第2話 邂逅

 目立たないことを信条としている自分がその厄介事に首を突っ込んでしまったのは、前回の診察から一週間ほどが経過したカウンセリング当日のことであった。

 今日もいつものようにカウンセリングが終わり、病院の外に出ると夕方になりかけた時分で、辺りの建物は薄い橙色の光に包まれていた。このままいつも通り帰宅する予定であったが、何となくそれをつまらないと思い直し、近くの百貨店でウィンドウショッピングをすることにした。だが特に目ぼしい物もなく無駄に歩き回っているうちに、ほんの少し寄り道するつもりが大分時間を食ってしまった。慌てて外に飛び出すと周囲はすっかり暗くなっていた。帰りが遅くなってしまったので、早足で道を進む。

 街灯の少ない路地を曲がろうとしたその時だった。

「だから何も持ってませんってば。通してくださいよ」

「ああ!? とぼけんじゃねえよ! さっさと金を寄越せっつってんだよ!」

 怒鳴り声に驚いて振り返ると、反対側の路地に複数の人影が見えた。一人の若い男性が4人ほどの不良らしき男たちに囲まれているようだ。まさか、カツアゲか……?

 どうしよう。無視してさっさと通り過ぎるのが一番だろう。それから警察に電話すればいい。

「あっ、ちょっとっ」

 囲まれている青年が胸倉を掴まれている。殴られるのでは?

 そう思って固まっていると後ろから声が降ってきた。

「てめえ何見てんだよ!」

 しまった。別に仲間がいたのか。駆け出そうとするより一足早く、左腕を掴まれる。そのまま青年と同じ路地に引き込まれてしまった。

「あ? そいつは?」

「こっちを覗いてやがったから連れて来た」

「カモ二人で丁度いいや」

 青年の胸倉を掴んでいる男がこちらを見てにやりと笑う。

「さあて、お二人さん、有り金を全部出してもらおうか」

 冷や汗で全身から血の気が引きそうだったが、何とか逃げ出そうと俺は自分の腕を掴んでいる男の右足を踏みつけ、思い切り手を引き下げた。

「この野郎っ!」

 だが相手に再度腕を掴まれ、捻り上げられてしまう。痛い。そう感じた瞬間、ぷつんと堪忍袋の緒が切れる音が頭に響いた。

「ふざけんな!」

 そう叫んで男の手を振り払おうとした、その瞬間。

 バチンッ!

 物凄い破裂音と共に閃光が左手から走った。そして相手の男が地面に叩きつけられ、尻餅をつく。

「あ……」

 声が漏れると同時に、今度こそ身体からさあっと血の気が引いていく。

 バチッ、バチバチ……!

 左手からはまだ火花が音を立てて散っている。その場にいた全員が俺の左手を見て呆然としていた。

「の、能力者だったのか……!」

 地面に座り込んだままだった男がはっとしたように呟く。その言葉で我に返った男たちは俺のことを危険だと判断したのだろう。

「ず、ずらかるぞ……っ」

 青年を締め上げていた男がそう言った途端、不良たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。そう、これがよくある能力者に対する反応だった。

「あ、あの……」

 隣にいる青年が声を掛けてくるが、それも耳に入らないくらい、俺は呆然として立ち竦んでいた。危険は去ったのに震えが止まらない。今までこんな暴発するような発現はしたことがなかったのに。どうして。どうして……。

「あの!」

 ふいに青年が大声を出した。流石に驚いて彼を見やると、彼は俺を真っ直ぐに見ていた。片目が隠れそうなアシンメトリーな髪型が特徴的な彼は、俺が思っていたよりも存外若いようだった。もしかすると同い年くらいかもしれない。彼もあの暴発に驚いただろうに、どうして逃げなかったのだろう。腰が抜けたのかとも思ったが、彼は毅然と立っていてそんな様子はなかった。

「ありがとうございました。助けてくださって」

「え、いや、助けたつもりは」

 俺の言葉を遮って、彼は話し続ける。

「いえ! 本当に助かったんです。どうやって抜けようかと困っていましたから。そうだ、お礼をしないと。お時間ありますか? 良かったら近くで何か奢らせてください」

「えっ、いや、大丈夫です、本当に」

 そうだ、急いでここを離れなければ。人気がないとはいえ、誰かに見られていたかもしれない。可能性は低いだろうが、知り合いがいないとも限らない。ばれたくない。知られたくない。能力者だということは。

「遠慮なさらず! 俺の気が済みませんから」

「いえ、本当に結構です!」

 そう言ったが、青年は尚も食い下がる。何故そんなにしつこいのか。

「お話を聞きたいんです。お兄さん、凄いですね。あんな力が使えるなんて」

 瞳を爛々と輝かせて青年は喋り続ける。どうやら彼の好奇心をくすぐってしまったらしい。此奴も変な奴だったのか。最悪だ。

「い、急ぎますのでっ」

 埒が明かないと踏んだ俺は彼の制止を振り切って走り出した。追いかけてくる様子はない。悪い奴ではないのだろうが、何とも困った人だった。

 月が照らす道を大通りに向かって、右手で左手を抑えながらひた走る。

 息が切れるのも構わず、ただただ逃げた。

 後を振り返らなかった俺は、遠ざかる路地の上で、あの青年の口元が緩やかな弧を描いていたことを知る由もなかった。

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