女子高生、ドラゴンを飼う

のぐのぐち

第1章 少女は汚物の只中で 

一体エサには何を上げればいいのか。

少女は途方に暮れていた。


ドッグフードは食べるだろうか?

キャットフードの方がいいだろうか?

この得体の知れない生き物は一体何を食べるのだろうか?


全く検討がつかない。


(いっそのことペットショップにでも連れていこうかな)


少女は数年前、最後にペットショップに入った時の事を思い出した。ハリネズミやらフクロウやら、珍しいペット専用のエサが売っていたはずだ。この生きものに合う何か良いエサがあるかもしれない。


と、そこまで考えて、

(待て待て待て待て)

彼女はかぶりをふった。


この生きものをペットショップに連れて行く?


そんな馬鹿な。何を考えているんだろう。そんな事できるはずがない。


少女は自らの部屋に持ち込んだこの奇妙な生き物を見た。


爬虫類めいたうろこ

蛇のような長い首。

コウモリそっくりの膜が張った羽。

そしてその生き物は、犬のような四つ足歩行だ。


その姿はどう見たって・・・。


「ドラゴン、だよねぇ」


少女が拾ったのは、小鳥ぐらいの竜だった。






大伴おおともさぁん」


少女——大伴おおとも美由希みゆきは自分を呼び止める声を聞いて、死にたいような気分になった。ものすごく嫌な予感がするし、多分その予感は当たっている。ライオンに見つかった子鹿が自分の死を予期したような感覚。


まだ一限目が始まる前だと言うのに。早朝から勘弁してほしい。


「おはよう、大伴さん」


教室の自席で読書に勤しんでいた美由希みゆきを呼んだのは、クラスメイトの杉山愛夢らむだった。


「・・・・・・・」


美由希は恐る恐る彼女の顔を見た。


バトン部期待の1年生である愛夢らむは、今日もメイクがばっちりだ。有名な美容室でセットして貰ったと、いつも自慢している髪はつややかで美しい。化粧けしょうっけのない美由希とは全く別種の生きものに見える。それはまるで、血統書付きのヨークシャー・テリアと、雑種の野犬の違いだ。


「さっきから呼んでるのに、返事ぐらいしてよねぇ。もしかして私、無視されてる? ねぇ、無視してるの? 何か言ったら?」


しかもこのヨークシャー・テリアはひどく凶暴なのだ。


本来、美由希と愛夢らむは朝の挨拶を交わすような間柄ではない。


美由希はクラスメイトの真意を測りかねていた。


その間にも、愛夢らむとその取り巻きたちが、美由希の座る机を取り囲みつつあった。


スクールカーストの頂点に位置する愛夢らむには、いつも数人の召使いめいた取り巻きがいる。愛夢らむの仲間でいることで、自分のカースト内地位を担保している連中だ。クソくだらない取り巻きども。カースト頂点への憧れか、もしくは同一視されたいのか、連中は愛夢らむのファッションや髪型を積極的に真似していた。まるで同じ金型で作られたマネキンみたい。


似たような見た目の少女の群れ。美由希からするとそれは不気味な光景であった。


「ねぇ、無視しないでくれない?」


「いや、別に・・・無視してたわけじゃないよ。ちょっとボンヤリしてただけ」


「そうなの? ボンヤリしすぎなんじゃない?」


「ご、ごめんね・・・」


美由希は出来るだけ平静を装おうとしていた。ビビっていると相手に悟らせてはいけない。そうでないと相手を調子に乗らせてしまう。しかしどうしてもビクついてしまう。変な汗が溢れた。愛夢らむを前にするのはいつまで経っても慣れない。慣れるものではない。


何かが起きようとしていることに、他のクラスメイトも気付き始めたようだった。クラスメイトたちは美由希と愛夢らむから一定の距離を保っている。


ちらちら彼女たちを見る者。


完全に無視を決め込む者。


不安そうに眺める者。


薄ら笑いを浮かべながら見物を決め込む者。 


様々な反応があるが、助けてくれない時点で美由希にとってはどいつもこいつも似たようなものだ。


「朝食は食べた?」


愛夢らむがにこやかに言った。その声はあくまで親しげである。


「朝食を食べないと、頭がしっかり動かないんだって。脳みそに栄養が足りなくなるらしいよ。だからボンヤリしてたんじゃない?」


「・・・・・・?」


美由希は愛夢らむが何の話をしているのか分からない。しかしろくな事にはならないのは分かる。

彼女は素早く文庫本を机の中に片付けた。本を汚したくはない。


「大伴さんは朝食が足りてないと思うの。だから差し入れを持ってきたんだよね。もっとしっかり食べた方がいいと思って」


愛夢らむはスーパーの袋から、一本の薄汚れた瓶を取り出した。タンブラーほどの大きさの瓶の中に尿みたいな黄色の液体が詰まっている。そこに浮かぶのは、ぶよぶよした肉めいたもの。死体の肌みたいに白いそれは、腹を裂かれた大きなカエルだ。


愛夢らむが取り出したのは、ホルマリン漬けのカエルの瓶だった。薄汚れたその瓶に美由希は見覚えがあった。理科準備室の戸棚の中にあったやつ。茶色く変色したラベルには昭和四十五年という記述がかろうじて見て取れた。


「ほら、これ私からの差し入れ」


その瞬間、取り巻きどもが美由希を押さえつける。


少女は悲鳴を上げた。


愛夢らむのすぐ横にいた召使いの一人・・・丸井まるい夏美なつみが瓶の蓋に手をかけた。丸井まるいはご丁寧にゴム手袋までしている。


「硬い、これ硬いね!」


丸井は楽しそうに言った。


「この瓶の蓋、硬ぁい! 開けらんない!」


(開けないで!)


