4 満月の夜に

 次の日の夕方。まだ夜になる準備に入ったばかりの青と赤の入り混じった空に、ひときわ大きな丸い月が白く輝いていた。


――今日は満月か。


 カイとアキは、会話という会話をせずに、家から10分ほど歩き、ご神木まで通じる山道を登っていた。


「おーい」


 カイとアキの向かう先から大きな声がした。声がする方を見ると、シホが木でできたベンチから立ち上がり、こちらに大きく手を振っていた。


「アキちゃん、こんばんは」

 シホは少し前かがみになりながら、アキと目線を合わせて優しく話しかけた。


「こんばんは」

 アキは、しばらく間が空いてから、夜の闇に消え入りそうな声で答えた。


「アキちゃん元気にしてた? 学校があるとなかなか会えないから、今日は会えてうれしいよ」

 シホが身振りを大きく話かけて、アキが小さく返事をする形で会話をしていた。


 そんな二人の会話をよそにカイはあたりを見渡していた。


 カイの右斜め前にご神木が鎮座し、その後ろには、市内の街並みが広がっていた。高校の窓から見える方向が東向きで、この山から見える景色は北向きの方向にあたる。北向きには駅や商店街、大きなショッピングモールが見えていた。

 ご神木の左横には、先ほどまでシホが座っていたベンチがポツンと1つだけ置かれていた。

 カイたちは、この場所に、ここ最近は毎年来ているが、ご神木があるからか、なぜか少し緊張した雰囲気が漂う場所であった。


――そういえば、学校から見えた女性がいたのは、ちょうどあのあたりか。


 カイは教室から見えた女性のことをふと考えていた。あの女性は誰だったのだろうか。なぜこんなにも気になるのか、カイにもよくわからなかった。


「カイ、そろそろ始めよう!」シホがカイの肩をポンっと叩いた。


「始めるっていっても、いつもどおり話をするだけだろ?」 


 カイはそう言うと、先ほどまでシホが座っていたベンチに腰かけた。シホとアキも、ベンチの周りにあった切り株や石の上に座り、3人でちょうど三角形の形になった。


「まあ、いいじゃない。数時間こうやってみんなでしゃべるだけで、私は楽しいよ。今回で、3回目かな?」シホが石を触りながら聞いてきた。


「親父がいなくなってから始まったから、あっているよ」


「時間が過ぎるのは早いね。私は、いなくなった日と同じ日にここに来れば、何か手掛かりが見つかると思ったんだけどな」シホは足をぶらぶらさせていた。


「まあ、一応そうゆうことになっているけど、もうわかっているよ。親父がいなくなった日は、2人でいると暗くなるから、毎年こうやって口実つけて、外に引っ張りだしてくれてたんだろ? シホには、感謝しているよ。ただ、俺たちはもう大丈夫だから、今回で最後にしよう」


 シホは照れ臭そうな顔をしていた。「違うよ。私は私で、家にいるのが嫌なのよ。それに、アキちゃんとゆっくりお話する口実が欲しかったの」


「それならそうゆうことにしておくよ」とカイは少し笑みを浮かべながら答えた。

 

 一時の間が空き、風が流れる。


「少しだけ、いいかな?」


 アキが突然声を出した。


 カイもシホも、アキが突然話をして驚いていた。というのも、これまでこの集まりは、ただ喋るだけの時間なのだが、2回とも、アキは、首を縦や横に降ることはあっても、言葉を発することはなく、終わっていたからだ。カイとしても、こうやってアキから話しかけられるのはいつぶりなのか、わからなかった。


「もちろん。どうしたの?」とシホは子どもに話かけるようにゆっくりと尋ねた。

 

