第6話
「ひおもそうなんだろうか?」
さっき触れたひおの肌を思い出す。滑らかで吸い付くような白い肌。いつまでもあの状態で生きているのだろうか。
「人魚の肉を食べたら不老不死という話はよく聞くけど、人魚自体って不老不死なのか……?だからその能力を取り込むことができる……?」
どんな味がするんだろう、と恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
ひおのあの冷たい肌に歯を立てたらさぞかし美味なことだろう。骨の一本も残さず三井の体の中に取り込み一つになれたら。
ふと襲い掛かる背徳感に三井は背筋を震わせた。もしひおが不死だとしたら、ほんの少しくらい三井が食いついたところで何ともないのではないか。せめて一口だけでも、もし、口にすることができたら……。ぞくりと背筋を震わせるものがあった。思わず口元がほころぶ。
「ひおに会いたい」
幸い、紀は食事を作ると言って姿を消したままだ。黙ってひおに会いに行き、ほんの一口だけでいい。ひおを口にしてみたい。
「いやいやいやっ」
頭の中を占め始める薄暗い欲望に三井は首を振った。
それはダメだ。あんなに美しいひおを傷つけたくない。親切心で人魚について教えてくれる紀を裏切ることはできない。
だけど。
水に潜り込む瞬間の、ひおのなまめかしい体の動きを思い出す。あの体を思うようにしてみたい。ひおを自分のものにしてみたい。
「……いや、いやいや」
パタンと本を閉じ、部屋の中をグルグルと回った。実行するなら今が最大のチャンスだ。いつ紀が戻ってくるかわからない。やるなら早いほうがいい。
「……」
祈るように天を仰ぎ見る。
覚悟を決め一歩を踏みだそうとしたのと、ドアがノックされ紀が顔を出したのは同時だった。
「わっ」
「失礼、驚かせてしまいましたか? 食事の用意ができたので呼びに来たのですが……なにか面白い本でもありましたか?」
「い、いえ、すみません。少し考え事をしていて……」
危なかった。もう少しで薄暗い欲望に負けてしまうところだった。
三井は軽く首を振ると、今まで頭を占めていた恐ろしい考えを頭の隅に押しやった。やはり自分にはそんなことをする勇気はない。あとでもう一度ひおに会わせてもらい、そして小説のイメージを沸かせよう。
そのために三井はここに来たのだから。
「ではこちらへどうぞ。といっても、ぼくが作ったものなのでたいしたものではないのですが」
「ありがとうございます。遠慮なく、いただきます」
紀のあとについて部屋を出た。外から見たよりもかなり広いお屋敷らしい。一体いくつ部屋があるのだろう。案内された和室にはこれもまた重厚なテーブルが置かれ、座椅子にはふかふかの座布団が敷かれていた。
「どうぞ、ごゆっくり……お酒は飲めますか?」
「いえ、あの」
「この辺はあまり交通の便もよくありませんので、よければこのままお泊りになってください」
「……ありがとうございます。では少しだけ」
厚かましいと思いつつも厚意に甘えることにした。
グラスを受け取ると紀は嬉しそうに微笑み「わたしもご一緒しても?」と訊く。
「もちろんです」
「いつも一人で食事をしているので、こうやって話し相手ができて嬉しいです。ひおは陸に上がっても来ないし人間と同じ食事をしないものですから」
さみし気な表情に三井は頷いた。
「そうですよね……では甘えることにしていただきます」
向かい合ってかかげたグラスに口をつける。よく冷やされスッキリとした口当たりのお酒が喉を滑り落ちていった。
「おいしい」
「それはよかった。食事もどうぞ遠慮なく」
促され箸をつけた食事はどれも滋味深くおいしかった。
「これは全部紀さんが?」
「そうです。一人で暮らしている時間が長いもので、なんでもできるようになってしまいました」
「本当においしいです」
「それはよかった、どうぞ遠慮なくたくさん食べてくださいね」
そう言いながらも紀自身は舐めるように酒に口をつけるだけで、食事にはほとんど手をつけることはなかった。三井だけがせわしなく箸を動かしそれを腹の中に収めている。
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