羽交はがめにされながら、美由希は願った。

彼女は自分が何をされるのか想像がついていた。


愛夢らむは「朝食を食べた方がいい」と言った。


朝食を——カエルのホルマリン漬けを無理やり食べさせるつもりなのだ。


(お願い・・・諦めて・・・)


美由希は目に涙を溜めながら懇願こんがんした。


「ちょっと貸して」


いい加減、じれったくなったようで、愛夢らむは夏美から瓶を取り上げる。


そして次の瞬間には、瓶を机に叩きつけていた。


ガラスの割れる音。そして中のホルマリン液が派手にぶち撒けられる。


「うわっ!」


「ちょ、ちょっと!」


周囲の取り巻きどもが一息に飛びのく。ホルマリンの飛沫しぶきをモロに浴びたのは、机に座っていた美由希のみだった。


教室の中をツンとした薬品の匂いが駆け抜け、一気に充満した。


「臭っ!」


「なんだこれ!」


「くせぇぇ〜!」


周囲のクラスメイトたちから次々に声が上がる。


昭和の時代から瓶の中に溜まっていたすえた臭気。そして目の前にあるヒキガエルの開き。

それらは、吐き気を及ぼさせるには充分だった。


美由希は胃の中の内容物が競り上がってくるのを感じた。今朝食べた菓子パンが喉の中を駆け上がる。溶岩のような煮え立つ胃液が食道をいた。トイレまで走ろうとしたが、間に合わない。


彼女は床にゲロをぶちまけた。


「うわっ!」


「吐いたぞ!」


「窓開けろ! 窓!」


ホルマリンと吐瀉物としゃぶつの臭いが混ざり、今や教室内は阿鼻叫喚あびきょうかんの有様だった。


教室から逃げ出す者や窓を開けに走る者など、部屋の中は蜂の巣をつついたようになった。


美由希は自分のしでかしたことが信じられなかった。しかし目の前に広がる吐瀉物としゃぶつの海を見る限り、どうやら現実らしい。ひどく喉が痛んだ。


愛夢らむは、床にへたり込む美由希を眺めていた。


「せっかく用意してあげたのに」


『せっかく親切にしたのに、なんでこんな事しちゃうの?』みたいな口調だ。


美由希の鞄の中を、愛夢らむが勝手に漁る。中からタオルを見つけ出すと、カーストの女王はそれを奴隷に向けて投げてよこした。


「自分のゲロぐらい、自分でなんとかしてね。学校の雑巾なんて使わないで。これ以上備品を汚しちゃ駄目だよ」


タオルは吐瀉物の上に落ち、じんわりとそれを染み込ませる。


その瞬間に、チャイムが鳴った。


8時半。朝のホームルームが始まる合図。


教室の外にいたクラスメイトたちが、ぶつくさ言いながらも帰ってくる。


「まだ臭ぇよぉ〜」


「こんなので授業を受けるの・・・?」


耳障りなチャイムとクラスメイトの声の中、美由希は愛夢らむを睨みつけた。


(死ねっ・・・死ね死ね死ね死ね死ね・・・!)


美由希はひたすら愛夢らむを呪った。目に涙を溜めながら、心の中でありったけの罵詈雑言ばりぞうごんを叩きつける。


しかし女王はにべもない。無表情に美由希を見やった後、自席へと颯爽さっそうと帰っていく。まるで何事もなかったように。


取り巻きにしても同じ事だ。彼女たちは蜘蛛の子でも散らすみたいに、自席や自分のクラスにさっさと帰って行った。


「おはよう、みんな~」


担任の吉川がクラスに入ってきた。

痩せた男性教師は、教室の中を見回す。


「早く席に着け~」


吉川は床に膝つく美由希を見た。明らかに視界に入っていた。しかし彼は美由希を一瞥いちべつしたのみで、まるで何事もなかったかのように教壇についた。彼の瞳には何の感慨も浮かんではいない。教室には未だ悪臭が充満している。それに対してもこの教師は何も言わなかった。


(クソ教師・・・)


この吉川という英語教師は、見て見ぬふりをするのが一番の処世術だと言うことを知っている。


美由希はタオルでそのまま床を拭き始めた。床に広がるのはホルマリン液と吐瀉物のミックスジュース。さっさと片付けてしまいたかった。地面に這いつくばるのはもう充分だ。


その時、彼女は頭上からの視線を感じた。


机に座る男子生徒が、上から美由希を見下ろしていた。彼は心底迷惑そうに少女を見ている。『なんで俺がこんな臭い思いしなくちゃならない? お前のせいだぞ』とでも言いたげな視線。


(なんで私がそんな顔を向けられなきゃいけないの・・・? 悪いのは愛夢らむじゃないの・・・?)


担任教師はもはや美由希を見もしない。見る者がいたと思えば、こんな見下す視線だ。


「出席を取るぞー」


能天気な担任の声が聞こえた。


大伴おおとも美由希みゆき


彼女の名前は出席簿でもかなり上の方だ。その名前はすぐに呼ばれることとなる。


「大伴〜」


吉川が美由希の名を呼んだ。彼は手元の出席簿から顔も上げない。


「・・・はい」


美由希は、自分の頬を涙がつたうのを感じた。


少女は汚物の只中にいた。

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