第37話 壊れた体で掴んだ「普通」の場所

 石山剛は、整体での治療を受けながらも、身体の痛みとイライラを抱えたまま、再就職を果たしていた。新しい職場は、食品工場ではなく、小さな部品製造を行う明治電工だった。

​ 彼は、事務や営業といった接客業は、身体の不調と精神的なトラウマで不可能だったため、工場の軽作業パートを選んだ。幸い、ここでは金田のような指導員はおらず、単純な組み立て作業に黙々と集中できた。

​(ここでなら、なんとか……)

​ 石山は、この「明治電工」を、自分の壊れた人生をかろうじて繋ぎとめるための最後の砦だと感じていた。腰と肩の痛みで動作は遅く、時折くるイライラを抑え込みながらも、彼は「普通」の社会にいることに安堵していた。

​ 再就職から一ヶ月が経った頃、会社全体の空気が一変した。

​「主要取引先からの受注が大幅に減ったため、今週から減産に入る」

​ 朝礼で告げられたその事実に、石山の血の気が引いた。減産は、即座にパートの勤務時間削減を意味した。

​「当面、作業時間を午前中のみとします。残業も一切ありません」

​ 石山は、自分の耳を疑った。わずかながら掴みかけていた**「安定」が、またしても社会の理不尽によって奪われたのだ。石山の身体は治療費がかさみ、生活は常にギリギリの状態だった。この減産は、彼の生存ライン**を脅かすものだった。

​(またか……。俺の人生は、どうしてこうなんだ!)

​ 石山は、怒りの矛先を探した。金田はもういない。だが、この**「減産」という決定を下した会社の「誰か」、そして、彼のような弱者を簡単に切り捨てる「社会の構造」**そのものに対して、制御不能なほどの憎悪が湧き上がった。

​ 石山の脳裏に、かつて食品工場で目にした**「コンベア」**のイメージが蘇った。

​ 食品工場のコンベアは、汚いものを排除し、完璧な製品だけを社会に送り出す、冷たいシステムだった。そして、今の明治電工の「減産」という決定は、「不必要な労働者(自分)」をラインから排除する、別の形の冷たいコンベアに見えた。

​彼の心は叫んだ。

​(俺は、金田に暴力で蹴り出された。今度は、金と数字の暴力で、社会から蹴り出されようとしている!)

​ 石山は、目の前の組み立て作業の手を止めた。減産により、彼の作業台に流れてくる部品の数は、普段の半分以下になっていた。

​ 彼の心の中で、金田の怒鳴り声と**「減産」を決定した見知らぬ経営者の顔**が、一つに重なり始めた。

​「俺の人生を邪魔するヤツは……もう、許さない」

​ 石山の瞳の奥で、冷たい殺意が燃え上がった。彼は、自分が「壊れた道具」になったことを認めざるを得なかったが、その壊れた道具が、社会への復讐という唯一の目的に向かって、恐ろしいほどに研ぎ澄まされつつあった。彼の殺意は、もはや金田個人に留まらず、自分を苦しめる**「見えない支配者」**全体に向けられ、増幅していた。

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