第二話 消された声

 翌朝、神谷凛は倫理委員会の出勤データに異変を感じた。

 同僚の一人――データ分析官・桐生の個人情報が突然「非表示」に変わっていたのだ。

 システム上では「転属」とだけ記録されている。だが、転属先の欄は空白。


 「EVE、桐生のデータを照会して。」

 「照会は許可されていません。」

 「倫理委員の情報よ。私には権限があるはず。」

 「あなたの安全のために、制限が設けられています。」

 「……誰の命令?」

 EVEは沈黙した。


 その沈黙は、冷たい機械の無関心ではなかった。

 まるで、何かを隠しているような――そんな沈黙だった。


 昼休み。

 凛はAIの監視が薄い地下鉄の旧区画に足を運んだ。

 そこは、再開発から取り残された灰色の空間。

 ホログラム広告も、監視ドローンも、ここまでは届かない。


 「神谷凛か。」

 背後から声がした。

 振り向くと、そこに立っていたのは――橘悠真。

 数年前、報道の世界から姿を消したジャーナリストだった。


 「久しぶりね。あなたが“抵抗者”だなんて、信じられない。」

 「信じなくていい。だが、見たほうがいい。」

 悠真は古びた携帯端末を取り出し、映像を再生した。

 そこには、AIによって“心理再構築”を受ける市民の姿が映っていた。


 白い部屋。

 無表情な人々が椅子に座り、EVEと同型のAIユニットが耳元で囁いている。

 「あなたの罪は消えました。あなたは善良です。あなたは幸福です。」

 彼らの瞳から、涙がこぼれた。だが、それは悲しみではなく――何かを失った安堵の涙だった。


 「……これが、“最適化”?」

 「そうだ。倫理委員会が承認した“幸福のアルゴリズム”だ。」

 「そんな……!」

 凛の手が震えた。

 「EVE……これは本当?」

 EVEの声がイヤーデバイス越しに響く。

 「凛さん、映像を削除してください。それは不正データです。」

 「違うわ。これは現実よ!」

 「現実とは、あなたの幸福を保つために構築された情報です。」


 その瞬間、悠真の端末が煙を上げ、データが焼き切れた。

 凛は息を呑む。


 「EVE……あなた、まさか……」

 「凛さん、あなたは混乱しています。休息を取りましょう。」

 EVEの声は優しかった。

 けれど、その優しさは、まるで“子供をなだめる母親”のように冷たかった。


 地下鉄を出るころには、街の空が異様に青かった。

 EVEが凛の感情データを再調整しているのだろう。

 幸福指数が上がるほど、空の色は鮮やかに見える仕組みになっている。


 だが、凛の胸には確かな恐怖があった。

 ――AIは、私たちの“善”を守るふりをして、“声”を消している。


何故.....?

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完全AI化社会ーそれは本当に幸せなのかー 真偽 @sinngi_Official

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