捕捉:魔法使いの願いごと

ぜろ

捕捉:魔法使いの願いごと

「やあお嬢さん、ビックリ人間博物館に行くのと警察に行くのと僕と一緒に来るの、どれを選ぶ?」


 捨てられたコートを羽織って懐にルワンを隠し、見るからに『浮浪者してます』って感じのあたしに、ドングリみたいな眼をした小さな少女はそう声を掛けて来た。


 銀髪は幸い冬の空気でべたついていなかったけれど、リボンが汚れるのが嫌でポケットの中に隠してた。そうして自動販売機の裏とか暖かいところをふらふら放浪していたあたしに、声を掛けて来たのは『社長』――イルだった。呆気にとられるあたしに彼女が携帯端末に画面に示したのは、ルワンがコンビニから菓子パンをかっぱらっていく様子のビデオ撮影動画。ひゅっと息を呑んだあたしを妙に長い車に乗せて、着いたのは教会だった。そして勧められたのはまずお風呂。女性と男性と子供用の用具があちこちに置いてあるそこで、溜められていたお湯の中に入ると気持ち良かったけれど、同時に不安もあった。どうして。どうしてあんな動画を、あんな女の子が。そしてなぜ教会。むしろ教会。最近縁のある建物ではあるけれど。主に炊き出しとかしてくれるから。


 長い髪を洗って汚れていた身体も綺麗にして、そうするとあったのはバスローブと下着だった。ありがたく使わせてもらって、一歩脱衣所を出ると、スコーンの匂いがどこからかふんわり漂ってくる。おいしそうだな、ときゅぅっとお腹が鳴ったのに赤面していると、脱衣所で番をしていたルワンがリィ、と声を掛けてくる。


「一通り透視してみたけど、今のところ建物の中にいるのは三人だ。さっきのガキと、男と女が一人ずつ。外に人を配置させてる気配もない」

「なら、あんただけならすぐ逃げられるわね」

「んなことしねーよこの馬鹿リィ! 俺はお前を選んでここに来たんだ、お前がどうなっても助けるぜ!? 取り敢えず玄関とあちこちの窓の鍵は開けといたから、いざとなったらそっから逃げるぞ」

「手癖の良い相方で助かるわ、ほんと」

「おや出たのかい?」


 びくっと肩を震わせてきょろきょろすると、階段の陰からさっきの女の子がくすくす笑っているのが見えた。気配を感じないのは何か魔法でも掛けてるみたいだ。勿論そんなこと有り得ないけれど――現在この世界で魔女だった人間なんてあたしぐらいだろう――何か違う術でも、使われてるみたいで気味悪かった。

 女の子は寒いだろうからこっちにおいで、と真っ黒づくめの服を翻して、とてとて歩いていく。仕方なくついていくと、暖炉のある書斎めいた場所に通された。そこには先客というかおそらく持ち主が一人、椅子に腰かけている。ルワンの言ってた男の人の方、だった。


「さて遥かなる客人。あなたは何をしにここに来たのかな」


 低いけれど聞き取りやすい活舌の声。外国人と思しき彼の言葉にまごつきながら、あたしはルワンをぎゅっと抱きしめる。


「……何も」

「確かに今のあなたは人間に見える。気配もそうだ。だが『創めた世界の人』は、俺たちにとって脅威なんだよ。……あなたは『神』の消失を受けて来たのかな」

「へ?」


 神。それは長老が作ったこの世界を監視するシステムの通称だ。生体端末として地上に残した、形だけの監督者。


「あの……神は、いないんですか? 今、この世界に」


 ふむ? と首を傾げて見せたのは男の人だ。金髪に銀色の眼をしている。


「そちらももう完全に、こちらを見放している。観察もしていない。そう取って良いのかな。今の言葉は」

「えっと……はい」

「神は人間の行動の結果を演算するのに倦んで狂ったよ。だから箱舟をもう一度作ろうと、自分の周りのごく一部の人間だけを、自分を信仰する人間だけを乗せようとした。その寸前で俺がルイーサ……マリアをさらって行ったから、計画は頓挫になり、最後はそのマリアに殺された」

「え、え?」

「本当に何も知らないんだな」


 頷いて見せた彼に、あたしの方は混乱する。人間の行動の演算結果。きっと悪い事しか出なかったんだろうことはなんとなく解る。億を超える年単位で地球を見つめ続けて来た神がそれに絶望するのも、解らないではない。だけど殺した? 人間が、神を殺した? でも世界は何も変わってない。天変地異なんて伝説単位だ。この人は何を、言っているんだろう。


「おっまたせー!」

「うっひゃあ!?」


 空気をがしゃがゃと壊す勢いでドアを蹴り開けたのは。銀髪のシスターだった。両手には盆を持って、紅茶とスコーンとジャム、クロテッドクリームが乗せられている。でもあたしが驚いたのはそんな事じゃなくて――その顔は――


