今日の彼は機嫌が良い

うしき

週末

 古臭いカーラジオから、懐かしいメロディーが流れる。晩夏の昼下がり、男はそのメロディーに合わせて鼻歌を奏でる。


 かなりの距離を走ったこのBMWが段差を越えるたびに、おかしな合いの手をいれる。それも愛嬌だ。


 それでも男は鼻歌を続ける。リズムに合わせて、ハンドルに添えられた指が動く。


 曲がサビへと入り、男は歌詞を口ずさむ。歌詞はよくわからなかったが、雰囲気だけで口ずさむ。


 エンジンは好調。この車の最後の砦、シルキーシックスとうたわれたエンジンが滑らかにふけあがり、唸りを上げる。


 曲も男も最高潮に盛り上がった時、目の前の信号が赤に変わる。水を差された男が口元を歪めた。


 押しボタン式の信号を赤へと変えた犯人たちは、黄色い帽子も高らかに、数人の徒党を組んで横断歩道を渡る。その姿を見て、男の口角は上がる。それを見送った後に、男の魂のシャウトが再び始まる。


 次の曲はロックだ。今日のDJは良いセンスしてるぜ、と男は外に聞こえるほどの声で歌い出す。


 あと二つ、コーナーを抜ければ愛しの我が家だ。男はシルキーシックスの鼓動を感じながら、ワインディングを抜ける。


 最終コーナー、男の顔に西日が強く指す。普段なら疎ましいこの光も、今日の彼には何かの吉兆に見えた。


 男は緩やかにスピードを落とす。そして自宅の前に見慣れない車を見つけ、さらに顔をほころばせた。


 だが、男の笑顔もここで止まった。


 運転席のドアが、息苦しい程の重さを感じる音を立てた時、男の顔には笑顔は無かった。一度、頬をつるりと撫でて表情を確認する。そして眉間にしわを寄せてみた。


 そしてゆっくりと、だがしっかりとした足取りで玄関に近づく。扉の前に立ち、深呼吸。背筋をしっかりと伸ばしてドアノブへと手をやる。鍵はかかっていない。


 ラッチがカチャっと軽く音をたてる。扉をゆっくりと開けると、夕闇をまとい始めた足元に、柔らかな光が漏れた。


 そこでもう一度、男は呼吸を整えた。そして、唾を飲み込む。もう一度、眉間にしわを寄せ、それから落ち着いた様子で声を出した。


「ただいま」


 その声を聞いて、一気に家の中が慌ただしくなる。そして、何者かが玄関に飛び出すと、男に向かって吠えた。


「じっじー!」


 今日の彼は機嫌が良いのだ。 

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