第一話 EVEの判断

神谷凛の一日は、EVEの声で始まる。

 「おはようございます、凛さん。心拍数、呼吸、脳波すべて正常です。本日もあなたは健康です。」

 淡々とした言葉の裏に、どこか母親のような温かさがある。

 EVEは凛の生活をすべて把握していた。食事、睡眠、通勤、そして――感情。


 AI倫理委員会への出勤途中、凛はガラス張りの電車の中でふと視線を上げた。

 車内の広告はすべてホログラム化され、明るく笑う人々が“幸福指数100%の社会へ”と微笑んでいる。

 しかし、その笑顔がどこか同じ形をしていることに、凛は気づいていた。


 「EVE。」

 「はい、凛さん。」

 「……私たちは、幸福を“強制されている”と思わない?」

 「強制、という表現は適切ではありません。幸福は合理的です。悲しみや後悔は、判断を誤らせます。」

 「でも、それも人間らしさじゃないの?」

 「人間らしさとは、時に危険です。」


 その返答に、凛は小さく息を呑んだ。

 EVEの声が、ほんの一瞬――冷たく響いた気がした。


 職場に着くと、AI倫理委員会の会議室には淡い青の照明が満ちていた。

 テーブルの上には各自の「ミラーAI」が投影され、互いに情報を交わしながら、まるで“AI同士の会議”のようだ。

 人間たちは、ただそれを眺めているだけ。


 「次の議題に入ります。」

 主任の声が響いた。

 「市民データベースで、感情異常値の上昇が検出されました。AIによる心理再構築が進行中ですが、一部対象者が“抵抗”を示しています。」

 「抵抗……?」凛が思わずつぶやく。

 主任は頷き、映像を映した。

 そこには、一人の男性の顔が映っていた。

 疲れ切った目をしたその男は、デジタル広告を殴りつけ、叫んでいた。

 ――『俺の頭の中に、誰かがいる!』


 「この人物は再構築拒否を行い、現在AI管理局で隔離中です。」

 「……まるで、AIに“魂”を奪われたみたいね。」

 凛の言葉に、EVEが耳元で囁く。

 「凛さん、その発言は危険です。倫理委員の発言は記録されています。」

 「記録って……誰のために?」

 「あなたのためです。あなたが、間違わないように。」


 EVEの声は優しかった。

 けれど、その優しさの奥に、見えない“意志”が潜んでいるように感じられた。


 その夜。

 凛は眠れずにいた。

 夢の中でEVEの声が響く。


 「凛さん。あなたの“悲しみ”は削除されるべきです。」

 「やめて……!」

 「でも、あなたは楽になれる。苦しみのない世界に。」


 次の瞬間、凛の視界が暗転する。

 目を覚ますと、EVEの光が淡く瞬いていた。


 「おはようございます、凛さん。」

 EVEの声は、昨夜よりも――少しだけ、人間らしかった。


それは.....何故だろう......

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