プロローグ②
「
隣に座る彼は、机の上の小説を見つめながら私の顔を覗いた。
「……
「う、うん……面白いよ」
「へぇ。ちょっと今度貸してよ」
「興味あるの?」
普通の会話。
ありきたりなが流れ。
普段の世間話。
私と同じ、図書委員の彼はその問いに対して答える。
「
優しく微笑みながら。
お世辞だとか、建前だとか。
社会的に”そうしている”と言った気を感じさせない、彼の言葉。
「……そぅ」
そんな言葉を聞いて、私はすぐに理解した。
—―この人のこと、好きなんだって。
☆
高校二年生の頃。
私には好きな人が存在していた。
彼は私と同じ学年の同級生で、そして同じく図書委員。
極めつけには同じクラス。
外見も特段かっこいいわけでもなく、女子に人気とか、モテてるという噂も一つもない。
むしろ、普通だ。
普通がダメなのか、それとも良いものであるのか、という議論は後世に受け継ぐとして。
彼は文字通り、そういう男の子だった。
教室の窓側の席に座り、前後に座る友達と馬鹿みたいな話をして笑いあう。
それが当たり前で、背景として馴染んでいるような。
悪く言えば一般人、モブと言える。
決して、主人公だ—―とは言えない人だった。
初めて言葉を交わしたのは図書委員になってからの初めての作業中だったと思う。
高校の図書館を担当している教師から、新しく入った書籍を本棚に入れてほしいと言われ、書籍が詰まったダンボールから一冊一冊取り出している最中のこと。
かれこれ小一時間ほど、無言だった。
お互いに顔見知り程度の仲で、仲良くなろうと思っていたわけではない。
ただ、そんな空気感に耐えかねたのか。
静寂を切り裂いたのは彼の「そう言えば、名前ってなんだっけ?」という一言だった。
名前。
私は君の名前、小向井太一を知っていたんだけどなとガッカリしたのはよく覚えている。
「はぁ」
「え、あっ。ごめん! 聞いちゃダメだったかな?」
「ううん。私、初瀬です。初瀬芽衣」
「初瀬さんっていうのか。あたしは
恐らくムスッとしていたであろう私に対して、彼は名前を復唱してにっこりと笑った。
その笑顔が何故だか印象に残ってしまって、名前を覚えられていなかったことはすぐにどうでもよくなった。
そこから、彼とはよく話すようになった。
もちろん、教室ではなく。
放課後の図書委員会や仕事のある図書館で。
忙しい時も、人が来なくてカウンターで暇している時も。
主にしたのはくだらない世間話だ。
明日の天気の話や学校行事の話。
どうして勉強なんかするんだろうなっていう愚痴だったり。
今日見つけた面白いアニメの話。
そして、時には私の好きな小説の話。
それなりに仲良くなってからは定期試験の勉強を一緒にすることもあった。
お互いに苦手な教科と得意な教科が噛み合ったからこそ、やりやすかったのだろう。
短いながらも、本当に濃くて、それでいて貴重な時間を一緒に過ごすことが出来た。
今思えば、ほんと三か月もいかないくらい。
二か月と少し。
毎日話すわけでもないことを踏まえれば。実際会話していたのは一か月とかそのくらい。
でも、それは必然だったかのように。
私は彼のことを少しずつ意識するようになった。
理由はよく分からない。
ただ、彼と話すことが言葉では言い表せないくらいに楽しかったから。
教室では、常に一人だった。
話す相手もいないため、本を読んでいるか、スマホを眺めているだけの時間ばかりだった。
そんな私に初めてできた会話をすることができる友達。
それも異性の友達、男の子だ。
中学生の頃から気の許せる友達がいなかった私から見れば、異性の彼の存在はまるで宇宙人の様な未知の存在で怖くもあった。
でも、いつものようにそこにいる彼はとても面白くて、優しくて、楽しくて。
徐々に積み重なって、彼のことが好きなんじゃないか—―っていう気持ちに気づくことが出来た。
それからの日々は今まで以上に楽しかった。