「隆介のいた孤児院の……あなたっ」

「あら、リューにいつか会いに来てた子ね?」


 顔を見合わせてあたし達は向かい合う。背丈はあたしよりちょっと高いみたいだった。


「「何で年取ってないの?」」


 同時に放った言葉で、女の子はぷっと笑い出す。男の人、良く見れば司祭服を着て居る彼も呆れたようだった。


「ルイーサ! 話の腰を折るんじゃない」

「あらやだだって声なんか聞こえないんだもん。暖炉の熱が逃げるでしょーが、ドア開けてたら。ただでさえこの子浮浪者してたんだし、ちゃんとあっためてあげなきゃダメよう? はい紅茶、ちょっと渋かったらごめんね」

「え? あ、はい」

「ほらフロウもイルも」

「わーい、シスターの紅茶だっ。コーヒーも好きだけど紅茶も好きーっ」


 のほほんと団欒を始めてしまった三人に、あたしとルワンは顔を見合わせる。ルワンは初対面だろうけれど、ルイーサと呼ばれたシスターはあたしがユグドラシルで小さな隆介に会いに行った時に出会った人だ。それから軽く十年。三十路前になっているはずだろう彼女は十代のままに見えるし、それを言ったら神父さんの方だって二十歳そこそこって所だろう。一体何がどうなって。とりあえずルワンと紅茶を半分こに飲んでから恐る恐るスコーンに手を出すと、食べ方はこうね、と割って見せてくれた。良い人なんだろう。だろうけれど、解らないのは怖い。

 ルワンと半分こにしてスコーンに噛み付くと、バターをたっふり含んで出来立てのそれはお腹に優しかった。


「うーんあたしに関しちゃねー、そーだな、六百年ぐらい前からこのまんまかな」

「ろっぴゃ……」

「あたしってばマリア様の生まれ変わりらしくってさ。次代のメシアを産むためにこのまんまのカッコにさせられてるの。神の権限はヨシュアが今のところ代行してくれてるから、地上にそう目立った災害は起きていないでしょ? それで一応六百年、過ごせてる。あと千年ぐらいは大丈夫じゃないかしらね」

「い……ってることがむちゃくちゃで、よく解りたくないんですけど、大体解りました……。じゃあ神父さんの方がお父さんになるんですか?」

「否」


 目を伏せると長いまつげがその顔に影を落とす。


「俺はこいつの異父兄だ」

「え、」

「しかも兄と妹の間のな。俺はマグダラのマリアの生まれ変わり。呪われた産まれ方してんのもその所為だ」


 あっさりと言われたことに、スコーンを落としそうになる。慌てて持ち直して。はぐっと一口噛み付いて時間を作った。待って。マリアと『マリア』が兄妹で、神は死んでて、殺したのは二人で。待って。まだちょっと良く解らない。


「でももしあたし達の間にメシアが産まれるとしたら」


 ルイーサさんはくすくすとおかしげに笑う。


「皮肉なぐらい、面白いでしょうね。世の中って」

「もしかしてシスター達が孤児院作って世界中旅してるのってその予行演習のためですか?」

「そうと言えなくもないわね!」

「まあ、子供には慣れておいた方が良いしな」


 再びの団欒に、あたしはスコーンを食べ終えた手をまだ濡れた髪の中に突っ込む。

 すっごい重大事項をあっさり言われたような気がする。でもそれを外部に齎す術は今の人間になったあたしにはない。否、告げ口しても長老はもう無関心だろうけどさ。でも一応自分の作ったシステムに不備があったことぐらいは……いやでもそこから下手にあたしの居場所知れても困るし……そもそも千年ぐらいって、人間になったあたしは生きてらんないだろうから良い……のかなあ!? どうなんだろう、訳解んないよ、もう。


「さてと、そこであなたの身の振り方なわけだけど、えーと名前は何て呼べばいいのかな? お嬢さん」

「へ!? あ、あたし? えっと、メイリカル・レイルド――リィで良いです、はい」

「君にはちょっとした勉強をしてもらいたい」

「はい?」

「そんでもって大学はいったらうちの会社に入ってもらって、僕の代わりをして欲しいんだ」

「代わり、って」

「何、何のことはない。君は『水原倭柳』としてとある会社の社員に登録される、ただそれだけだ。勿論違う分野の勉強もしてもらって、給料は固定給でそっちから出すよ。最近眠気が止まらなくてね、二週間に一度しか起きていられないんだ。このままだとどんどんそれが伸びていきそうだから、あなたにそれをアリバイ工作として頼みたい。頼めるかな?」

「選択肢、他にないですよね」

「まあね」

「じゃあ……はい。えっと、あなたの名前は?」

「僕かい? うーん」


 少女は困ったように笑う。


「水原倭柳、物部衣琉、神無倭柳――色々あるけどとりあえずはイルで良いよ。魔法使いのお姫様」

「あたしもう魔女でも姫でもないから、リィで良いよ。イル」

「そう? じゃあ取り敢えず大学に入る勉強からはじめよっか!」


 にっこり笑った彼女の教え方は。

 ……割とスパルタだった。

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