うしろのしょうめん

葉山弘士

一.うしろの

 かごめかごめ

 かごのなかのとりは

 いついつでやる

 よあけのばんに

 つるとかめがすべった

 うしろのしょうめんだあれ?




 鬼の面を被った男女が私を取り囲んでいた。

 着物の裾をはだけ、獣が威嚇するように両手を挙げる。

 それぞれ片手には刃物が光る。

 今にも襲いかかろうかという気配に、私は息を呑む。


 うしろのしょうめんだあれ?


 背後で男の声がする。

 聞き覚えのある声だが、誰だかわからない。

「外れたら、罰ゲームだよ」

 正面にいる無角鬼の面を被った男が、私の顔を覗き込むようにして言う。

 状況が呑み込めず焦る私を見て、嘲っているようだ。

 私は益々焦る。目の前で刃物が揺れる。


 うしろのしょうめんだあれ?


 今度は全員が口を揃える。

 低い声、高い声、女の声も混ざる。面が音を吸うのだろう。声が屈もって聞こえにくい。

「だあれ、は三回までだよ」

 正面の男が面の下で笑う。


 音楽教師をしていることもあって、自分の耳には自信があった。職業柄人の顔と名前を覚えるのも得意な方だ。

 だが、不明瞭な声は私を混乱させる。いずれも聞き覚えはあるのだが、正面の男の声さえ誰のものかわからない。



「殺される」

 そう覚悟する。

 このまま答えられなければ、周囲を取り囲む六本の刃物でもってメッタ刺しにされる。

 そう思った。


 覚悟を決めたそのとき、


「よしき君だよ」


 武志の無邪気な声が頭の中で響く。

 何処から聞こえたのかはわからない。

 だが、小さな息子の声に救われた気持ちになる。



「よ、よしき君?」

 私は戸惑いながらもその名前を口にする。

 答えてから、それが、顔も知らない人物の名前であることに気付く。



 はい、ざーんねん。



 六本の刃物が次々に私の躯に突き刺さり、内臓を引き千切る。

 生温かい液体が溢れ出し、鉄の匂いが私を包み込む。

 声を出す間もないまま、私は倒れ込む――。



 鬼たちの声が遠くで聞こえる。


「仲間が増えたね」

「新しい仲間だね」



        ◇



 かーごめかーごめ

 かーごのなーかのとーりは……



 木漏れ日の射す公園のベンチで私は目を覚ました。

 子供達の間延びした歌声が聞こえてくる。

 嫌な夢だ。出掛けに妻の友香が莫迦莫迦しい話を聞かせたせいだろうか。


 子供達が遊んでいるのをベンチで眺めているうちに眠ってしまったらしい。じっとりと汗をかいているのが自分でもわかった。


 春の陽射しが眩しい。

 影になるものがないベンチで眠ってしまったせいだろう。頭がぼうっとしていた。


 虚ろな頭で子供達の様子を見る。

 小さな池の横にある広場で、子供達は円になってぐるぐると廻る。


「かごめか……。懐かしいな」


 学生時代には、専門の音楽以外に民俗学にも興味があり、童謡や遊び唄を採集し、論文を書いたこともある。

 が、しかし、「かごめ」の歌の意味はわからず終いだった。学説的にも解釈は様々で、方向性も一様ではない。

 死産の様を歌っているという民間伝承的解釈もあれば、本能寺の変を起こした明智光秀に纏わるという歴史ミステリーを仄めかす説もある。

 元はユダヤに繋がるという伝もあれば、女郎屋を舞台にしたものだとする節もある。


 自分なりの結論は、やはり単なる遊び唄で、語呂合わせのようなものだろうと思う。

 それでも、その歌から想像されるどこか陰鬱な雰囲気は、単なる語呂合わせで片付けられない匂いを持っていた。



「いい天気だな……」

 余計なことを考え込むまいと、私は子供達から目を離し、深い青い空を見上げた。



        ◇



「よしき君たちと遊んでくるね」


 武志が玄関で大きな声を出した。

「またいつもの公園? 池には絶対に近付かないでね。気を付けるのよ!」

 妻の友香が慌てて玄関へと走り、声を掛けた。

 その声は耳には届いているのだろうが、頭の中には残っていないのだろうな、と思う。


