百合にハサまる俺って邪魔じゃね?

森雨葵

恋の形

 教室の端、一人で弁当を食べ終わった今、俺は何もすることがない。

 いつもなら小説を読んで時間を潰すのだが、今日はその小説がない。

 つまり、忘れてしまったのだ。


 陰キャで友達の一人もいない俺は5限が始まるまでの間、何をすればよいのだろう。

 トイレで時間を潰すか? いや、もう4、5回トイレに行った。

 なら、校内を歩き回るか? いや、それはめんどくさい。


 大きなため息をつきながら、背筋を伸ばしたりして体をクネクネ動かしていると、ある一つの暇つぶしを思い出した。

 それは──人間観察だ。


 この世には、人間観察を趣味としている人だっているそうだ。

 俺も人間観察を極めれば、友達の一人二人はできるんじゃないのだろうか?

 早速、俺はクラスメイト一人一人を観察してみた。


 よし、まずは陽キャグループから観察しよう。

 一番はじめに目に入るのは、クラス一の陽キャ女子──羽川奈美はがわなみ

 金髪ロングヘアーに爪は派手なピンクカラーに加え、ラメがキラキラと光を反射している──完璧なギャル。


 うん絶対、ビッチ。

 なんか男子と話してる時も、手慣れてる感じだし。

 あれは男性経験、豊富だわ。


 と思いながら、次の人に移ろうとした時、ギャルと目が合った。

 数秒程度じゃない、数十秒。

 少しずつ鼓動が速くなっていく中、先に目を逸らしたのはビッチの方だった。


 俺も慌てて目線を逸らすが、もう遅い。

 俺がマジマジと見ていたのがバレたのか?

 いや、でもそんな体を舐め回すような感じで見ていたわけじゃない。


 まぁ、どうあれ陰キャの俺が影で何か言われようが言われまいが、別にどうだっていい。もう、慣れた。

 そんなことより、人間観察だ。

 これ、意外におもしろいぞ。


 さて、次は誰にしようか。

 クラスの中で一番、浮いている人……

 前の席で一人、黙々と本を読む芽森由香めもりゆか


 俺と同じ図書委員であり、何度か話したことがある。

 いつも難しそうな本を読んでいて、友達といる姿を一度も見たことがない。

 つまり、女子版の俺……クラス一の陰キャ女子。いや、それはなんか可哀想。

 あえて言うなら、清楚系キャラだな。


 芽森さんは、一定のスピードで本をめくり、読み進めていく。

 いつも通りだ。たまに、メガネをクイっと位置を戻すことがあるだけで、それ以外は何もない。

 てか、今日はメガネなんだ。いつもと違って、なんか新鮮だな。


 すると、ようやく5限目が始まる5分前のチャイムが鳴った。

 やっとかと思いながら、グイッと腕を伸ばす。

 たまに、背中の骨がボキボキと鳴ると気持ちいいが、今回は不発。


 一通り体を伸ばし終えた後、まだ時間があるので、人間観察の続きを行おうとしたが、目を細めてこちらを向いている芽森さんが視界に入った。

 ビッチとは違って、じーっと永遠にこちらを見ている。


 何かアクションを起こした方がいいのかと思った俺は小さく手を振ってみた。

 が、何も変わらない。

 やがて、先生が入ってくると芽森さんは前を向き直した。


 芽森さんは一体何を見ていたのだろうか?

 というか、もう人間観察は止めよう。

 なにかとトラブルに巻き込まれそう、そんな気がした。




***




 放課後、いつものように図書室で自習した後、学校から出て(自称)帰宅部部長として帰宅を極めていたのだが、明日提出の課題プリントを駅についてから忘れたことに気がついた。


 取りに戻らないでおこうかと一瞬思ったが、大きく成績に入ると言っていた先生の話を思い出して、渋々取りに帰ることにした。

 部活を終えた生徒が駅に向かう反面、俺は学校に向かう。


 通り過ぎる生徒が絶対に二度見してくるが、気にせず学校の方に足を進めた。

 時刻は17時40分。

 まずい、学校が閉まるのが18時であり、刻々と時間が迫ってきている。


 転けそうになりながらも走って学校に向かい、上靴に履き替えて階段を登り自分のクラスが見えてきた時、扉が少しだけ開いているのに気がついた。

 こんな時間に残る人は滅多にいないが、誰だろうと恐る恐る扉の隙間から覗いてみると、そこにいたのは意外な二人だった。



 クラス一の陽キャ女子、──羽川奈美。

 クラス一の陰キャ女子、──芽森由香。



「なんで、なんか見てたのよ」


 ビッチはそう言いながら、芽森さんに詰め寄った。


「視線……感じたから」


 なんだ、この感じ。

 見てはいけないような、そんな感じながする。


「だからって、わたし──」


ドンッ!!