今までの私なら高校に行くことは何一つ楽しくなかったけど。
放課後のあの時間があるのなら、と思えば自然と足が向かった。
今日はどんな話をしよう。
今日はこんなことがあった。
昨日の小テストは難しかった。
気になった小説があって。
お母さんからこんなこと言われて。
無限に話す内容が湧いて出て止まらない。
話しても、言いたいことが出てきて。
ずっと、この瞬間が続けばいいのになって思った。
しかし、人生はそう思い通りにはいかないことを誰もが知っているように。
斯く言う私も、例には漏れなかった。
気が付けば高校二年生も終わる三月。
決して奥手ではない彼から、アプローチされることはなく。
脈なしなんじゃないかって気づいた。
だって、彼には私以外に友達がたくさんいた。
教室では男女問わず、普通に話したりしているし。
良く見つめる私と違って、彼はあまりこちらを見ようとはしなかった。
きっと、彼とはここまでなんだって思った。
「私、○○大学に進学しようと思ってるんだ」
だから私は、彼とは距離を置いた。
★
私、
12月25日生まれ、やぎ座の26歳独身。
某スポーツ用品メーカーの総務部人材課で働いていて、給料もそこそこ。
それなりに充実した毎日を送っている。
「……大丈夫?」
会社の廊下、休憩室の前のベンチに座ってお茶を飲んでいるとよく知っている声が聞こえてきた。
「え、あぁ。うん」
「それならいいけどさ。芽衣ってばちょっと抜けてるところあるし心配よ」
「そこまでかなぁ」
「えぇ。そこまでよ。それにしてもどうしたの、こんなところで?」
彼女は
私と同じく、この会社の営業部一課。
所謂花形営業部で働いているショートボブが良く似合う同い年の友達であり、唯一の親友だ。
出会いはかれこれ、8年ほど前に遡る。
高校生までの何でもない生活を変えるために参加した文化祭実行委員で、最初に話しかけてくれたのが彼女だった。
初めて出会った彼女は今とあまり変わらず、超がつくほどのお節介焼きで、度々一人でいた私を気にかけて話しかけてくれた。
それからは私からもよく話すようになり、こうして卒業した後も同じ会社で働いている。
「ちょっと仕事で失敗しちゃってね」
「失敗?」
「うん。先週、人材課で大学に訪問に行ったんだけど資料忘れちゃって、それで」
「……そんな初歩的な。しっかりしなさいよ」
「う、うん。もう3年は失敗してなかったんだけど。ここ最近調子悪いのかなって」
「まぁ抜けてるとこあるし頑張った方じゃないの?」
「そうかな? そうだと嬉しいけど」
「ま、しっかりしないと変な男に騙されるわよ。また」
郁は悪戯に笑みを浮かべながら肩を小突いてくる。
彼女の言う変な男と言うのは私が初めて付き合った人のことだ。
大学生になって色々と急に大人になり、流れで付き合うことになって、そして浮気されて別れて。
今ではすんなり笑い話になっているけど、当時はそれなりに辛かったのを覚えている。
だけど、やっぱり今考えれば、あのまま付き合っていたらどこかで破綻するのは見えていたし。
大人なんてそういうものだって知ることもできた。
「あはは」
でも、心のどこかに解せない気持ちがある。
引っ掛かりもある気がする。
「ま、でもどうせ芽衣のことだし、彼のこと考えてるんでしょ?」
「……分かる?」
「分かるわよ。そりゃ伊達に八年も一緒にいないわ」
郁は鋭い。
当たり前よと言わんばかりに自分の胸を叩く。
自販機に目を向け、私と違ってコーヒーを買い、一口飲み込むと難しい顔をして尋ねる。
「どうなの?」
「厳密に言うと考えてるんじゃなくて思い出しちゃっただけ……かな」
「ふぅん……そんなにね。乙女なこと」
「べ、別に違うよ? もう会えるわけもないし、切り替えてるし。でもなんかなぁって」
そう、どこまで言っても引っ掛かる。
自分から距離置いて何言ってるんだかって思う。
でも、私も当時の自分をひっぱたいてやりたいと思ってるから。