「はーい」

 曖昧な返事と、勢いよく扉が閉じる音を残して武志が出て行った。

 閉じられた玄関扉を心配そうに見つめながら、友香がリビングに入ってくる。


「よしき君って、聞かない名前だな。新しい友達でもできたのか?」

 私は開いていたスコアを脇に置きながら、玄関の方を顎で指し、友香に尋ねた。


 暖かい日曜日の昼下がりだ。

 春らしい陽射しが心地よい。


 この町に引っ越して来て三ヶ月。

 一人息子の武志はまだ小学一年生で屈託がない分、同世代への溶け込みも早いようだ。数人の新しい友人たちとお互いの家を往き来して遊び、ウチにも何度か連れて来たこともある。

 妻の友香も元来人付き合いが巧い方で、武志の同級生ママとのお茶会だと称して、毎日のように長時間の井戸端会議を繰り広げているらしい。



「それがね……」

 いつも明るく振る舞う友香が口籠る。不安を絵に描いたような目だ。

「どうした? 何かあったのか?」

「うん。それがね……」

 はっきりしない。こんなに言い澱む友香を見るのは初めてかも知れない。余程気になることがあるのだろう。


「あなた、今日、時間ある?」

 思いついたように、友香が私に訊いた。

「ああ。明日の朝までに、このスコアに目を通せばいいだけだから、時間はあるよ。どうした?」

 私は焦れる。

「武志の様子見てきてくれない? 町外れの公園で遊んでいると思うの」

「それは構わないけど、何かあるのか?」

 訝しい。



 友香は大きく溜め息をついて、徐に冷蔵庫に向かった。

「馬鹿馬鹿しい話なんだけど……」

 冷蔵庫のポットから冷たいお茶を注ぎ、私に差し出す。前置きからの間が長い。


「最近、あの子、しょっちゅう、よしき君って子と遊んでるみたいなのね」

「ああ。新しい友達なんだな。何処の子?」

 武志の元気いっぱいの声を思い出す。


「それがね、近所のママ達に訊いても、よしきって名前の子、この辺りにはいないって言うのよ」

「駅向こうの子なんじゃないか? こっちに遊びに来てるだけだろ?」

 私は妻の入れてくれたお茶を口に含む。冷たさが心地いい。

「ううん。あっちの方にも、そんな子いないって。ママさん達のネットワークって意外と侮れないから、それは間違いないって」

 友香は私の問いを先読みしていたかのように否定する。


「じゃあ、としき君か、よしと君か……。武志がそんな名前と勘違いして覚えてるんじゃないのか?」

 よくあることじゃないか、と決めつけて言う。

「ううん。あの子に何度訊いても、よしき君だ、って言うの」

「本人がそう思い込んでるだけだろ?」

 子供のことだ。聞き間違いをそのまま覚えてしまっているのだろう。



「まあ、どんな名前でも、どこの子でも、あんまり心配し過ぎるのもよくないんじゃないか? おばけでもあるまいし……」

 私は友香を安心させるつもりでそう言った。


 友香の顔が青ざめる。急激に体温が抜けてしまったかのように見えた。

 流石に私も少し焦りを覚える。


「兎に角、今はそんな子いないのよ……」

 友香の目が潤んでいる。

「今は?」

 どういうことだ。


 友香が少し押し黙り、私の顔を覗き込む。

「あなた、本当によしきって名前に聞き覚えはない?」

 やや脅すかのように低く言う。

「知らない名前だと思うけど……」


 惚けている訳ではない。微かに記憶の奥のほうにあるような気がするが、触れてはいけないと何かが警告する。



「あそこの公園に池があるでしょ?」

 厭な予感がした。


 町外れの公園には、武志と一緒に何度か行ったことがある。

 確かに人工の小さな池があった。池の中程には噴水があるが、余り手入れされているとは思えない汚れた池だ。


「私達が越してくる何年か前に、あの池で子供が死んでたって話、覚えてる?」


 友香がそう言った瞬間、私の躯は水を掛けられたように冷たくなった。


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