野苺

眼鏡犬

短編

「食べてみたい」=「魅力的である」。

人の欲はなんて単純なのだろう。美味しそう、だから食べたくなる。逃れられない。

では、生首はどうだろうか。

人と同じ顔はしている。人と同じように喋り、考える。けれども、人ではない生き物。

「今日はどの色にしようかな」

弾んだ声に物思いから覚める。慌てて上品な木製の化粧箱を左右に割開き、収納していた二段の収納場所を引き出した。左にはアイシャドウにアイライナー。右にはアイブロウにチーク。中央はルージュ。独特の甘い匂いの広がり、生首は微笑んだ。鏡は今はない。化粧が完成後、確認するのが生首の好みなのだ。この生首のために別に準備している化粧下地を手早く施しながら、いつものように訊ねる。何にしましょうか、と。ときに生首は一時間以上も悩むのだが、本日の心は既に決まっていたようだ。

「アイシャドウは淡いブルー。猫が眠ってしまいそうな、薄い淡い空で。アイライナーはちょっと気怠く。眉ものんびりとしたブラウン」

確かに、生首のヘアスタイルについては何も指示されていない。柔いオレンジに染めた、豊かなショートボブは寝癖こそないものの、何の飾り気もない。お疲れですか。そう聞くと、生首の目がきゅっと細くなった。

「あたり」

まるでご機嫌な猫のようだ。この生首はトルコの血が流れている。悪戯っ子の表情がよく似合っていた。

「それで、ルージュは」

生首が言い淀む。

「ルージュは決めてないなぁ」

化粧を好む生首たちは、それぞれ一番大切にしているパーツがあった。ある生首は耳、耳を飾る宝飾品だけではなく色を塗ることも当然だった。ある生首は目、垂れた優しさをどう強調させるかアイライン何本も修正を繰り返す。

今、化粧をしている生首は唇だった。

ふっくらとした、張りのある果実のような。しかし、デパートに並ぶ高級品とは違い、野の果物を想像させる愛らしさである。本当に魅力的だ。

「わざとビビットな赤にしようか、警告の赤に。でも日が沈む前のオレンジが入った赤もいいな。私の髪より暗いオレンジの。それともベリーの赤にしようか。美味しそうな色のやつ」

ベリーの赤。聞いた瞬間、鍔を飲んでしまった。生首の唇、ベリーの赤。あまりにも無防備で魅力的だ。

「どの色がいいかな?」

上目遣いに生首が。目を細めずに微笑んでいる。

食べられるとわかっているものは、無害か有害か。

指先が痺れた。震えそうになるのを堪え、一本のルージュを取り出す。くすんだピンクの赤色。

「あ、これ。すごくいいかも」

手の甲に少量つけ発色を確認してもらうと、とても気に入ったようだ。良かった。生首の唇が汚れていく。ちっとも美味しそうには見えなくなった。

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野苺 眼鏡犬 @wan2mgn

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