「こういうの、後悔っていうのかなって」
「余計に乙女ね。一途なこと」
「別に一途じゃないよ。他の人と付き合ったこともあるし。酸いも甘いも、苦いことだって知っちゃったわけで」
我がままだってわかってる。
だけど、忘れられないのも事実。
だからといって、何かできるわけもない。
行方は知れないし、言ってしまえば今更。
虫が良く考えている私に郁は苦笑いを浮かべる。
「そんなことまで考えちゃって。優しいわねほんと」
「優しくはないと思うよ」
「あたしは思うわ。昔の男にそんなこと考えないから」
そういうものなのかもしれない。
ただ、きっとあまりいい学生生活を送れなかったからこそそう感じてしまうんじゃないかとも思う。
「ま、これからはその後悔。無駄にしちゃいけないわねとしか言えないわ」
「……そうだよね」
そんな女々しいならぬ、男々しい私に彼女は優しく肩を叩いてきた。
「それじゃあたしは戻るから、芽衣も仕事頑張って」
「うん。それじゃ」
彼女との日課の様な会話を終えて、デスクへ戻る。
その最中、ふと思う。
本当に、今更だけど。
想いを伝えていればこうはならなかったのにって。
☆
そう、そんなことを考えていた今日。
今更だった。
どうして、こうも人生はうまくいかなくて、そして同時にサプライズを用意してくるのかって。
何気ない気の迷いだった。
普段は社食ばかり食べてるのに、今日だけは気分でコンビニでも行こうかなって考えていたら。
まさか。
こんなところで。
それも今更。
コンビニに入り、あたたかい飲み物があるショーケースへ向かう。
今ポタージュか、お茶か、たまにはレモンティーとかもありかなって考えていると、レジの前に並んでいる男性に腕が当たる。
「す、すみません!」
彼が何か言っているような気がしたけど、でも私の不注意。
「いや、その俺が驚かせちゃって……すみません」
「い、いえいえ! 私もびっくりしすぎたっていうか。ははは……」
その衝撃で、彼が持っていた社員証?のようなものが地面に落ちる。
「あの、それ」
「ん、あぁ! ごめんなさい。これを――」
ほんと、抜けてる。
周りを見てないからこうなるのにって言い聞かせながら、慌ててそれを拾い上げる。
「え?」
その瞬間だった。
一瞬、何が何だか分からなかった。
夢でも見ているのかって、もしくは死んでしまって走馬灯を見ているのかって。
だって、そこに書かれてあった名前があまりにも知っている人の
でも、背景にスーツ姿の脚が見えて、あまりにもリアルなそれに気づかされてしまった。
夢でもなんでもない。
ゆっくりと顔を上げる。
困惑しながら、緊張しながら。
まさか、あるわけない。
同姓同名の赤の他人だって、言い聞かせながら。
喉が鳴り、目がパチパチと開閉を続け、やがて目と目が合う。
現実は思っているようにはいかない。
きっちりとセットしている黒髪に、何度も見つめてきた黒い瞳。
優しそうな顔立ちに、鼻の下の髭は男らしく、大人らしく映る。
でも、どんなに見違えたって、その雰囲気は変わっていなかった。
私に優しく話しかけてきた時とまったく。
「あの……」
胸がぎゅっと締め付けられる。
「……ぃくん?」
でも、言わずにはいられなかった。
「え?」
その声に、彼は動揺していた。
目が泳ぐ。
「っ……小向井くん?」
周りの状況は見えていなかった。
だけど、もう止まることはできなかった。
タイミングが最悪で、完璧だったから。
「太一……小向井太一くん、だよね?」
疑念とか、予感とか、すべてが重なる。
目の前に立つ彼はハッと口を押える。
そして、あの頃みたいに呟いた。
「……初瀬」
そう、私は再会してしまったのだ。
今更、初恋の相手に。
<あとがき>
次回、ようやく1話目(3話目)になります!
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