 まさかの芽森さんが、ビッチの胸ぐらを掴みながら羽川の足を引っ掛けて床に押さえつけた。

 思わず驚きの声が出そうになるが、慌てて手で口を覆う。


「その態度……だめじゃない?」

「だったら……私だけを見ててよ!!」


 さっきまで威勢のよかったビッチは、今はまるで猫に狩られるネズミのように萎縮している。


「口開けて」

「……なんで?」

「いいから……口開けて」


 羽川はゆっくりと小さく口を開けた。

 すると、芽森さんは口の中で舌を動かした後、ゆっくりと透明の液体が芽森さんの口から垂れ出て、ビッチの口に落ちる。

 少し頬を赤らめた芽森さんは、手の甲で口を拭った。


「飲んで」


 ビッチは何も言わず、ゴクリと喉の音を立てて飲み込む。


「これで……機嫌なおして?」

「……うん」


 何がどうなっているのだろうか?

 俺はただ忘れ物を取りに戻ってきただけなのに。

 真反対な性格の二人がイチャついているではありませんか。


「ごめん……痛かった?」


 芽森さんは、羽川の腕を引っ張って立ち直らせた。

 ビッチは「大丈夫」とだけ言って、そのまま二人はコソコソと何かを話した後、こちらの方へ向かってくる。

 まずい! ここから離れないと!


 慌てて腰を低くしながらトイレの方へ向かおうとするが、右足のふくらはぎがピンッと張るような感覚を覚えたあと、激痛が走った。


「グゥッ!!」


 人生で初めて味わった痛みであり、無理に足を動かそうとすると、さらに痛みが増す。

 徐々に近づく足音、二人の影。

 もう、ダメだ。


ガラガラ


「は? なんで、お前がいんの?」

「蒼山くん……だよね? ここで何してるの?」


 何をしてるって、君たちの行動を見てましたとか、馬鹿正直に言うわけもなくただ俺の口からこぼれ出たのは、「足が……なんか張ってて、痛い」だった。


「それ、つってるんじゃね?」


 ビッチはそう言って、俺の右足をゆっくりと持ち上げて足のつま先を俺の方へ押した。

 すると、だんだんとふくらはぎの痛みが和らいでいく。


「ご、ごめん。ビッ──羽川さん。ありがとう」

「羽川でいい。さん付けキモい」

「はい……スミマセン」


 なんで俺、キモがられたの?


「奈美ちゃん……すごいね」

「べ、別に……こんぐらい普通だ。部活で伸ばすことあるし」


 顔が急に赤くなる羽川。

 こう見ると、羽川ってえろ──


「って、顔を見るな!!」


 いきなり声を荒げたと同時に俺の足を離した。

 そのまま俺の右足は地面に落下。

 ジーンとかかとが痛む。


「いってぇ……」

「蒼山くん、大丈夫?」


 顔を上げると、芽森さんの顔が間近にあった。

 甘い香りの匂いがして、芽森さんの目には頬が赤くなっている俺の顔が反射して映っていた。


「え、あ、う、うん。大丈夫!」


 慌てて顔を逸らしたが、羽川から殺気が感じる。


「本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。それに羽川さん、ありがと──じゃなくて、羽川ありがとう。助かったよ」

「お、おう。き、気にすんな」


 そう言いながら、羽川は顔を逸らした。

 あれ、意外に羽川って感謝されるのに弱い?

