第11話 深夜タクシーの運転手
■取材記録:深夜タクシーの運転手
【取材日】令和五年十一月
【聞き取り対象】O氏(四十三歳・会社員)
O氏が体験した出来事は、平成も終わりを告げようとしていたある秋の夜のことだった。仕事で遅くなった帰り道、新宿駅西口のロータリーからタクシーに乗ったという。時刻は午前一時過ぎ。終電を逃したビジネスマンがまばらに立つ中で、一台の空車がすっと滑るように停まった。
「普通のクラウンでした。運転手も、いかにも個人タクシーという感じで、五十代くらいの痩せた男。愛想は特にないけど、無口すぎるわけでもなく、乗る時も普通に『どちらまで?』とだけ聞かれました」
O氏は自宅のある青梅方面を告げ、高速を使うよう頼んだ。都心の灯が後方に遠ざかり、車は淡々と環八から中央道へと向かう。運転は安定しており、車内には流れるようなジャズが小さくかかっていた。
「最初の十数分は、何も変わったことはなかったんです。ただ、高速に入ったあたりから、ふと気になり始めた。運転手が、やたらと“平成狸合戦ぽんぽこ”の話をするんです」
最初はラジオか何かで思い出したのかと思った。だが話は次第に熱を帯びていき、登場キャラの細かい設定や、誰がどの場面で化けそこねたか、果ては「やっぱり最期は人間に勝てなかったんですよ」と妙に感傷的な語り口になっていった。
「僕も観たことはあったけど、そんな熱心に語られてもって感じで。で、あまり興味がなさそうに返事をしてたら、ふと運転手が静かになったんです。黙り込んで、目だけがじっとフロントガラス越しに先を見てる。で、急に『このへん、昔は山の方まで狸が多かった』って」
その声が、今までと違っていたという。抑揚がなく、どこか“借りもの”のような調子。O氏は気味悪くなり、なんとなくスマホのマップを開いて位置を確認した。だが電波が異様に弱く、地図の更新が途中で止まっていた。
「気がついたら、高速を降りてるんです。青梅インターじゃなく、どこか山間部の方の出口で。こっちは寝ぼけてたわけじゃないんですけど、抗議しようっていう気が不思議と湧かなかった。走ってる道は、だんだん車幅が狭くなって、両側が鬱蒼とした木で囲まれていった」
やがて、舗装も心許ない細道に入り、前方に古びた集落のようなものが見えた。道沿いに電柱はあるが、灯はついていない。月明かりの下、半壊した家屋と苔むした石垣が静かに浮かび上がっていた。
「このあたりです」と運転手が言った。
O氏はそこで我に返ったという。
「いや、こんな場所じゃなくて、〇〇団地の方だって伝えましたよね」と慌てて言い返した。だが運転手はルームミラー越しに一瞥しただけで、「ええ、仰ってました」と曖昧に笑った。
「その時点で、もう口調も妙だったし、何か通じてない感じがして……怖くなって、ドアが開いたタイミングでとにかく外に出たんです」
慌てて支払いをしようと財布を開いたが、料金メーターは真っ暗なままだった。O氏が戸惑っていると、運転手が「○○円で大丈夫です」と静かに告げた。
もはや怖さが勝っていたO氏が言い値で現金を手渡すと、運転手は黙ってドアを閉めた。タクシーはゆっくりとバックし、来た道を戻っていった。ナンバープレートは、土埃と傷でほとんど判別できなかった。
しばらく立ち尽くしていたO氏が、我に返ってスマホを見ると、圏外表示のまま。家屋に近づくと、郵便受けには平成五年の日付のチラシが残っていた。
「本当に怖かったです。音もなくて、生き物の気配もなくて。」
O氏はその後、道なりに廃屋が点在する中をしばらく歩き、国道に出て、ようやく別のタクシーをつかまえたという。
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