「これ」


 アキは、リュックサックから、一冊の本を取り出した。


「これは何?」とシホが言ったが、アキはただ下を向くだけで、何も答えなかった。


 カイは、この時、昨日、リビングの机に本が置いてあった理由がわかった。アキは今日持って来ようと準備をしていたのだろう。


「アキちゃん、この絵本は何の絵本なの? タイトルは『サカサマの世界』か。初めて見るな」


 アキは、シホの問いかけを受けて、カイの方をじっと見てきた。カイに説明をしてほしいのだろう。カイはため息を小さくついて、話し出した。


「これは、親父の部屋にあった本だ。親父がいなくなってから、親父の部屋で見つけたんだ」


「どんな話なの?」とシホはカイに尋ねた。


 カイは、アキから絵本を受け取り、「少し長くなるけど、いいか」と前置きをした後、カイは、時より絵本の絵を示しながら、絵本の物語を話し出した。


――

 あるところに、なんでも逆さに映る国がありました。

 空には海が広がり、海には空が広がる、そんな世界。朝に泣けば夜に笑い、暑ければ寒く、寒ければ熱い国。


 そこの国の王様は鏡を覗くたび、自分の中のもう一人の自分を見ていました。毎日、毎日。


 けれどその姿は、不思議なことに日に日に若くなっていきました。王の見た目が年老いれば年老いるほど、鏡の中の自分はどんどん若くなっていきました。

 王はそんな自分の様子が怖くなり、兵士に城中の鏡をすべて撤去させました。

 そこから数年経ったある日、王は湖の水面にうつる自分を見てしまう。

 そこにうつる自分は赤ん坊の姿だった。

 それを見た王は最後にこう言い残して、姿を消した。

「人は、自分の影を見失ったとき、時間を見失うのだ」と。

――


 カイは、話し終えると、絵本を閉じて、アキに返した。


「うーん。怖い話? なんか私にはよくわからなかったな」とシホが空を仰いでいた。


「大丈夫。俺も意味はわかっていない」


カイはそう言って肩をすぼめたあと、黙った。


――アキも、アキなりに親父を探そうとしているのかもしれない。ただ、それに応えられるほど、俺にはまだ心の余裕がないんだ。


「やっと見つけた」


 その時、カイの後ろから突然女性の声がした。


「えっ?」


 驚いたカイが後ろを振り返ると、そこには、女性が立っていた。

 昨日教室から見えた白いワンピースを着た女性。


 その女性は、細身の体に、腰まで伸びた髪が時より吹く風になびき、またすぐにでも倒れてしまいそうな体つきであった。


「君はたしか……」


「やっと見つけたよ、カイ」その女性は、しっかりとした口調だったが、どこか優しさも入り混じっていた。


「なんで名前を?」とカイは言った。


「君のお父さん、きっと生きてるよ」


 カイは、「今なんて?」と聞き返すと、女性は突然カイの方に左手を差し出した。


「私と一緒に来て、助けてくれる?」


 いつの間にか、夕日は沈み、辺りは満月の光に照らされ、心地よく吹く風に、ご神木に残された数少ない葉が揺れていた。


 カイは、女性の方に歩み寄り、衝動的に、女性のか細い肩を両手で掴んでいた。


「父親が生きてるって、どういう意味だ?  てか、なんで僕の親父を知っている? そもそも、君は誰だ?」カイは、矢継ぎ早に質問を投げつけた。


「ごめんなさい。あなたの疑問もよくわかるわ。ただ、今は説明している時間はないの」女性は肩をすくめていた。


「言っている意味が分からない。いますぐ説明をしてほしい」


 女性はカイの勢いに少し困惑しているようだったが、カイの質問を断ち切るように、カイの両手を振り払い、足早にご神木の前に立ち、振り返った。


「いい? 物とは違って、人の場合には、この瞬間を逃すと3年待たないといけなくなるの」


 カイはその女性が何を言っているのか全く理解できなかったが、その女性の真剣な眼差しに、何も言えなくなった。シホもアキも、カイの勢いに圧倒されているのか、それとも、女性の言っている意味が理解できないのか、ただ立ち尽くしていた。


