猫と鉄砲

猫と鉄砲

1.


嫌いじゃあないんだがな――



佐⼗郎さじゅうろうはそんな事を思いながら、ぼんやりと⼾⼝の⽅を⾒ていた。


ぱちり、と炭のぜる⾳がして、⼿元に視線を戻す。


持っていた鋳鍋いなべの中では、鉛がすっかり溶けて泡⽴つように煮え⽴っていた。

液状になっているそれを、慎重に鋳型いがたに移す。

後はこれが冷えれば――獣を撃ち殺す弾ができるはずだ。



佐⼗郎は猟師である。



二、三⽇に⼀度、⼭へ⼊り⿅や猪を仕留める。

鉄砲⽟を喰らい動かなくなった獲物を運び、さばき、解体ばらし、やがて⾻にして――


獲物の全てを使うことで、佐⼗郎は猟師を⽣業なりわいとして⽣きることができていた。


鉄砲を撃つことにも、そしてそれがもたらす結果にも、佐⼗郎はうの昔に慣れていた。


それでも――



佐⼗郎は引き⾦を引く瞬間、⼩声で念仏を唱える癖があった。



いつからそうしているのか、佐⼗郎は覚えていない。


ただ、命を奪うことへの躊躇ためらいとか、逡巡しゅんじゅんとか、後ろ暗さからしていることではないのは確かだった。


撃たなければ⾷えぬ。⾷えぬならば、死ぬだけだ。


普通のことだ。


その普通のことをすることと、念仏を唱えることとの⾷い合わせの悪さは、佐⼗郎の⼼中では奇妙ではあるが仲良く共存しているのだった。


嫌いじゃあないんだが、仕⽅ないでな――精々そんな思いをするのが常、ただそれ以上の考えを、佐⼗郎は持ち合わせていなかった。



念仏は、あれは――



唱えておるのだろうな――


ぼうとくだらないことを考えながら、また⼾⼝に⽬をやった。




まだ――いる。



2.


嫌いではないのだが――。


それは「そいつ」の⼿元をじっと見つめながら、そんなことを思っていた。


「それ」は、いつから「それ」であるかを、疾うの昔に忘れていた。


同じ姿の仲間が⼤勢いた――ような気もする。

それらはいつしかひとつ、またひとつと姿を消し、帰ってくることはなかった。


⾃分もいつか、帰ってこなくなる時が来るのであろう――そんな⾵に思っていたのだが、何度「明るい」と「暗い」を繰り返しても⼀向にその時が来ることはなく――


今⽇もそれは緑⾊をした起伏や「連中」の作り上げた妙な形をしたはこの間をだらだらと歩き続けていた。



そして――



それは「そいつ」のいる函に辿たどり着いたのだった。



この⾵景は――⾒たことがある。


いつだったか、こいつではない連中が似たようなことをしていたのを、おぼろげに覚えていた。


そうだ、たしかあれは、何かよくわからない⼤きな⾳のするモノに使われていたものだ――


それはやがて、明瞭はっきりと思い出す。

あの⼤きな⾳がしたとき――すぐ隣に居た⾃分によく似た姿をしたモノが急に倒れ、そして――




連中には――もちろんこいつも――⽖も⽛もないようだった。


随分⻑い時間⾒てきていたから、それは判る。


おまけにひどくのろい。


あの⼤きな⾳のするモノがなければ、⾃分を傷つけることはおろか追いつくことすらできまい。




だから。


あんまり鈍く弱そうなものだから。




何度か事があった。



とにかく腹が減っていたのだ。

そこにちょうど――居た。


連中の中でも、特に⼩さくて格別に動きの鈍いものだった。


美味かったのか不味かったのか、よく覚えてはいない。



それでも。



機会があれば、それは「帰ってこなくすること」を繰り返していた。


連中のことが嫌いではないのだが。

優しく撫でてくれることもあるのだが。

⾷い物をくれたりすることもあるのだが。



それでも。



⽌めることはできそうになかった。

喰わなければ、死ぬだけだ。



こいつも鈍そうである。



⼩さいのよりは幾分か速いのだろうが、⾃分とは⽐べものにならぬほど鈍い。


だが――


あの「⼤きな⾳のするモノ」は厄介そうだった。


だからそれは。


そいつが「何か」を作る回数を数えることにしたのだった。



3.


嫌いなわけではない。


佐⼗郎は、どちらかというと猫よりも⽝のほうが好きだ。

だからといって、猫が嫌いなわけではない。

じゃれつかれれば撫でもするし、持ち合わせがあれば餌をやることもある。


要はどっちでもいいのである。


どうせ気ままに⽣きて、⼈知れず死んでいくのだろう。

そういえば、猫の死骸を⾒たことがない。

猫は死期を悟ると、死に場所を⾃分で⾒つけに⾏くのだという⼈もいるが、猫に死期など判るはずもなかろう、と思う。


おおかた体の具合が悪くなって、ほかの獣に襲われにくい場所に隠れているうちに死んでいるのだろう。


だから⼭の中でも、猫の死骸だけは⾒ることがないのだ。


佐⼗郎の猫に対する気持ちは、その程度のものだ。


獲物ではないし、家畜でもない――


如何どうでもいい⽣き物くらいの認識である。


だが――


先ほどから⼾⼝にいる⽩い猫は、どうにも好きになれなかった。


ただの⽩猫である。


⽯でも炭でも投げつければ、⼀⽬散に逃げ出すだろう。


どうでもいい。

どうでもいいのだが。

そこで佐⼗郎は気づく。


――⽬だ。


夜の猫の⽬は、蝋燭ろうそくや⽉の明かりを反射して輝く。

光って⾒えるが、何かしらの光源からの光をはね返しているだけだ。

だから、蛍や夜光茸やこうだけのように⾃ら発光しているわけではない。


しかし――


光っておるのう、と佐⼗郎は思わず⼝にした。

⾃分で⾃分に確認したかったのかもしれない。


その⽩猫の⽬が、やけに光って⾒えることに、佐⼗郎はようやく気づいたのだった。




鉄砲⽟は全部で 五発できた。

それを革袋に⼊れて顔を上げると――




⽩猫の姿はもうどこにもなかった。



4.


嫌いではなかったんじゃがなあ――


降りしきる⾬の中に⽴ち尽くしたまま、佐⼗郎は独りちた。


⾜元には、五発の鉄砲⽟の痕が残る鍋蓋なべぶたと――




額を撃ち抜かれた⽩猫の死骸があった。




ゆっくりとしゃがみ込み、鍋蓋を⼿にする。

これで弾を防いでおったのか。

しかもよく⾒れば、佐⼗郎の家にあった鍋の蓋である。


えらく⼿近なもので済ませたものよと、佐⼗郎は少しだけ苦笑わらった。


横着おうちゃくするから、撃たれてしまうのだ。

もう少し⼾⼝におれば、⾃分が神棚からお守りの鉄砲⽟を懐に⼊れるところも⾒られただろうに――


鉄砲が怖いなら、そおっと近づけばよかったではないか。

爛爛らんらんと⽬を光らせて、弾の数まで数えながら近づいてくるものだから――


念仏を唱えるどころではなかったわい、と呟いて、佐⼗郎は銃を置いた。



そうまでして、喰らいにきたのか。


そうまでして、⽣きたかったのか。


儂と同じように――






佐⼗郎は、そっと猫の亡骸を抱きかかえた。


⽌み始めた⾬の光に包まれて、






猫は、少しだけ微笑んでいるように⾒えた。






(了)

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猫と鉄砲 @gajagaja

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