 まぁ、とりあえず俺が見ていたことはバレていなさそうだ。


「そ、それじゃ。俺はここで──」

「ねぇ、蒼山くん……なんで教室の前で倒れていたの?」

「確かにな、それ聞いてなかった」


 立ち上がった直前、そう言われた途端に俺の背中と手のひらにじんわりと汗が出るのを感じた。


「正直に言ってね…… 蒼山くん」


 またしても、甘い香りが俺の鼻を掠めた。


「め、芽森さん……」

「私たちのこと、どこまで見たの?」


 芽森さんの鼻と俺の鼻が軽く触れる。


「お、俺は……」


 本当のことを言いかけた時、校内放送のアナウンス音が鳴った。


『完全下校の5分前となりました。教室に残っている生徒は鍵を閉めて、速やかに下校して下さい』


「残念。続きはまた、あし──」


 ニコッと優しい声で言いながら、芽森さんは一歩後ろに下がった。


「ついてきてよ、蒼山くん」


 芽森さんはそのまま俺の横を通り去る。


「え、あ、ちょっ……」


 羽川は何も言わず、芽森さんについていく。


「どういうことだ……」


 教室に戻ってきた目的を忘れて、俺は芽森さんと羽川の後を追った。




***




 芽森さんに言われた通りについていくと、そこは体育館裏にある今や廃部となった園芸部の部室だった。

 大きな倉庫を改造したような感じで秘密基地感がある。


「ここだよ、蒼山くん」

「こ、ここって園芸部の部室だよね? でも、廃部になったし…… 」

「だからだよ、誰にも見つからずに……ね?」


 芽森さんはポケットから鍵を取り出して、ドアを開けた。

 芽森さんと羽川が部室に入り、俺も入っていいのかと戸惑っていると羽川が「お前、何してんの?」と言わんばかりの顔をしながら、手で入れと指示してきた。


「お、お邪魔します……」


 部室の中に入ってみると、外見によらず中は綺麗だった。

 少しだけ土や肥料の匂いがするが、そこまで気にならない。

 俺は荷物を端っこの方に下ろして、座れそうな場所に腰を下ろした。


「蒼山、これハーブティー」


 羽川が紙コップに入れて渡してきた。


「は、ハーブティー?」

「いらないの?」

「い、いや。いただきます」


 俺は慎重に受け取った。

 温かいハーブティーなら飲んだことあるが、冷たいハーブティーは初めてだ。

 てか、なぜハーブティー?


「蒼山くんの口合うかどうか、わからないけど。私、これ好きなんだー」


 そう言いながら、俺の左隣に芽森さんは座ると、それに続けて羽川は何も言わずに俺の右隣に座った。


「え? なんで、俺が挟まれて──」

「蒼山くんも、ハーブティーは好き?」

「え、俺も好きだよ……ハーブティー……」


 「そっか」と言って、芽森さんは笑顔を見せる。


「ねぇ、ハーブティー無くなった」


 羽川は悲しそうに空になった紙コップを眺めながら言った。


「俺まだ、口つけてないし飲む?」

「は? お前それマジないぞ」

「え?」

「せっかく、入れてもらったのにそれはない」


 なんか、怒られたんですけど。

 なにこれ。俺が悪いの?


「奈美ちゃん、別にいいよ。そんな気にしてないし」

「で、でも……」


 羽川は芽森さんに言われると、ひっこまるんだな。

 普通はギャルが強いはずなのに。


「なんか、ごめん」


 最悪な雰囲気。

 いや、気まずくしたのは俺か。これだから、陰キャ童貞は。


「大丈夫だよ。奈美ちゃん……私のあげるから」


 そう言って、芽森さんは紙コップを渡すのかと思いきや、残っていたハーブティーを全て口に含んだ。

 そのまま芽森さんは羽川の顔に手を伸ばして、俺の顔の前で口移しをした。


 不安定な体勢からの口移しだったからか、二人に口からハーブティーが頬に一本の線を描いて、俺のズボンに流れ落ちる。

 数分経って、ようやく二人はゆっくりと離れた。


「ごめんね、蒼山くん」

「え、いや、大丈夫……」


 あまりの衝撃的な光景に、動揺が隠せない。

 芽森さんはいつもの表情とハンカチで口元を拭いて、羽川は耳まで真っ赤にしながら、手で口を拭う。


 とりあえず、俺は頭の中を整理するためにも、入れてもらったハーブティーを一気飲みした。

 ハーブのいい香りが鼻から抜けて、早い鼓動が徐々に落ち着く──訳がない。


「蒼山」

「は、はい」


 まだ少しだけ顔が赤い羽川は俺を睨みつけながら言った。


「今日のこと、ぜってぇー言うなよ?」

「……もし言ったら?」

「は?」

「なんでもないです。言いません、絶対に」


 チッと俺に聞こえるように舌打ちをして、羽川は顔を背けた。


「そしたら、そろそろ帰ろっか」


 芽森さんは立ち上がって、飲み干した空の紙コップをまとめてゴミ箱に捨てる。

 羽川も荷物を肩にかけて、ゆくっりと立ち上がると、俺も慌てて立ち上がって帰る準備をした。




***



 外は真っ暗で、街灯に小さい虫と蛾が飛び交っている。

 駅までの帰り道、俺たち三人は一言も喋ることなく、駅まで足を動かした。

 その間も、俺の頭の中には一つの疑問がずっと浮かんでいた。


「二人ってどういう関係なんだろう……」


 二人はなにも言わないまま立ち止まり、沈黙の時間が流れた。

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 訊かないようにしていたことが、つい口を滑らしてしまった。


「ご、ごめん! 変なこと言っちゃ──」

「うふふ、蒼山くん」


 芽森さんは小刻みに体を震わせながら、俺の名を呼ぶ。



 二人はピッタリと息を合わせて答えた。

 そのまま二人は、笑いながら再び足を動かす。


「蒼山くん、また三人で集まろうね」

「だな。蒼山って意外に面白いし」


 訳がわからず、「お、おう」とぎこちない返事をする。

 これから、俺は一体どうなるのだろうか?

 いや、そんなことを考えても意味がないかもしれない。

 でも、二人の距離感からして付き合っているはず。

 そして、俺はふと思った。




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