドホンのイヤーカップに手を添えている。前もやっていた、通信(?)のような動き。
「……準備できたみたいだ。」
少し待つとシオンがそう言った。電子音が途絶える。
「…着いてこい。」
そのまま、さっきアザミとユウキが消えていった箱の方へと歩き出す。何が「準備できた」のだろうか。ついて行かないことには、何も始まらないような気がした。
『ルミナ・ルーメリア:ヴァイリスとの一致率:九十八・二%』
あとがき✦✧✦✧✦
お久しぶりです。炊込
更新が遅れてしまって本当にごめんなさい(_ _;)今回は苦手分野を書かねば…となってしまって(言い訳ですね。どうにか苦手はかわしました)。
こんな
ヒカリノムコウ 炊込 御半 @shizuku_tomosaka
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