「今は私を信じてほしい。それが簡単ではないことはよくわかっている。これから、あなたには、裏の世界に私と一緒に来てほしい」


「裏の世界?」


「ええ。裏の世界は、争いがあり、血生臭く、醜い世界よ。命の保証もできないわ」


 女性の目はカイの目を真っ直ぐ見据えていた。嘘を言っているようには見えなかったが、そのことが、逆にカイを混乱させていた。


――裏の世界。時間がない。命の保証はない。


 カイの頭には理解不明なことが頭をぐるぐると駆け巡る。ただ、カイには、そんなことより、一番確認しなければならないことがある。


「親父がそっちにいるかもしれないんだな?」とカイが言った。

「ええ。ただ、可能性の話よ」と女性は答えた。


 カイにとっては、その答えだけで、十分過ぎる理由だった。


「アキ、シホ、ごめん。よくわからないけど、俺は行くよ」カイは覚悟を決めて、2人に言った。


「何勝手に一人で行こうとしているのよ? 私達も、もちろん行くわよ」とシホはそう言いながら、いつの間にか、アキと手を繋いでいた。


「ちょっと待ってくれ。何も説明を受けてないし、もしかしたら、騙されているかもしれない。そんなところに二人を連れていけない」


「逆よ。何もわからないから、カイ一人で行かせられないんじゃない。カイ一人で何ができるの? カイは、クラスに友達一人もいなかったでしょ? 困った時に最後に助けてくれるのは仲間よ。それなら、私達がいないと、どうにもならないでしょ」


「それは」カイは少し困った表情をした。


「それに、私達は約束したはずよ。三人で、カイたちのお父さんを見つけるって。これは絶好のチャンスだわ。奇跡といってもいいぐらい。それに、私は今ワクワクしてるの。私も、この世界に未練なんかないわ」シホは笑って言った。


 カイはシホの言葉の意味を理解している。


「それは、そうかもしれないけど」とカイは困っていた。


「もういいわ。アキちゃんに決めてもらいましょう。カイ一人で行くか、全員で行くか」


 シホはアキの方を見つめた。


 カイが「ちょっと」と止めようとしたが、その前に、アキは言った。一時の間もなく。


「……わたしも行く」


 カイは、アキがこうなると頑固なのは知っていたし、アキがこう言うと、カイは何も抵抗ができない。シホもそれをわかっていてわざとアキに決めさせたのだ。


――もうカイが退くしか道がない。


「わかった」


 カイは女性の方を見ると、女性は、空をチラチラ見ながら落ち着かない様子だった。


「もう覚悟は決まったかしら。何度も言うけど、もう時間がないから、早速始めるわよ」


 女性は、ご神木の前に跪き、両手を顔の前で組み、祈るような姿勢になった。すると、モヤモヤとした薄い霧のようなものが女性を包みだした。

 女性が何かをブツブツと言ったかと思うと、突然、ご神木に光の柱が天から降り注いだ。 

「うまくいった」と女性が言い、小さくガッツポーズをしているのが見えたが、カイたちは突然の光の柱に目を奪われ、それどころではなかった。


――この光。


 光の柱が少しして消えると、ご神木が白く光り、光の結晶のようなものが、枝からキラキラとさせながら、葉っぱのように落ちていた。

 そして、その光が、ちょうど幹辺りに集まり、縦長の楕円のような形になり、光の輪を作り出した。光の輪の真ん中は真っ暗で何も見えなかった。


――もしかして、あそこを通っていくのか?


 ふとご神木の裏に何かの影が見えたような気がした。刹那的に。


――何だ、今のは?


 女性は立ち上がり、カイたちの方を振り向き、右手を差し出しながら言った。


「さぁ、行きましょう。サカサマの世界、タカマノハラへ」


 そして、その女性は背中に手を回すと何かを取り出した。


「これからすることの意味はまだわからないと思う。だけど、信じてね」


 カイは最初は何を持っているのかよく理解できかなったが、よく見ると、女性の左手には拳銃が握られていた。


――拳銃?


「ちょっと待ってくれ。さすがに本物ではないよな?」


 カイが言い切り終わる前に、女性は右手に拳銃を持ち替えて、アキに銃口を向け、何の躊躇もなく引き金を引いた。パンと乾いた音がやまびこになって響く。

 アキが仰向けになって倒れる。


「アキ!」


 カイが叫ぶと同時に、音が再度鳴り、次にシホが倒れた。ちょうど心臓あたりから赤い血が染み出ていた。


「なんてことを」


 カイが睨みながら女性を見ると、その女性はカイをしっかり見つめていた。


「これがすべての始まりで、終わりなの。信じて」


 耳鳴りがするほどの音が駆け巡るのに一瞬遅れて、今まで感じたことがないような衝撃と痛みがカイの胸に走った。

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